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賃貸魔王城
息吐く間もなく襲ってくる魔物たちを斬り捨て、絡み合う茨に四肢を傷付けられ、毒の沼地に体力を奪われ、やっとの思いで辿り着いたのは、それはそれは禍々しき魔の力に包まれた漆黒の城だった。
──魔王城。
この国に住まう者はみな、その城をこう呼ぶ。
「アイアリス。まだ魔力に余裕はあるか?」
血と泥で汚れた頬を袖で擦り、彼──エリオルはメイジスタッフにしがみついて、何とか立っている傍らの青年に語りかけた。
「僕は大丈夫です。でもサラさんは……」
「私もまだ平気よ。ここまで来たんだもの。今さら弱音なんて吐いていられないものね」
気丈に振る舞う回復術師の少女が目を細めて笑う。
「よし、行こう! 魔王を倒し、国のみんなに心からの笑顔を取り戻そう。俺たちの手で!」
エリオルは腰に差した勇者の剣を抜き、眼前にそびえる漆黒の城をキッと睨み付けた。
◇◆◇
魔王城の最奥。決して趣味がいいとは言えない仰々しい飾りがごってりと付いた扉の前で、エリオルたちは顔を見合わせ、頷き合った。
「魔王! 勝負だ!」
エリオルは勢いに任せて扉を蹴破り、スッと勇者の剣を構えた。その背後を守るように、魔術師のアイアリスと、回復術師のサラがそれぞれにメイジスタッフとメイスを構える。
「……は?」
重い扉の向こうはひどくガランとしており、天井まで届く大窓も、ずっしりしたビロードのカーテンも、厳めしい王座も何もない、ただ天井が高いだけの、寒々しい大広間だ。
そんな大広間の真ん中に──縁が少々傷んでほつれ、所々に何かの染みが付いた、二メートル四方ほどの貧相なカーペットが敷かれている。そしてそのカーペットの中央に──丸いちゃぶ台が置かれていた。
ちゃぶ台には、炊き立てほかほかツヤツヤの白米が茶碗に山盛りに。その茶碗の隣には、少々焼き過ぎた焦げ目たっぷりのアジの開き。味噌汁はなめこがぷかぷか浮かび、かつお節をふりかけたほうれん草のおひたしと沢庵に梅干し。熱々の湯気が立ち上るほうじ茶の湯呑みがあり、粗食ながらも非常に栄養バランスのよい食事が用意されていた。
その質素かつ健康的な食事を前に、せんべい座布団の上で今にもイタダキマスをしようかと両手を合わせた、地味な顔付きの男が一人。他に誰の姿もない。
彼はエリオルたちの方をじっと見て小首を傾げ、ゆっくり口を開いた。
「あのー……どちら様ですか?」
彼のあまりにのんびりした口調と室内のアンバランスな雰囲気に、すっかり覇気を相殺されてしまったエリオルはパクパクと口を開くも、言葉が出てこない。
「あ、もしかして回覧版か宅配便ですか? すみません。今から晩ご飯だったんで、全然呼び鈴に気付かなくて」
彼はジャージのポケットをガサゴソと探ってスタンプ印を取り出す。
「いやー、なんせウチってやたら広いじゃないですか? 呼び鈴に気付かない事、よくあるんですよ。あ、ハンコどこに押しましょうか?」
「どういう……事なの? 状況が分からない……」
ようやく声を絞り出したのは、回復術師のサラだった。
「どういうって……え? あ、はい? 回覧版とか宅配の人じゃないんですか? あれれぇ? 宅配ピザ頼んだ覚えはないし……」
スタンプ印をこちらへ向けたまま、彼は首を先ほどとは反対方向へ傾げる。
「ち、違いますよ! 僕らは勇者です! 選ばれし一行です! 世界を救うために悪い魔王を倒しに来たんです!」
アイアリスが必死に叫ぶ。そして我に返ったエリオルも勇者の剣を構え直して叫んだ。
「騙されないぞ、魔王! そうやって俺たちを油断させようって魂胆だな!」
「魔王? まおう……ああ、そうか」
彼はポンと手を打つ。
「はい。ここの住所は確かに魔王城ですね。レジェンド国ナイト村四十六丁目四番地九号の魔王城。間違いないです。でもぼくは魔王じゃないですよ」
