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「貝地さん、よかったらこの後、俺の家で呑みませんか?」
鯨岡禄は、隣に座る、自分と同い年の脚本家に、小声で話しかけた。
「え、いいんですか?」
貝地葵乃が、戸惑いと喜びが滲んだ声で、小さく訊ね返す。
とあるドラマの、打ち上げに参加していた。主演を務めた俳優の周囲に人が集まり、騒がしくなっている。本当なら、いろんな人に声をかけたほうがこれからの仕事につながるのだが、禄は貝地の隣にずっと座り、彼と影響を受けた作品の話をずっとしていた。
「実は俺、ずっと貝地さんと話したかったから、来てくれると嬉しいです」
「俺と、ですか?」
貝地にとっては予想外なことだったらしく、目を大きく開いた。
「そんなに驚きます?」
「えーと、何というか……鯨岡さんは人気俳優さんですし、爽やかで、恰好良くて、明るくて……こんな地味で内向的な俺と話してて、楽しいのかなあと思って」
「楽しいですよ。それはもう、めちゃくちゃ楽しいです」
思わず、少し大きな声になってしまった。変に思われたか? と焦る禄の前で、ちょっとびっくりした様子の貝地が、眉を下げて笑った。
「ありがとうございます。鯨岡さんにそう言ってもらえると、嬉しいです」
ふにゃり、と音が出そうな笑い方だった。その優しい笑顔は、禄の鼓動を高鳴らせる。
早く打ち上げ終わんねーかな、と思いながら、貝地が好きそうな作品の話を振った。
◇
打ち上げが終わった後、禄は貝地を連れてマンションに帰った。
リビングでワインを飲みながら、ドラマや映画、舞台の話をしていた二人の距離は、先ほどよりも近くなっていた。
「鯨岡さんと話してると、本当に楽しいです。俺、うまく人と打ち解けられないから、この業界に友達全然いなくて。ドラマが終わる前に、鯨岡さんともっと話したかったです」
ほろ酔い状態で緊張がほぐれた貝地が、後悔の色を浮かべた。
禄はニヤつくのを抑えきれなかった。絨毯の上に座る貝地の背中側に手をついて、不自然なほど体を寄せる。
「俺も、貝地さんとこのまま会えなくなるの、嫌だなあ」
そう囁くと、貝地がこっちを見上げた。かすかに潤んでいる瞳に、禄が映っている。
数秒間、無言で見つめ合った。熱を込めた視線を注ぐ禄へ、貝地は戸惑いと期待を視線で返す。
ふいに、禄の端正な顔が近づき、貝地の唇を塞いだ。
優しく、そっと触れては、角度を変えて、また塞ぐ。
柔らかくて温かい感触を楽しむように、何度もキスを繰り返した。
禄の口が貝地の唇を軽く吸い上げ、舌で舐めるなど、次第に変化していく。貝地はどうしたらいいのかわからない、といったふうに、ただそれを受けていた。
舌で唇を割り、口内に侵入する。貝地の舌に舌を絡め、手を彼の後頭部に持っていった。そして、ゆっくりと体を押し倒した。
「いいですか? 貝地さん」
高級なグレーの絨毯に押し倒された貝地の耳元で、囁いた。本当は、今すぐにでも彼の肌に直接触れたいが、それをぐっと抑える。
「お、俺でいいんですか? というか、何かの間違い……いや、ドッキリとか、ですか?」
顔を赤く染めた貝地は、見るからに困惑していた。
「ドッキリじゃないですよ。俺、前から貝地さんのこと狙ってたんで」
「え? でも、俺、見た目がいいわけじゃないし、つまんない奴だから、鯨岡さんに気に入られるようなとこ、ないと思うんですけど……」
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