痛魔王

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痛魔王

 茨と毒の沼地に守られた漆黒の魔王城には、自称・執筆業で生計を立てている大魔王グレゴリー・サタニノス七世が、ペットの魔ハムスター・ケルベロス君と共に細々と暮らしている。  ──賃貸で。  魔王城の前持ち主、魔王・田中武志(※名前がコンプレックス)は南国へ引っ越し、新魔王城を建築。真面目に悪事を画策しているらしい。  いつもの洗いざらしのよれよれジャージに身を包んだグレゴリーは、ちゃぶ台の上で愛らしく血滴る生肉に食らい付いている魔ハムスターの白い毛並みを見つめながら、ポツリと呟いた。 「……ケルベロス君って……」  ケルベロス君が肉を食はむ事をやめ、くりくりとした大きくつぶらな目でグレゴリーを見上げる。 「白い毛並みが綺麗だし、赤い目もチャームポイントだけど……」  ケルベロス君の口の周りには、生肉の血が付着している。グレゴリーはその血を柔らか高級ティッシュで丁寧に拭いてやる。 「……白いだけって、なんかちょっとシンプル過ぎて物足りないよね」  ケルベロス君は自身の主の視線の中にチラチラと見え隠れする野望に気付き、身の危険を感じてダッと逃げ出した。──が、グレゴリーは慣れた手付きで素早くケルベロス君を掴み上げる。 「ジィーッ! ジィーッ!」  ケルベロス君は懸命に威嚇しながら、鋭い齧歯をグレゴリーの手に突き立てる。だが腐っても大魔王。モブ顔と云えど大魔王。多少指に穴が空いても流血する程度でさほどダメージは通っていない。  ──地味にガチで痛いけど。  グレゴリーが鈍感過ぎるせいもあるのだが。 「あのね! 今、人間界では、日常使いのモノに萌えキャラをプリントして、“アイタタ仕様”にするのが流行ってるんだって! 馬車にロリ顔巨乳ミニスカウィッチプリントで“痛車”とか、携帯通信用からくりにロン毛イケメン騎士プリントで“痛スマホ”とか言うんだって! 推し勇者缶バッチをいっぱい付けた“痛バッグ”とかもあるんだよ!」 「ジィーッ! ジィーッ!」  ケルベロス君はなおも抗議の威嚇行動を続けるが、グレゴリーは彼を拘束したまま、嫌々もがく彼の意思を故意に無視して、自身の胸に秘めた策略を声高らかに披露する。 「だからね」  ケルベロス君を片手に、もう片方の手にバーチャルアイドル吟遊詩人のアイロンプリントを手に立ち上がるグレゴリー。 「ケルベロス君を“痛ハム”にしたいなって思ってるんだ!」 「ジジィーッッッ!! ジジィーッッッ!! ギジジィィィーッッッ!!」  ケルベロス君の断末魔のごとき威嚇が、ひときわ大きく魔王城に響き渡った。      ◇◆◇  ベショッと、グレゴリーの後頭部が真っ赤に染まる。その赤い液体はドロリと床に零れ落ちた。 「グレゴリー様。何をなさっておいでです? ケルベロス君の、助けを求めるかのような悲痛な鳴き声が廊下まで聞こえましたが」 「あ、ドロシーちゃん。今日のジャムパン、皮薄め仕様だね。ぼくの頭に当たって割れちゃったよ」  グレゴリーは赤黒いラズベリージャム塗れになりながら、笑顔で秘書サキュバスのドロシー・メルディノに手を振る。  彼女は魔王城に常駐の秘書ではなく、通いの派遣秘書だ。 「えっとね。今、人間界では痛車とか痛スマホっていうのが流行ってるらしくて、ぼくも真似してケルベロス君を痛くしてみようかなって思ってるんだ。だってケルベロス君の体って、白いキャンバスみたいでしょ。創作魂揺さぶられちゃって」  ドロシーはグレゴリーの手に握られて、怯えた目で何かを訴えかけてきている魔ハムスターのケルベロス君を見る。 「まぁ……ケルベロス君を?」 「ジ……ジィー……」  ケルベロス君は彼女に救済を求めるような視線で弱々しく鳴く。  ドロシーはピンヒールの踵を慣らしながらグレゴリーに近付き、すっと片手を差し出した。  はらりとポスターが広がり、紙面にはイケメンのプリースト集団が描かれている。 「グレゴリー様。