「魔王城に住んでるのが、魔王たる確かな証拠じゃないか!」
「ご、誤解ですよ! ぼく、本当に魔王じゃないですぅ! この家……っていうか、この城には賃貸で住まわせてもらってるだけで、ぼくは至って普通の……普通の、売れない作家です……」
両肩を落とし、自分の言葉にいじける彼。
「作家って……小説とか書く人?」
「ええ、そうです。デビュー作が大当たりして、ちょっと羽振りよくなって調子乗っちゃって、たまたま通りすがりの不動産屋で見つけたこの格安お得物件に賃貸で入居してきたんですけど、その後の作品がもう鳴かず飛ばずで、また六畳一間くらいの部屋に引っ越そうかなぁなんて。ああ、ぼくはやっぱり作家の才能なかったのかなぁ……」
エリオルたちはチラリと目配せし合うが、武器の構えは解かない。それどころかますます警戒心を露わにし、鋭く彼を睨み付けた。
「ここに来るまでに、何度も魔王の手先や凶悪な魔物と戦ったんだぞ!」
「そうなんですか? 大変でしたね、お疲れ様です。ほら、ここって凄く町から離れてるじゃないですか? いわゆる田舎っていうか。だから途中に野生化した家畜とか、野良魔獣とかがよく出没するみたいなんです。外に ”魔物が出ます・注意” って黄色い看板、無かったですか? 先月、役所に申請しといたんですけど」
彼は困ったように肩を竦め、両手を広げる。
「そんなものは無かった! お前が魔王でないなら、どうして魔王城になんて住んでるんだ!」
「だからそれは田舎のお得物件だったからですってさっきも言ったじゃないですか。田舎で交通とか不便だからこそ、こんなに大きい物件なのに、格安の賃料で住めるんです。ほら、お城に住むとかって、憧れたりしません?」
彼がにへらと邪気のない顔で微笑む。
「……憧れる……」
ぽつりとアイアリス。
「アイアリス!」
「ハッ! ごめん、ついぼうっとして口が勝手に!」
エリオルに窘められ、アイアリスは姿勢を正す。
城に住む事が憧れだとほざいた割には、彼の背後はちゃぶ台と和風飯。アンバランスだ。あまりにもアンバランスで、逆に怪しい胡散臭い。
サラがメイスの先をわなわなと震わせる。
「毒の沼地や茨で、ここへ来るまでの道を妨害してたじゃない! やっぱりあなた、魔王だわ!」
「ええっ! また茨が伸びてきちゃってました? ついこの間、除草剤撒いた所なんですけど、しぶとい茨ですね。今度もっと強力な除草剤、ホームセンターで買ってきます。それから毒の沼地でしたっけ? それは多分、裏山の上にある工場の産業汚染廃棄物を、また勝手に沼にたれ流しちゃってるんだと思います。前にも近所迷惑ですよって注意したんだけどなぁ。今度町内会長さんと一緒に弁護士雇って直訴しときますね。あ、写メあったらもらえません? 裁判になった時に証拠になるんで」
彼はポケットから何やら小さな不思議な箱を取り出し、それを片手で器用にスラスラと操作する。手付きが妙に厭味ったらしく見えるのは、エリオルが同じ用な小さな箱を持っていないからか。
エリオルはモブ顔とも言える、あっさり顔の男に向かって、指を突き出した。
「ドコの世界に禍々しい毒の沼地背景に写メだの記念写真だの撮る奴がいるかーッ!!」
エリオルが声を嗄らしてツッこむ。その声に驚きつつも、彼は手にした箱をポケットへとしまいこんだ。
「えー。じゃあ後で自分で撮りに行きますよ。ぼくのカメラ、どこに置いたかなぁ?」
アイアリスがメイジスタッフの先に光を灯し、呑気に頭を掻いている彼の鼻先に突き付ける。
「えー、じゃないですよ! み、右の塔には死屍累々とした死体や白骨があったし、それに最上階には鍵の掛かった宝箱がありましたよ! きっとその宝箱にも何か罠が仕掛けてあったんでしょう!」
