帝都編【1】花の都に住む人は

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「信用できる人ではあるのかな」 「どうかな。あれだけ有名でやり手で、聖人君子の噂しかないのもかえって怖い……ま、俺は性根が捻くれているからな」  頸木の視線がまたゆっくりと動いた。底光りする瞳は、今度は私の市松柄の帯を見つめている。  玉利様を出資者に、鈴生屋の販路をさらに広げ、分店を増やさないかという誘い。これが昨日竜が持ってきた話なのだが、正直こちらとしては乗り気ではなかった。  帝都での地盤固めができていない。人手も足らない。  そういった理由から、竜と私の間でも反対の考えは一致したし、保守的なお兄さんも良しとは言わないだろう。  ただ、心配なのだ、下手な断り方をして心証を悪くしないか。これまで十分世話になっているから、誘いを無下にすることに対して申し訳なくも思う。しかしそれ以上に、目を付けられれば帝都にいられなくなるかもしれないという不安があった。華族との付き合い方をいまだ知らない私たちに、突然舞い降りたこの話は重い。 「どの程度の付き合いかは知らないが。向こうも君らの性格を知ったつもりで言ってきていると思うぞ。そもそも出会いはなんだったんだ」 「竜が築地を歩いているときに声を掛けてきたらしいよ。あの辺で洋装は珍しいだろ」 「確かに新進気鋭の商売坊ちゃんに見えなくもない。その辺は玉利望に似ているな」 「実際はお貴族様には程遠いけどな」  品はあっても切れ者のような風格は感じられない。どちらも伴わない私が言えることではないけれども。  そうやって砕けた調子で話し込んでいると、やがて隣家の勝手口がきい、と音を立てた。 「どうも。おはようございまし」  寝巻きらしい長着に茶色の毛皮コートを羽織って出てきたのは、二十歳の女の子。子吉川家の一人娘、花江さんだ。  身嗜みは整っているが、声を聴くに寝起きと思われる。彼女はあくびを我慢するように口元を手で押さえると、頸木に向かってくいと顎を上げた。  それを見た頸木も無表情で頷き、 「ではな。鈴生沙耶子」  とだけ言って、隣家の裏へと足早に歩いて行く。  朝も過ぎ、活動する者が増えてきた。ふいに物音がして顔を上げると、子吉川家の二階、窓を開けて煙草をふかす守谷さんが見えた。寝巻き姿の彼もまた上方から二人の行方を眺めている。  冴えた空気に燻る紫煙は白くくっきりとした輪郭を持ち、なかなか消えない。しばらく隣家の窓辺に纏わりついていた。
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