恐れながら私としましては、そのバーチャル歌姫より、こちらの歌って祈れる僧職系アイドルプリースト集団、略して“歌プリ”のボーカル様の方がよろしゅうございます」 「ジジィーッッッ!!」  ケルベロス君の希望は断たれた。      ◇◆◇  ケルベロス君が、熱々のアイロンの下から間一髪逃れる。アイロンはジュウと音を発てて、ちゃぶ台にバーチャルアイドル吟遊詩人の絵柄をプリントした。  ミスプリントである。 「グレゴリー様。さすがに熱いアイロンを直接ケルベロス君に押し当ててしまっては、痛ハムプリントが完了する前に“焼きハム”になって香ばしくなってしまいますわ」 「あ、そうか。当て布忘れてたよ」  そういう問題ではない。  ※ 動物は責任をもって大切に飼育しましょう。  ケルベロス君は部屋の隅まで逃げ、壁際でフルフルと震えている。そこへ歌プリデコシールを持ったドロシーが近付いてきた。 「観念なさい、ケルベロス君。私のものはシールを貼るだけですから痛くも熱くもありません。ただ粘着力が通常の三倍なだけで、剥がす時に毛が抜ける程度です」  ドロシーがピンヒールを鳴らしてケルベロス君に詰め寄り、デコシールを突きつける。  ケルベロス君は強く壁を蹴ってドロシーの頭を中継点として飛び移り、彼女の背後へと飛び降りた。そのまま全速力で広間入り口に向かって走る。 「あん! 私のデコシールが一枚無駄になってしまいましたわ!」  想定外の場所にプリントされてしまった、皺クシャになった歌プリ・ボーカル様がドロシーの方を向いて痛々しく微笑んでいる。 「でも大丈夫ですわ。こんなこともあろうかと、人間界のアニメショップをハシゴして、ボーカル様のデコシールは爆買いして買い占めておきましたの!」  ドロシーの両手に扇状に広がるデコシール。  その恰好で人間界へ行ったのか? その恰好でアニメショップをハシゴしたのか?  挑発的な女王様ボンテージ姿で!  威圧的な十二センチの高さを誇るピンヒールで!  ──ある意味ゴスロリ娘や日常的コスプレイヤーより性質が悪い。  ※ 大人買いは他人の迷惑を考えて、ほどほどにしましょう。  ケルベロス君は自身の主より、彼の秘書であるドロシーに底知れぬ恐怖を感じて、小さな四肢を懸命に動かし、広間からの脱出を目論んだ。 「ストップ! ケルベロス君!」  グレゴリーがさっとケルベロス君の進行方向に立ち塞がった。 「もう逃がさな……あれ?」  何者をも通すまいという意思のもと、両手足を大きく広げて大の字に立ち塞がるグレゴリーの、大きく開いた両足の間をケルベロス君は颯爽と走り抜けた。  グレゴリーと自分の圧倒的体格差を利用した、ケルベロス君の機転の勝利だった。  魔ハムスターの知恵に遅れを取る大魔王。それがグレゴリー・サタニノス七世。 「グレゴリー様! 今度からは両足の間と脇の下に網を張って立ち塞がってくださいまし」 「わぁ! それってビラビラいっぱい付いてるんだよね? オールドスターみたいで格好いい! じゃあさっそくお裁縫してく……」 「後になさってください! 今はケルベロス君の捕獲が先決ですわ!」  ドロシーは胸元からくるみパンを取り出しながらグレゴリーの隣を駆け抜けた。 「ケルベロス君! ハムスターの大好物、ナッツ入りのパンですわよ! ハイッ、召し上がれッ!」  ドロシー、抜群のコントロールでスローイン。  しかしケルベロス君はドロシーの投げたくるみパンを、ペシッと小さく愛らしい後ろ足で蹴り飛ばして逃亡続行。  憐れくるみパンはコロコロと床に転がった。 「ドロシーちゃん、ダメだよ! ケルベロス君は血統書付きの魔ハムスターだから肉食だもん! ナッツもヒマワリの種も食べない!」 「まぁ! うっかりしておりましたわ! 今度からはボンレスハム入りパンを用意しなくては」  すぐに胸パット代わりの別のパンを胸元に詰めながら、ドロシーはグレゴリーの指摘に、悔しそうに唇を噛む。  ケルベロス君は懸命に走り、入り口に飛び付く。だがケルベロス君の身の丈の、何千倍とある重いドアは開かない。  人間ですら、この巨大で重い扉を開くには苦労するのだ。