「えっ、宝箱!? そ、それ探してたんですよ! そうかぁ、右の塔は探してなかったなぁ! しまったなぁ、うっかりしてたぁ!」
「探してって……?」
アイアリスが拍子抜けした声をあげると同時に、メイジスタッフに灯った光が消える。彼の気力や魔力によって、光が灯る仕掛けらしい。
「あ、いえ。別に大した事じゃないんですけど、その宝箱、子供の頃に ”未来のぼくへ” ってタイトルで作文書いて、タイムカプセルとしていろんな品物詰めて、知り合いに頼んでどこかに置いてもらった事までは覚えてたんですけど、どこに置いたか聞いたのすっかり忘れちゃってて。見つけてくれてありがとうございます! これで子供の頃の思い出に浸れます!」
彼は嬉しそうに両手を叩いて頭を下げる。だがふいに真顔になり、アイアリスに詰め寄る。
「あ! もしかして宝箱開けちゃいましたっ? 中、見ちゃいましたっ?」
さらに身を乗り出し、エリオルの顔を見る彼。
「ふぇっ? あ……ええと、俺らのパーティーってシーフいないから、鍵が開けられなくて……」
「よかったぁ! 初恋の相手に書いたラブレターとかも入ってたから、見られたら恥ずかしくて顔から火とか邪悪な波動とか出してたかも! うわー、恥ずかしい! 昔のぼくって痛い! 今でこそ笑えるけど。でも本当に見てませんよね? すっごい恥ずかしいんですから」
エリオルは見てない見てないと何度も首を振る。が、すぐに眉尻をキリリと吊り上げる。どうも彼には調子を狂わされて、あっさり話をすり替えられてしまう。
「宝箱がお前のタイムカプセルだとしても、その周りにあった死体や白骨はどう説明するんだ! お前が殺やったんじゃないのか?」
「ああ、あれはですね」
彼は指先を唇に当て、器用に片目を瞑る。
「“作ったモノ”ですよ。だってほら、ここって仮にも魔王城じゃないですか。それっぽい“小道具”も必要かなって思って」
「じゃあ幻覚で床があるように見せかけておいて、実は落とし穴だったっていう罠は!」
「はい、それは防犯用です。このお城、四十LDKくらいあるんで、ぼくの気付かない内にホームレスが住み着いちゃったり、野生の動物が入り込んだりするんですよね。だから3D映像で嘘の通路に誘導したり、落とし穴に落としてお城の外に強制排除したりしないと、何気なくドア開けたら知らない人がいるとか、ちょっと怖いじゃないですか、このご時世。それにお掃除とかも大変なんですよ。無駄に広いから」
エリオルは勇者の剣の先をプルプルと震わせ、顔を真っ赤、真っ青、真紫へと変化させる。
「だったら……」
震える声音を絞り出すエリオル。
「だったら本物の魔王はドコにいるんだーッ!!」
魂の絶叫。
国の皆から英雄だ勇者だと称えられてきたエリオルの、人生初の屈辱だった。まさか魔王と一般人を間違えて鼻息荒く不法侵入だなどと。
いや、魔王城などというトンデモ物件に、賃貸などとふざけた理由を掲げて住み着いている彼が悪い。いや、もっと悪いのはあろう事か魔王城を賃貸物件として貸し出した不動産屋だ。いやいや、もっとも悪いのは、魔王城をあっさり賃貸物件として空け渡し、勇者である自分に一言の断りもなく姿を眩ませた真の魔王が悪い。勇者あっての魔王、魔王あっての勇者ではないか。
勇者と魔王はこの世にもたらされた一対の光と影。君は光、僕は影。離れられない二人の絆。嗚呼、ベルサ──話が逸れたので以下略。
何もかも、全ては魔王が悪い。そうに違いない。だって魔王なのだから。
彼に怒りをぶつけてやりたいところだが、無関係な一般市民に剣を向ける訳にはいかない。自分は勇者なのだから。
タンスの角に足の小指をぶつけてしまったかのようなこの行き場のない不条理な怒り、その全てを真の魔王に八つ当たりする。そうしたらみんなハッピー。万事オッケー。結果オーライ。全ては丸く収まる。
