3人が本棚に入れています
本棚に追加
一説によると、二〇一八年の地球人は神よりもUFOを信じる合の方が多いらしい。少なくとも、日本人の半数以上は、UFOを信じているのに対し、神を信じているのは、ほんの三割である。一九七〇年代の日本では、ほとんど全ての少年誌の巻末にはUFOを呼び出す儀式の詳細が丁寧にイラスト入りで説明されていた。UFO研究家なるものが幅を利かせ、財を築いたという話もある。九〇年代ごろに差し掛かると、市井のUFO熱も落ち着いてはきたが、忘れたころにふと、売り出しのタレントを使ってUFOを呼び出すテレビ番組が放送されたりする。テレビ産業の中にも青春時代をUFOブームとともに過ごしたものもおり、郷愁に駆られたりする。そして、時々そうした企画がなぜか通ってしまう。とはいえ、視聴率は決して悪くはない。ブームは過ぎ去ったものの、宇宙人を信じている人の方が信じていない人よりも多く、もちろん神を信じている人よりも多い。
というわけで、浩太が学校の裏山で発見した未確認の物体を宇宙人のものだと信じ込むのにもそこまで時間はかからなかった。中学生よりもマシだが、高校二年生は人生において最も不安定な時期の一つである。自分の急速に成長しつつある体や価値観に理性が追い付いていけない。妖精が見える年ではないが、超自然的なものを全く否定しているわけではない。そんな時期である。それに、浩太は二〇一〇年代の日本の若者とは思えないほど、オカルトやSFが大好きだった。六〇年代に流行ったトワイライトゾーンを画質の荒い動画サイトで漁ったり、大手通販サイトで昭和のSFやファンタジー小説を購入するために小遣いを捻出したりしていた。フォロワー数が1桁しかいないオカルト専門のSNSアカウントに自分が読んだ本の感想をアップするのが趣味だった。社会人になって、自由が増え、自分のコミュニティを見つけ出す、あるいは作り出すことができる状況であればまだ分からないが、少なくとも高校で同じ趣味を分かち合える友を見つけ出す確率は絶望的といっていいほど低いだろう。変人で有名な隣のクラスの男子が海外セレブと悪魔結社の関係を真剣に論じているのを耳にしたことはあるが、浩太は秘密結社とか悪魔崇拝だとかにはあまり興味が無かった。ルックスも悪くはなく、勉強もスポーツも並み以上でき友達も少なくはなかったが、思春期特有の孤独感に時たま悩まされていた。(特に、趣味を共有できる友達を探していた。)孤独感に気づかず、大人になるものもいるが、人間どこかで向き合うことになる。孤独に気づく方がいいか気づかない方がいいかは、宇宙人でも知らない。浩太に友達はほんの少ししかいないし、恋人はできたこともない。
最初のコメントを投稿しよう!