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汽車はまもなく駅舎に着いた。県で一番大きな町にあたるぶん、駅舎も大きい。私たちの町からここまでは単線だったが、ここを起点に複数の沿線が広がるのだ。
いそいそとホームに降り立つ他の乗客にならい、私と竜も車両を出る。石積みのホームは話し声と足音で騒がしいが、竜の鳴らす靴音だけが特別に聞こえる。カツン、カツンと、背後で鳴っていた革靴の音。それがふいに止む。
「竜?」
振り返れば、竜は私から数歩下がったところで立ち止まり、反対側のホームを眺めていた。二車線を挟んだ向こうに到着していたのは同系の汽車。乗客が乗り込むところらしい。
人の列の中に山高帽、それに杖まで携えたフロックコートの年配者を見つけて、ようやく「ああ」と思った。あれは帝都行きの汽車だ。
いつだったか、巷の噂で聞いたことがある。昔、鈴生屋の販路を帝都に広げる話があったのだと。元は竜の父親の案だったそうだ。だが、当時からある程度の仕事を担っていた当代――竜のお兄さんはそれに賛成せず、家は二つに割れた。
話し合いは平行線を辿り、そんな最中、竜の父親は病で急逝したという。結局家を継いだお兄さんの方針に従ったのか、帝都進出の話は今はすっかり、綺麗になくなっている。
竜はその話をしないが、きっと帝都で仕事をしたかったのだろう。彼は父親っ子だったと晴一からこっそり聞いていた。だからそれ以来、お兄さんとも上手くいっていない、とも。
竜が家の仕事をしないのはお兄さんに反発しているのかもしれない。いつも飄々としている竜だが、家の中ではどうなのだろう。
帝都行きの汽車を見つめる竜の表情は、いつになく真剣だった。過去を憂いているようにも見えない。こういった竜の様子を見るのは初めてで、どう声をかけていいか分からなかった。
「すみません。せっかくのデートなのに、沙耶子さん以外を目に映すなんて。我ながらあり得ない」
私の視線に気付いた竜がこちらに歩み寄る。人の疎らになったホームに、彼の靴音がひと際大きく響く。隣に並び、彼は言う。
「まずは洋裁店に行きますよ。初めてでしょう、沙耶子さん」
「洋裁店なんかあるのか」
「じゃなきゃ、俺のこの服はどこで買ってるんです」
「いつもはオーダーメイドなんですけど、今回は時間がないから既製品ですね。でも沙耶子さんのスリーサイズは是非とも測ってもらいたい」と、竜は流暢に続ける。
彼の買い物に付き合うのはやぶさかではない。だが、『オーダーメイド』『スリーサイズ』とは何だろう。私のってどういうことだ。『フロックコート』は竜のために覚えて久しいが、いまだにその口からは聞き慣れない単語が出る。
彼の言っている意味がよく理解できないまま、駅舎を出た。考え事はあっても足取りは軽く、通り抜ける風は新鮮で心地良い。大勢の人で賑わう商店街が私たちを迎え入れた。
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