エリオルは一瞬で、新たな魔王討伐プランを頭の中に構築した。
「魔王、ねぇ……前の住人さんなら、詳しい場所は聞いてないですけど、南の方にあるリゾート島に引っ越したとか何とか」
彼がぽつりと呟くなり、ベキィッと、エリオルの背後で凄まじい音がした。振り返ると、サラが手にしていたメイスをへし折って地団太を踏んでいる。
ごく普通の回復術師ならば、素手でメイスはへし折れるものではない。本来後衛タイプは非力であり、メイスは金属製なのだから。
「サ、サラ?」
エリオルが背中に嫌な汗を滲ませつつ、サラの様子をそっと伺う。
「悔しい! なにそれ悔しい! こっちはお洒落もしないで汗と泥にまみれながら辛い苦しい冒険してるっていうのに、なんで魔王みたいな悪者が南国リゾートとかっ? 私だって南の島でエステに買い物、ビーチでトロピカルドリンク飲みながら、グッドルッキングガイでもはべらして、リッチでゴージャス気取りたいわよ!」
サラは目尻に涙を滲ませて地団駄を踏み続ける。
「分かる! サラ、僕もその気持ち、すっごい分かる!」
アイアリスがサラの手を掴んで涙目になる。エリオルはぎょっとして二人から一歩後退あとじさる。
「こっちはいきなり王様に呼びつけられて、貧相な装備と小銭投げ渡されて上から目線で『魔王倒してこい(笑)』だよ? 魔王と渡り合えるだけの装備を買うのにどれだけ必死に働いたか! 妙に腰入った領主に色目使われたり、クソ偉そうな商人にペコペコへつらってアイテム譲ってもらったりしたのに! なのに魔王は配下をアゴで使って人々から巻き上げた汚いお金でレッツエンジョイ・ブルジョワ・リゾート! 悔しい! 超悔しい!」
「あの、アイアリスくん? 怒るところ、そこ? サラもちょっと怒りの方向、間違ってない?」
突如結託して悔し涙で見つめ合うサラとアイアリスを見て、エリオルの頭に昇っていた血が一気に覚める。先ほど頭の中で一気に組み立てた真・魔王討伐プランも一瞬で白紙に戻る。
「エリオル、サラ、今すぐ南の島へ行こう! 僕たちもエンジョイ南国リゾート、ヒア・ウィ・ゴーだ!」
「いいわね、アイアリス! エステとグッドルッキングガイが私を呼んでるわ!」
「いや、あの……だから目的変わってない? 魔王どうするの? 世界の平和は? 俺たち勇者のパーティーだよね?」
もはやエリオルの弱々しいツッコミは、南国リゾートに目が眩んだ二人に聞き入れてもらえない。
「あのぉ……」
魔王城の現在の主が、遠慮気味に声を掛けてくる。手にはなめこの味噌汁が入ったお椀。
「そちらで随分盛り上がってるみたいですけど、お話してる間に、ぼくの晩ご飯、すっかり冷めちゃったじゃないですか。なめこもぬめりがすっかり溶けて、お汁がドロドロになっちゃいました。なめこのお味噌汁はあったかい内が最高に美味しいんですよ。ぬめり成分のムチンが溶けだしたお味噌汁は、ムチンと味噌が層になって沈殿するし、飲んでも喉に絡むだけだし、全然美味しくないんです」
「あ……はぁ。すんません。あまりに影薄くてモブっぽいので存在忘れてました。ええとー、勘違いで飯時に突然押し掛けちゃって、すんませんでした」
エリオルは勇者の剣を後ろ手に持ち、頭を掻きながら彼に詫びる。
「ほかほかご飯もすっかりカピカピ冷やご飯。せっかくのぼくのささやかな晩餐が台無しじゃないですか。扉も蹴り破って壊すし。修理代いくら掛かると思ってるんですか? 特注品なんですよ、あれ」
彼はちゃぶ台になめこの味噌汁を置き、すっかり冷えたほうじ茶をずずっと啜った。
「ああ……ええと、すみません」
「ごめんなさい」
意識が現実に戻ってきたアイアリスとサラも揃って頭を下げる。
「謝ってもらっても、冷えちゃったご飯は戻ってこないんですよね。ウチ、電子レンジ無いから、結局これ全部捨てて作り直しにですよ。あーあ、一食分損しちゃった。もったいない」
