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昼食の後は草わらに腰をつけたまま、穏やかな潮風を浴びていた。遠く波打ち際を眺めていると、ここまで聞こえるはずのない波のさざめきが脳内を流れ出す。打ち寄せては消える白波の帯に柔らかく捉えられ、自然と眠くなる。
そのまま寝てしまったらしい。まどろみの中で頭が大きく竜の方へ傾くと、コツン、とこめかみの上に硬いものがあたった。
「沙耶子さん。結構いい時間ですよ」
ふっと気付いて隣を見れば、私から身体を一つ分引いた彼が文庫本を一冊持ち上げていた。どうやら頭に当たったのは本の背表紙らしい。当たった場所をさすりながら、次第に意識を醒ましていく。
「ああ、悪い。すっかり眠っていた」
「眠る沙耶子さんもお美しいですけどね」
「お前は本当に……」
平然とそういう言葉が出るのが不思議で仕方がない。つくづく軽い口だ、と呆れて息を吐いたが、竜は意も介さない様子で、海の方を見ながらニッと笑った。
「ほら見て下さい。今日は大漁ですよ」
つられるようにそちらへと目を動かせば、六隻の漁船が群をなして東の港へと向かっていた。帰港する彼らが掲げるのは大漁旗。今日の漁はよほど調子が良かったようだ。
今の時期だから、卵を抱いた鰯だろうか。鰆も掛かっているとなお嬉しい。周囲には漁の成功を共に祝うように、おこぼれを期待したカモメが飛び回っていた。
「今晩、沙耶子さんの家はご馳走ですね」
あの船のどれか一隻には父が乗っている。船持ちの漁師などではない。雇われることで船に乗っけてもらっているしがない一船員が、私の父。
その父が乗る船の旗はたしか黄色の背景に赤の鯛が描かれたものだったから……、私は目を凝らして風になびく旗らを見やると、あれか、と目星を付けた。
「竜の家も豪華にならないのか」
「うちはまあ、多少は譲ってもらえるかもしれませんけど」
竜の家は漁師ではなく、海鮮物――専ら鮭の加工・販売を行う商家だ。それもただの商家ではない。港町の一等区に立派な店構えをもつ『鈴生屋』といえば地元では知らぬ者はいない、老舗の名店。持ちつ持たれつとはいえ漁師から買い取る立場なのだから影響力は強く、率直に言ってしまえば裕福な家だ。
そこの先代の次男が竜――鈴生竜治で、今私の横で洋装をまとい、春の陽気のような笑みを湛えた男なのだった。
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