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ー追うのは性分じゃないけれど
それから一週間、逢坂先生とは、会話らしい会話は交わさなかった。
挨拶くらいはするけど、向こうは返してくれないから、常に一方通行だ。
いままでも、逢坂先生から話しかけてくることはなかった。
だから、僕が話さないうちは会話は皆無になる。殺伐としている。
たまに、ほかの先生方とにこやかに喋っているのを見て、一人でイライラした。あんなウワサさえ立っていなかったら、僕だって、ほんとはもっと話したい。
放課後の職員室でまた一人、デスクに突っ伏す。
なんだかんだ、きょうも帰るのが最後になってしまった。
もっか悩みの種である「ウワサ」は、あれ以来耳にしていない。
やっぱり僕の思い過ごしで、生徒たちの単なる気まぐれかと片づけてみても、自分から避けていた手前、急に馴れ馴れしくするのはどうかと思った。
というか、僕がそれとなく避けているのを、逢坂先生は感づいている気がしてならない。そうだとすればなおさら、手の平を返すような態度は取れない。
徐々に、前みたいに接せられたらいいとは思うんだ。
ただ、相手があの逢坂先生だから、一度断ち切ってしまったものは簡単に取り戻せない気もしている。
いっそ、あのウワサを話してしまえば……。
傾きかけていた頭を起こして強く首を振る。
……それは絶対にだめだ。できない。これ以上、僕のことで迷惑をかけたくない。
堂々巡りな自問自答を繰り返し、最後にはため息が出た。
なんだか、高校生でも悩まないようなことで頭を痛めている気がする。
もっとスマートに人づき合いができれば、恋人なんかもすぐに作れそうなんだけどな……。大人の余裕というか。周りに流されない信念というか。僕にはそれらが足らない。
デスクへ突っ伏したまま僕は首を動かし、となりを見た。
もし、僕の異変に気づいているなら、強めでも構わないから、なにか言ってくれてもいいのに。むしろ怒鳴り散らかすくらいで。
ていうか、僕は、なにを人任せにしてるんだろう。だからやっぱりダメなんだ。男として!
がばっと体を起こした。頬を叩いて自分を叱咤する。
よし、あしたは話そう。
たとえいまさらと玉砕されても話そう。
「……」
そういえば、と呟き、僕は椅子にもたれた。
前から気にはなっていた。……逢坂先生って、いまは恋人とかいないのかな、と。
僕と毎週末飲みに出かけるくらいだから、そういう人はいないと思っていた……けど。
キャバクラにも出入りしてて女の子の知り合いは多そうだ。
僕がつれなくなって、案外とそういう意味で助かっていたりして。
だとしたら、なんかむなしい。
職員室はいま、僕のいる廊下側だけが明るいから、一層寂しい感じになっている。
さまざまな人が行き交い、言葉を交わし、ときには怒鳴り声も飛ぶ。大変な思いしかない職場だけど、騒がしい昼間がやはり恋しい。
僕は目を閉じ、気を取り直すべく大きく伸びをした。
そろそろ帰るかと立ち上がったとき、音楽室と準備室の戸締まりが急に不安になった。
かけた気はする。だけど、最近の自分の行動に自信がない。
僕は、さっきしまったばかりの鍵を取って職員室を出た。
用心に越したことはない。
それにしても真っ暗だ。数十分前に通ってきたばかりの廊下も、まるで異空間のような濃い闇に覆い尽くされている。
でも、確認しないわけにはいかない。戸締まりがもしなってなかったら、また大目玉を食らう。
僕はダッシュで暗がりを進み、まだ灯りの残っている昇降口前を行った。
突き当りを曲がり、第一校舎の長い廊下も駆け抜ける。短めの渡り廊下を通り、音楽室のある別棟へ入る。非常灯のある階段下はほのかに明るい。
その明るさが、二階の闇をさらなるものとしている。
毎日行く場所だから、ドアがどこら辺にあるのか、多少暗くてもなんとなくわかる。ゆっくりと進みつつ目を上げれば、音楽室というプレートが確認できた。
音楽室はちゃんと鍵がかかっていた。
続いて奥の準備室へ壁づたいに向かう。
引手に指をひっかけ、鍵がかかっているのを確認しようと勢いよく腕を引いたら、ドアが開いてびっくりした。
悲鳴の次は間の抜けた声が出た。
……確認しに来てよかった。
一応電気を点けて、中を見回す。すると、楽器を置いてある棚に不自然な隙間があるのに気づいた。
いやな汗が出る。なにかの間違いであってほしいと願った。しかし、何度確認してもフルートのケースが一つなかった。
準備室をくまなく捜しても見当たらない。となりの音楽室の鍵も開け、電気を点けて見渡した。
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