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そう思った一方で、俺は、ああと声をもらした。
あのナイフの男がああなったのは、そういう暗躍があったからなのか。
「俺、そんな気色悪い声、出してませんでしたけど」
「ちょっと、真中(まなか)くん」
そこへ、店長の声が割って入ってきた。
まずいと口の中で呟いて、俺は振り向いた。
「真中くん、仕事はどうしたの。仕事は。あとね、さっき変な声が」
と言いかけた店長は、ある一点に目をやって、眉間のしわを増やした。
そこにはあの身分証が。橘という刑事さんは、まだ手にしていたのだ。
それと俺。それと俺。店長の目玉が忙しなく行き来している。
俺は刑事さんの手を掴んで、小声で怒鳴った。
「こんなもん見られたら、俺がなにかやらかしたみたいになるじゃん」
「お、ごめん」
ジーンズのバックポケットに身分証をねじ込むと、刑事さんは前に出て、店長になにか話しかけた。
それにしてもこの人、見てくれがケーサツケーサツしてない。
髪の毛はところどころ茶色がかっていて、襟足が長い。派手な色のパーカーは着てるし、ビンテージものっぽいジーンズを穿いてる。首にも指にもシルバーのアクセサリーがあるし。
改めて見ると、警察官だっていうのが疑わしくなってくる。
「真中くん」
刑事さんの体を押しのけ、店長が俺の両手を握ってきた。
季節がらそんなに暑くもないのに、その手が汗ばんでいて気持ち悪い。
だけど、店長を突っぱねられるわけもなく、俺はそれとなく身を引いていた。
「前々から骨のある子だとは思ってたんだ。これからはうちの防犯にも一役かってくれよ」
店長はやたらニコニコして、きびすを返した。
いまの変わりようはなんだと首をひねった俺だけど、その原因をすぐに見つけた。
「ちょっと。そこの刑事さん。店長になに言ったんですか」
俺が外見チェックしているあいだに、とんでもないフォローに走ったに違いない。
「ほら、悪い印象を与える前にいい印象を与えといたほうがいいかなと思って。まんなかクンは、このあいだ、ひったくり犯を捕まえるのに協力してくれた立派なオトコですと」
「まんなかじゃなくて、ま、な、か」
「お。ごめんごめん」
「俺は、べつに協力なんかしてませんので。きゃあー! お巡りさん! ってなってたんだから」
と、さっき刑事さんがやったことを真似てみたけど、当の本人はぜんぜんこっちを見ていない。コンビニの駐車場に一台の車が入ってきて、そこから降りたものすごい美人に、その目は釘づけになっていた。
俺は短く息を吐いた。
もう刑事さんのことは放っといて店内へ戻ろうとしたが、腕を掴まれた。
「ねえ、まんなかクン。バイトいつ終わるの? バイト終わったらさ、あそこのファミレスで俺と夕ご飯でもどう?」
「は? なんで、知り合いでもない、しかも刑事とメシ行かなきゃなんないんだよ」
「いいじゃない。そんなこまかいことは気にしないで」
刑事さんは顔の前で手を合わせ、お願い、お願いと繰り返している。
俺は思いっきり眉をひそめた。
「きみに話があるんだ」
「はなし──」
刑事さんに「話」と言われて、俺は、あの夜のことで言いたいことがあったのを思い出した。
警察から俺になんの話があるのかも気になるが、いまはそれを聞いてる暇もない。そろそろ店に戻らないと、さすがに店長に睨まれそうだ。
それに、向こうの奢りなら夕飯代も浮く。
少し考えてから、「じゃあ、しょうがない」と返すと、橘さんは両手を上げて走り回り始めた。
ファミレスへ行って話を聞くだけなのに、なにをそんなに嬉しがるのか、俺はやはり首を傾げるしかなかった。
カルボナーラとにらめっこをしながら、ただフォークを口へ運ぶ。
それにしても、周りの視線が痛い。
早く食べ終わって、言いたいことを言って、さっさと帰りたい。
それだけを思い、俺は口と手を動かした。
七時にバイトが終わり、それまでコンビニの駐車場で待っていた橘さんは、格安で有名なこのファミレスに俺を連れてきた。そして席につくやいなや、テーブルに置けきれないほどの料理を注文したのだ。
思わずこの目と耳を疑うほど、橘さんは大食漢だった。
だが、それも口にできないほど、俺は恥ずかしさに打ちのめされ、ただ首を垂れていた。
チーズのかかったハンバーグ。ステーキ。ドリアにカツ丼。スパゲッティは三種もある。
それらを往復していたフォークが、俺のカルボナーラにまでちょっかいを出してきた。
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