プロローグ

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「よう、咲」  背後からの聞き覚えのある声に、田邊(たなべ)(さき)は嫌な予感がして、恐る恐る振り返る。  途端に、長い前髪の間から向けられる鋭い視線と目が合った。 「りっ、凛太郎(りんたろう)さん……」  そこには長身で細身の、不機嫌そうな表情を浮かべた凛太郎の姿があった。 「どうしてここに?」  キョロキョロと辺りを見回したが、間違いなく咲の職場が入るビルのロビーである。  ──決して華村(はなむら)ビルではない。  軽く混乱した頭で考えを巡らすが、凛太郎がここにいる理由には見当がつかなかった。 「まさか、嫌がらせのため……」  思わず口をついて出た言葉に、 「馬鹿か」  凛太郎が呆れたように咲の頭を軽く叩く。 「そんな暇じゃねーよ。仕事だよ」  そう言って、凛太郎は自分の格好を見ろと言わんばかりに、両手を広げた。  そういえば、と咲は改めて凛太郎の姿を見直す。いつものラフな服装とは違い、黒に近い紺のシングルスーツを着ていた。 「仕事?」  咲は首を傾げた。 「このビルで?」  咲がここで働くようになって、三年。今まで凛太郎の姿を見かけたことはなかった。  もっとも、ビルで働く人間は多いから、すれ違っても気がつかなかっただけかもしれないが。  今だってロビーはそこそこの人で混雑している。  ──でも、それよりなにより……  咲はチラリと凛太郎のようすをうかがった。それに凛太郎はニヤリと薄笑いを返す。  ──まさか……  咲の胸の中にモヤモヤとしたものが広がった。
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