「はぁ……そうしたら、どうやってお詫びをすれば?」
「そうだねぇ……」
彼はジャージのポケットに手を入れ、中を探る。目的の物を見つけたのか、ゆっくりと手を出し、エリオルたちの前で指を開いた。その掌には、くりくりと赤い目をした、白い毛並みの愛らしいハムスターがちょこんと乗っている。
「なんでポケットからハムスター……」
「ぼくのペットのケルベロス君です。この子は物凄く舌が肥えてるんです。贅沢フードしか食べないんですよ」
「はぁ……?」
彼は指先でハムスターの頭を愛しげにナデナデする。そしてエリオルたちの方に向き直り、屈託なくニコリと微笑んだ。
「じゃあ、晩ご飯の代償に、キミたち死んで。丁度ケルベロス君も餌の時間だったし」
「へ?」
「ほら、ウチって魔王城じゃない? さっきも言ったと思うけど、それっぽくするための“小道具”が必要なんだよね。白骨とか、血痕とか。せっかくだから死体になって、その辺に転がっておいてくれるとありがたいなぁ」
「なっ……」
エリオルが驚愕で目を見開いたまさにその時、彼の掌に乗った魔ハムスター・ケルベロス君が、カパッと小さく可愛らしい口を開いた。刹那、その小さな口から、灼熱に焼けつく熱線を吐き出す。熱線はまっすぐにエリオルの心臓を射抜いた。
一言も声をあげる事なく、その場に倒れるエリオル。ひと呼吸置いて、サラが悲鳴をあげた。
凶悪で獰猛な魔ハムスター・ケルベロス君の吐き出す殺人熱線がサラを、アイアリスを次々と焼き殺し、その場に焼け焦げた三つの死体が積み上がる。
手際よく全ての仕事を終えると、魔ハムスター・ケルベロス君は満足気にジジッと小さく鳴いてエリオルだった肉の塊の上に飛び降りた。そして強靱な鋭い齧歯で新鮮な肉塊を貪った。
愛らしいハムスターの容姿をしてはいるが、ケルベロス君はこれでも立派な魔界の獣。新鮮な肉しか食べない、グルメな肉食魔獣の魔ハムスターなのだ。
「ああ、そうだ。言い忘れてたけど、ぼくの名前はグレゴリー・サタニノス七世。魔王を世界に派遣した魔界の王とはぼくの事で、簡単に言っちゃえば、ぼくは魔王より格上の大魔王ってトコかな。覇王でもいいよ。でも大魔王って肩書き、ぼく、あんまり好きじゃないんだ。だから気さくにグレゴリーって呼んでくれていいよ。あ、もう聞こえないよね。自己紹介が遅れてゴメンナサイ」
彼はジャージのポケットに手を入れて、ふんふんと鼻歌を歌いだした。
◇◆◇
彼──グレゴリーは三つの死体の足や腕を掴んで、ずるずると広間の外へ歩き出す。
「えーっと、廊下とか隠し小部屋の“小道具”は間に合ってるから、玄関とかに置いておいた方が、魔王城っぽいかな? 次にやってくる勇者とか宅配のおじさんも、 “玄関開けたら三歩で死体!”とかになったら、絶対びっくりするよね? あは! 面白そう!」
彼は細身の体だが、三つの死体を軽々と引き摺っている。彼を決して侮ってはいけないのだ。ジャージを着ていようと、地味なモブ顔だろうと、彼は正真正銘、魔界を、魔族や魔物たちを統べる大魔王なのだから。
グレゴリーはポイポイと、まるでゴミを扱うかのように、三つの死体を正面入り口のホールへと放り出した。その時、彼の背後でギギギと扉が開く重い音がホールに響く。
「んもう……。今日はお客さんが多いなぁ。晩ご飯まだなのに」
面倒臭そうに振り返ったグレゴリーは、扉を開け放ち、そこへ佇む者の姿を見て、一瞬で顔を真っ青にして頬を引き攣らせた。
そのまま目にも止まらぬ勢いで両手を頭の上で合わせ、全力ダッシュからの飛び込み前転スライディング土下座を決め、腹の底から叫んだ。
「すみまっせん、大家さんんん! 今月の家賃、あと三日待ってくださいいぃぃぃっ!」
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