12

1/5

168人が本棚に入れています
本棚に追加
/50ページ

12

「いらっしゃいませ」 バックヤードにいると、フロントから蒼さんの声がする。 今日は少し閑散としている宿泊状況。 広報の仕事も、一段落したので、フロントにパンフレットを、置きながら帰ろうとしていた。 「ありがとうございます、ではお部屋にご案内いたします」 チェックインを済ませたであろうお客様を、蒼さんがルーム係に受け渡すのがわかった。 「あのぉ、 日置 直人さんてぇ今いますか?」 不意に僕の名前が出てきて、驚く。 「日置‥でございますか?」 蒼さんの動揺が伝わって来る。 「前一緒に働いてたんですけどぉ 会いたいなって!」 蒼さんとは対照的に、妙に弾んだ女性の声。 「…」 瞬時に記憶をたどって、声の主を考える。 「失礼ですが、どのようなご関係で…」 蒼さんの声に我に返る。お客様に対して、ずいぶんと棘のある声に感じた。 「日置さんに指導してもらってて…。いないんですかぁ?」 “指導”というワードでピンときた。 前の会社で大学生のバイトを何人か面倒見たなぁ。 蒼さんの困ってそうな顔が浮かんで、思わずフロントに顔を出してしまった。 「あっ!日置さん!」 その瞬間、俺を見つけた彼女は片えくぼで、笑顔になった。 「三沢…さん?」 そうだ、三沢さん。三沢 めいさん。 「はい!」 三沢さんは、ちょっと飛び跳ねそうな感じで、喜んでいた。 女子3人の宿泊らしく、三沢さんの隣には、おなじ雰囲気の女の子が二人いた。 とりあえず、ロビーだし、ほかのお客様が来たら何となく迷惑な気がして、 僕が、部屋まで案内することにして、彼女に落ち着いてもらう。 エレベーターの前でも、フロントから蒼さんの視線が痛いほどささる。 うぅ。だって、仕方ないじゃん。 エレベーターの中で、館内の案内を簡単にする。柴野さんのおかげで、ルーム係も少しはできるようになっててよかった。 「ね?かわいいでしょ?」 三沢さんは友達にそう言って僕を紹介している。 僕的にはそんなに、彼女一人を目に掛けたつもりはなかったんだけど、なんか印象に残ったのかなぁ、と不思議になる。 「こちらが皆さんのお部屋です。」どうぞ、と扉を開ける。 一通り説明して、部屋を出ようとすると、 「ねぇ、日置さん仕事何時まで?」と聞かれる。 「あぁ。一応もう終わるけど…」 「じゃあさ、ちょっとお茶しない?」 え?これって…。 ホテルの外でお客さんと会うのってNGだよね? でも知り合いだからオッケ―? 「むっちゃかわいい!もしかして照れてるぅ?」 そんな女の子たちの言葉に,『おっちゃんをからかってるだけか!』と思わず突っ込みたくなるのをこらえて、あいまいに笑う。 「ごめんなさい、お客さんと個人的に会うのは…。」 そう言って、濁す。 「えぇ~。私さみしかったんですよぉ。せっかく入社したら、日置さんいなくてぇ。」 そう言って三沢さんは、上目遣いで僕を見た。 「はは…。ごめんね。でも仕事覚えてもらえたみたいでよかった。」 そう言って、視線をそらして、 「じゃぁ、ここでゆっくり過ごしてね」 と言って、まだぶー垂れてる彼女を背に、部屋を出た。 まさかこんな慕われてるとは…。 ほんと、大学生のバイトの一人って思ってたから、いったい何の意図で、ここまで来たんだろう?と勘ぐってしまう。 とりあえず、吉井さんにお願いして、フルーツをサービスしてもらっておいた。
/50ページ

最初のコメントを投稿しよう!

168人が本棚に入れています
本棚に追加