ー初めての恋でもないんだから

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 まずは軽く、唇を奪っていく。 「すまんな」 「いえ。会えただけでも嬉しいです。それに、飛行機代に新幹線代──」  僕はそこまで言って、首をひねった。  北海道行きの飛行機なら、こっちからも直行便が出ているはずだ。どうして、わざわざ東京を経由していくんだろう。 「東京へ寄ってくれるなら、チケット代出すって言われてさ。おばさんどもに。都内のどっかの店の菓子買ってこい、って」 「は?」  開いた口が塞がらなかった。  こっちと往復するだけでも大変なのに、東京へ「おつかい」にやるとは、なんて人たちだろう。北海道にだって、美味しいお菓子はあるだろうに。  その「おばさん」たちに、腹立たしさまで覚えていた僕だけど、逢坂先生を見上げて、ふと気づいたことがあった。  もしかしたら先生は、チケット代がただにならなかったら、戻ってこようとは思わなかったのだろうか。  たかが一週間のことなんだから、高い飛行機代を払ってまで会いにいくものでもないと思うし……。たぶん、僕なら我慢する。  どういう話の順番で戻ることにしたのか、はっきりわからないからなんとも言えないけど、それを問いただすのも野暮な気がする。  でも……。 「あの、なんて言ったらいいか……。なんか、すみません」 「なんでお前が謝んの」  と、笑ったあと、逢坂先生は急にきょろきょろし始めた。僕を抱き寄せ、突風のようなキスをする。  すっかり油断していた僕は、なんとか抱き返そうと、先生のポケットに残したままの手をもぞもぞさせた。  入りかけの舌が引っ込み、顔も離れた。 「んだよ」 「ちょっとポケットが……」  すみませんと頭を下げながら手を出し、改めて、その大きな体を抱きしめた。見知らぬ北の大地の匂いもするような……不思議な感じがする。  ここへ来るまでのいきさつに、いろいろ疑問は残るけれど、一日で行って帰ってなんて、何年か前まではできなかったのだろうから、さまざま便利になった世の中に、いまは感謝する。  駐車場をあとにし、さっき上から見た、イルミネーションに飾られたけやき通りを行くことにした。  それぞれ車を運転して、近くのパーキングへ停める。そぞろ歩きで観て周り、適当な、混んでいないお店で、夕ご飯にした。  逢坂先生が乗る予定の最終の新幹線は、十一時すぎ。ご飯をすませたあと駅の近くまで戻って、今度は、ファミレスで時間を潰した。 「いやあ、まじで慣れないことはするもんじゃねえ。焦った焦った」  席に着くと、そんなことをまだ言いながら、逢坂先生は上着を脱いだ。  さっきのお店は禁煙席にしてくれたから、ここは喫煙席を選んだ。二人でコーヒーを注文して、逢坂先生は早速、煙草に火をつけた。 「そういえば、僕があそこにいるの、よくわかりましたね」 「ああ、それな。まあ、愛の力? ……って、言いたいところだけど、学校に向かってる途中で、お前の車とおんなしやつ見つけてさ。運転してるやつも似てたんだけど、学校にいるもんだと思い込んでたから、他人の空似だろって思って、乗っかった道路だけは覚えて学校へ行ったんだよ。したら、あれだろ。やっぱり、あれはお前だったんだって、慌てて追いかけたわけ」 「急に、あの夜景を見てみたくなったんですよね」 「俺が戻ってくるって、わけわかんねえことになってて、不安になったんじゃねえの」 「不安というか……」  一呼吸置いてから、僕は続けた。 「戻ってくるなら、いの一番に僕んとこに来るべきなんじゃねーの! って感じですかね」  逢坂先生は煙草を揉み消していた手を止め、呆然としていた。  僕は慌てて手を振る。 「あ、つい本音が。すみません」 「いいって。そうやってぶつけてくれたほうが判りやすいし。お前らしいし。そういうとこ好きだよ、俺は。うだうだ悩みつつ、結局はちゃんと言ってくれてさ。それも振りきってくれるから、いじりがいもある」  逢坂先生が笑っている。久しぶりに見る顔だ。  声もいいけど、キスもいいけど、抱きしめられるのもいいけど、これが見たかったんだと僕は思った。  黒目勝ちな目がなくなる。  たとえ言われたことに納得がいかなくても、あの顔を見れたから、取り合うのはやめる。  これが、僕の惚れた弱みだ。 「留萌って、やっぱり寒いですか?」  コーヒーが運ばれてきてすぐ、逢坂先生が早くも二本目を吸い始めた。  その煙草を挟んだ指で、それそれと示す。 「想像を絶するって、まさしくあのことを言うんだな。と思うくらいの寒さ」 「北帰行って覚えてますか?」 「え? ぼっき?」  僕は目を閉じた。  わざとなのか、わざとじゃないのか、前と同じことを言っている。 「ほっきこう、です!」 「ほっきこう?」 「北に帰るに行くですよ」 「あ、なんか聞いことあるわ。それ」  ため息をついてから、僕は、前に誘った映画だと教えた。 「最初から最後までおやすみになってたやつです」 「はいはい、すいませんね。ほんと、言ってくれるようになっちゃって」 「はい?」 「それならお前、あの日に土屋のバーへ行ったとき、やたら泣いてたろ。タロージローがどうのこうのって」  僕は、口をつけていたコーヒーを吹きそうになった。  というか、あの夜のことを、僕はほとんど覚えていない。  ただ、カルーアミルクはキケンな飲みものだってのは、はっきり記憶している。 「正直、うざかったんだけど、かわいいとも思っちゃったんだよな」 「構わず捨てればよかったんですよ」 「なんだ。結構、覚えてんじゃん」 「こないだ思い出したんです。そこは。……ていうか、かわいくないですよ。僕は」  どの口が言うかねえ。と、独り言のように呟いて、逢坂先生は腕時計を確認した。  僕も自分の時計を見て、時間が迫っているのに気づいた。 「やべえ。けど、戻りたくねえ」 「その前に、大事なおつかいがあるじゃないですか」  逢坂先生が額に手をやった。  どうやら忘れていたらしい。  だったらいま、なんのために東京へ行こうとしていたのか。そう、心の中で、僕は悪態をついた。  逢坂先生が、こっちをじっと見ている。ああと、声をもらした。 「なんですか」 「さっきから、やけにトゲあんなあと思ったら」 「はい?」 「愛してる。んでもって、東京がついでだから」  思わず、周りを確かめてしまった。ここに来てからを振り返れば、いまさらなんだけども。 「……」 「返事はいらん。帰ったらたっぷり応えてもらうから」  ファミレスから出て、駅の駐車場で車を停める。  僕も、見送りのためにホームまで上がった。そこへ、ちょうど新幹線が入ってきた。 「二十五日には帰れると思う」  乗車する前、そう、逢坂先生が告げた。軽いキスも置いていく。  閉まるドア越しに見えた笑顔が、少し寂しそうで、胸の奥が締めつけられるような切なさも走った。  ──数日後には、また会えるのに。  逢坂先生もそれに気づいたのか、照れ笑いへ、ふと変わっていた。  雑音も連れ立ち、遠ざかっていくホワイトライトの瞳。しっかりと目を合わせ、僕は、無事に送り届けてと手を振った。
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