わずか三十八グラムの体重しかないケルベロス君一匹では、扉を揺らす事すら不可能だ。 「あははー。ケルベロス君の力じゃそのドアは開かないよ。さぁ、年貢の納め時だよ。諦めてミッカミカな痛ハムにしてやんよ」 「ケルベロス君。私のためにMAJIラヴ五十三万%なボーカル様仕様の痛ハムになってくださいまし」  追い詰められたケルベロス君──絶体絶命のピンチ! もはやこれまでか! 「さあ……」  バーチャルアイドル吟遊詩人・歌魔音うたまねミカのアイロンプリントを手にしたグレゴリーがニヤニヤしながら迫る。 「うふふ……」  歌って祈れる僧職系プリースト集““歌プリ”・ボーカルのデコシールを手にしたドロシーが嬉々とした表情で迫る。 「ジ……ジィー……」(た、助けて……)  ケルベロス君の弱々しい鳴き声は、迫る二人の魔族の発する含み笑いに打ち消される。  ここまでかとケルベロス君が諦めかけた時、入り口のドアの向こうから、カリカリと木を齧るような音が聞こえた。ケルベロス君がぴょこっと耳を立てて振り向くと、ドアの塗装一角がペリリと剥がれ、隙間からブルーグレーの毛並みが美しい、ケルベロス君とは別の魔ハムスターが顔を覗かせた。 「あっ! きみは確か、ケルベロス君の兄弟のヘルハウンド君!」 「ジーッ!」(おお、兄弟!) 「ジジッ!」(こっちだ!)  ヘルハウンド君はケルベロス君を、たった今、自分が噛み空けた穴に誘導する。そのまま二匹は広間の外へと逃亡した。 「兄弟のピンチに颯爽と現れるなんて、なんて美しい兄弟愛なんでしょう。ドラマチックですわ」  ドロシーは感心して艶やかな唇に指を立てる。 「でもケルベロス君、逃げちゃった。せっかく痛ハムって名案だと思ったのに」 「歌プリ痛ハム、見とうございました」  ドロシーは手にしたデコシールを見つめ、ふと何か思いついたのか、グレゴリーに歩み寄った。そしておもむろに、彼の顔にデコシールをペタリと貼り付ける。 「何するの、ドロシーちゃん?」 「痛ハムスターの願いは叶いませんでしたが、痛魔王になりましてよ。グレゴリー様」  グレゴリーの顔全体に“歌プリ”ボーカルのプリントが。 「わあ! じゃあぼくの顔、ちょっと目立つ感じになった?」 「ええ、とても痛々しい意味で。ある種、サッカーのフェイスペイントのようなものです。会場で一時的に盛り上がってノリでフェイスペイントを施したものの、帰りの電車で我に返って降車ドアの方に顔を向けてこそこそしている、にわかサッカーファンのような、特殊で独特の目立ち方をしております」  ドロシーは声を発てずに、プフッと一笑する。 「やったぁ! これでぼく、もうモブ顔って言われないね!」 「ええ、大変目立って痛とうございます」 「ドロシーちゃん! もっと貼って! もっとシール貼って、ぼくをすごい痛魔王にしてよ!」  グレゴリーは、痛魔王という響きが大層気に入ったらしい。 「魔王! 観念なさい! この魔女っ娘勇者フィアナちゃんが来たからには、もう悪事は許さない!」  広間入り口のドアが開け放たれ、小柄な人影が仁王立ちになっている。  煌びやかなスパンコールとフリルたっぷりのミニスカートに、真っ赤なビキニメイル。いわゆる倫理隠して体隠さずという、お約束的衣装である。手には魔女っ娘御用達の、ハートのヘッドが付いたピンクのミラクルステッキ。  一見痛々しい安アイドルだが、本人は至って真面目な、自称・美少女魔女っ娘勇者だった。 「ゴーゴーレッツゴー! レッツゴー! ラブ! ラブ! ラブリー・フィ・ア・ナ!」  魔女っ娘勇者フィアナの背後には、お揃いのピンクの法被を着たデブとガリの親衛隊が、気味悪い脂っこい汗を迸らせながら、サイリウムとメガホンを両手に、肉と皮を揺らして踊り狂っている。 「みんなぁー! 応援ありがとうー!」 「うおおお! フィアナたーん!」 「フィアナたん! 目線こっち目線ちょうだい!」 「萌えーッ! フィアナたん萌えーッ!」 「今度のニューシングルも握手会応募券のために百枚買うからね! 借金してでも買うからね!」  