本編ー奇人変人

1/3
前へ
/55ページ
次へ

本編ー奇人変人

 その声はどこからともなく飛んできた。  バイトを終え、帰路である長い石段を上っているときだった。  夜の九時。すでに辺りは真っ暗だ。  閑静な住宅街には似つかわしくない、ドスの利いた男の声だった。 「止まれ。止まらんとうつぞ!」  ぴたりと足を止め、俺は振り返った。野球帽に黒のジャンパー姿の男が猛然と石段を駆け上がってくる。  その手には、ナイフ。  一瞬で俺の体は固まった。 「来るな。……それ以上近づいたら、こいつの命はねえぞ!」  突然のできごとに俺はなすすべなく、簡単に人質とされた。  そこへ、べつの男がやってきた。一段一段を踏みしめるように、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。  その男は拳銃を構えていた。 「おい。いいか、よく考えろ」  拳銃を構えている男が言った。  私服警官かとも思えるけど、拳銃を持っているやつが正義の味方かというと、必ずしもそうではない。  ヤクザな世界が、俺の頭の中で勝手にドンパチを始めた。 「そんなやつをヤったところで、お前になんの得がある? そんなやつ一人ぐらい、なんて、お前は思っているだろうが、そんなやつでも──」  俺の後ろのやつを落ち着かせるためなのか、拳銃の男が空いてるほうの手を出した。やめろと口の動きだけで言う。 「そんなやつ」連呼が引っかかったけれど、この状況じゃあ、的確なツッコみも挟まれない。  すると、ナイフの男が急に俺を放した。一目散に石段を駆け上がっていく。  その次の瞬間、上に向かっていたはずの背中がひるがえった。男はよろけながら何段か踏み外し、最後には、石段の中央にある手すりにくの字で引っかかった。 「九時十分、現行犯逮捕」  拳銃から手錠に持ち直した男が、手すりでのびている男を後ろ手にさせる。輪っかをはめると、腕時計を確認していた。 「橘(たちばな)」 「うい。お疲れっす」  もう一人、男が上からやってきた。  トレードマークにでもしてるかのような派手なスカジャン。パンパンと手を叩き、石段にあったナイフを拾い上げる。  そいつと拳銃男の二人がかりでのびてる男を手すりから起こし、正体のない体を引きずるようにして石段を下りていった。  辺りを見渡せば、見物人がちらほらと集まりだしている。  残りの石段を慌てて上り、俺はふと振り返った。スカジャンの男がこっちに目をやってからパトカーに乗るところだった。  デカ……だったのか?  手錠を持っていたし、そうだとは思う。けど、いまいち納得がいかない。  そのもやもやは、家に着くころにはむかむかに変わっていた。  相変わらず、警察からはなんのアクションもなく、数日がたった。  この町の幹線道路沿いにあるコンビニで、俺はバイトをしている。  午後一、いつものように商品補充をしていると、客の男が声をかけてきた。 「ねえねえ、店員さん。それ、いくら?」  俺は棚から目を離し、顔を振り向けた。  二十代後半ぐらいのでかい男が立っている。  その男がなんとなく気にくわなくても、お客はお客だ。俺は精いっぱいの笑顔を作った。 「どれですか?」 「きみの素敵な笑顔。プライスレス?」 「は?」  なにを言ってるんだと、俺が表情に出しても、男はニコニコしたまま。  気持ち悪い。  それとなくシカトして、作業を再開させたら、その男は店内にくまなく響き渡るほどの大声を出した。 「店長さーん。おたくんとこのバイト、お客をないがしろにしてますよ」 「はあ?」 「教育がなってないっすよ!」 「ちょ、ちょっと──」  俺はとっさに巨体を押しやり、外へ出る。  お客さんの邪魔にならないところまでいって、睨みつけてやった。 「なに。なんなんですか、アナタ。あんまり変なことばっかしてると営業妨害でケーサツに電話するよ?」 「たちばなけんご」 「はい?」 「俺の名前。橘憲吾」  ──たちばな。  どこかで聞いた名前だと思った矢先、信じがたいものが目の前に出てきた。  最初は二つ折りだった黒革の手帳は、開くと上のほうに顔写真、下のほうには記章がついていた。金色の。 「……ケーサツ?」 「このあいだはどうも」 「このあいだ?」  アナタが警察のヒトだとわかっただけで、いまのこの状況はまったくもってわからない。  俺がそう顔をしかめていると、橘という刑事さんは、自分の腕で自分の首を締め出した。 「きゃあ! お巡りさん、ぼくを助けて!」 「……」 「きえええ!」  最後は、跳び蹴りでしめていた。  お客さんの車がすぐそこにある店先で、派手なアクションはやめてほしい。
/55ページ

最初のコメントを投稿しよう!

574人が本棚に入れています
本棚に追加