美少女勇者は親衛隊にとびきり明るい笑顔を振りまき、大きく手を振っている。今にも即席路上ライブをしそうな勢いである。  魔王討伐に乗り込んできたと言う割には、グレゴリーの事などまるで無視だった。目立つ事が目的で勇者を名乗っているのかもしれない。 「……グレゴリー様、いかがいたしましょう?」  ドロシーがグレゴリーに対応を求めると、グレゴリーは笑顔のまま美少女勇者に近付いた。 「ねぇねぇ、ぼく痛魔王なんだけど、これどう? ぼく目立ってる?」  少女勇者はきょとんとして、顔中を痛プリントで痛々しくしたグレゴリーを見つめていた。が、ふいに涙目になった。 「いやーん! この人痛ぁい! 怖ぁい!」 「ぬおおおお! フィアナたんを怖がらせるなんて、許せねぇ!」 「フィアナたんいじめたら、お前なんか実名写真付きでネットに晒して掲示板炎上させてやるぜ!」 「呪いのツイートしてやる! アカ変えてもどこまでも追いかけて粘着してやるからな! フィアナたんいじめた報いだ!」  親衛隊が口々に叫ぶ。俗に云う──狂信的信者かキモヲタという人種らしい。 「……なんか、思ってたのと反応違う」  グレゴリーがつまらなさそうに呟く。 「ドロシーちゃん、掃除しといて。痛魔王飽きちゃった。顔洗ってくる」 「承りました。さぁさぁ勇者とお付きの皆さん。とっとと退場なさってください」  ドロシーの背中の羽根がファサッと広がった。同時にどこからともなく吹き荒れる暴風が怪音波を乗せ、美少女勇者と親衛隊をなぎ払う。 「きゃあ! あたしアイドルなのにー!」 「フィアナたーん!」 「お前らー! 肉壁となってフィアナたんをお守りするんだー!」 「フィ、フィアナたん最後に握手してー! 目線だけでもッ!」  怪音波が少女勇者と親衛隊の体を分解し、跡形もなく霧散させた。      ◇◆◇ 「ドロシーちゃん、お疲れ様」 「とんでもございません。恐縮ですわ」  グレゴリーがいつものちゃぶ台の前に座ったので、ドロシーはほうじ茶を煎れる。  ふぅと一息吐き、グレゴリーは温かいほうじ茶を啜った。  グレゴリーの顔には、まだ若干のデコシールの痕跡が残っている。ドロシーが用意した歌プリデコシールは、粘着力が通常の三倍だったので、洗うだけでは取れなかったのだ。 「……あ、そうだ。ケルベロス君を痛ハムにできなかったし、ぼくも痛魔王っていうには反応イマイチだったけど、思い切ってこの魔王城を丸ごと痛くしちゃったらどうだろう? ほら、クリスマスシーズンとか、やたら家丸ごとキラキラデコレートしちゃう、ちょっと痛いご家庭とかあるじゃない?」 「グレゴリー様、それは名案でございます。ですが少々問題が」  ドロシーがすっと何かの紙をグレゴリーの前に差し出す。 「こちらの賃貸契約書によりますと、退室時には壁・床・天井等の現状復帰が必須とございます。痛魔王城にしてしまうと、その復帰リフォームの代金を請求され、尚且つ敷金が返還されない恐れがあるのではないでしょうか?」  賃貸契約書を覗き込むと、約款が細かく書かれている。読むのも嫌になるほど細かい文字で。しかも“甲”だの“乙”だのの意味が分かりづらいったらありゃしない。 「あ、そうか。うーん……やっぱり賃貸だと思い切った事ができないから、やっぱり痛ハムくらいで我慢するしかないよね。ぼく、免許も車も持ってないし」  ドロシーは口元に指先を当ててしばし思案し、切れ長の目をグレゴリーに向ける。 「ケルベロス君が帰ってくるのを待って、餌を食べている隙や寝ている時など、油断した所を狙って捕獲いたしましょう。やはり私、“痛ハム”が見とうございますわ」  彼女の提案に、グレゴリーは小さく拍手する。 「そうだね。あ、じゃあ次は歌魔音ミカのイラストじゃなくて、渋く筆文字のお経を書いてみようか!」 「よろしゅうございますね。耳なし何とかという民話のようで、大変愉快だと思いますわ」  ケルベロス君の不幸はどこまで続くのか──それはグレゴリーたちが飽きるまでである。
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