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「あ、じゃあ根津先生も──」
一緒にどうですか、と言おうとしたら、逢坂先生に呼ばれて遮られた。
となりを見てもただ箸を動かしているだけで、なにか言われることもない。
僕としては、根津先生を交えての飲み会がお流れになってしまっていたから、どうせならと声をかけたまでだった。けど今回は、逢坂先生の家でだし、ほいほい声をかけるものじゃなかったのかもしれない。
僕はとなりに頭を下げ、向かいにも「すみません」と謝った。
すると根津先生は、眼鏡の向こうの目を細くして意味深げな声をもらした。
またもや、僕たちのことを変なふうに勘ぐっているのだろうか。
なんとか話題を変えようとご飯に手もつけず考えていたのに、気がつけば逢坂先生と根津先生は僕の知らない話で盛り上がっていた。
定食屋さんを出て学校へ戻ると、僕らのいる職員玄関へ、二、三人の生徒がバタバタとやってきた。
「いたいた。逢坂!」
生徒に腕を取られた途端、逢坂先生はしかめっ面をした。
「なんだ、なんだ」
「バスケ。メンツ足りねえから来て」
「ふざけんな。こちとらメシ食ってきたばっかで動けるかよ」
「なんだよ。逢坂じじいー」
「こら、てめ。俺をじじいなんつったら、ほかの先生方に失礼だろ」
と言いつつ逢坂先生はパーカーの袖を捲っている。仕方ねえなって感じの顔になっている。
僕は廊下の端に寄りながらくすっとなった。
逢坂先生はおもむろに振り向くと、自分は関係ないとさっさと職員室へ帰ろうとしていた根津先生の肩を掴んだ。
生徒たちもそれに便乗する。
「つか、あっちゃんもだよ。じじい」
「ほら敦士。行くぞ」
「俺はじじいで結構。いやあっ。翼ちゃ~ん。助けてー」
逢坂先生に腕を引かれ、生徒たちには背を押され、根津先生は廊下を歩かされていった。
そのとばっちりを受けなかったことにほっとしたような、残念なような気持ちで僕は職員室へ戻った。
廊下でのやりとりとは打って変わってこちらはまったりとしている。
デスクの引き出しから歯磨きセットを取って、職員用のトイレで歯を磨く。再び職員室へ戻ると、デスクで講義ノートを広げた。次の授業の段取りを巡らせながらとなりに目をやって、見たことのない分厚い本が置いてあるのに気づいた。
「算数・数学教育に──」とある。
なにげに開いたら、やっぱり数式がオンパレード。それについての解説もあるけど、最初から最後までちんぷんかんぷんだった。
あったところへ本を戻したとき、僕を呼ぶ声がした。これまた分厚い本を手にして峯口先生がやってきた。
「あ、お疲れさまです」
「これ。このあいだのオススメの本ね」
ルネサンス期の宗教と政治、とある。
僕は椅子から立ち上がり、頭を下げながらその本を受け取った。
「わざわざすみません。お借りします」
いいよ、いいよと手を振って、峯口先生は僕の背後を通った。となりの逢坂先生の椅子へ当たり前のように腰を下ろす。
その行動に若干の引っかかりを覚えたけれど、年功序列的には言い立てることもない。いくら勝手にテリトリーへ入られるのがイヤな逢坂先生でも、峯口先生は先輩なんだからいきなり怒りはしないと思う。
僕が椅子に座り直して本を開くと、横から峯口先生がいろいろと説明してくれる。その一言一句を逃さず、いまはメモることに集中した。
「聖像崇拝禁止令はわかるよね。で、この軍管区制と屯田兵制とか、ピピンの寄進辺りは重要かな」
「あの、先生。付箋とかつけさせてもらってもいいですか?」
「ああ。どうぞどうぞ」
引き出しから付箋を取ると、峯口先生がいま触れたところへ貼りまくった。
なにやら苦笑いされたけど構わずあちこちにつける。
「ま、あくまで参考くらいにね」
「はい」
きい、と僕の椅子が軋んだ。
なにかと思い目を向けると、峯口先生の手が僕の背後にあって、椅子の背もたれを掴んでいた。
「ねえ、渡辺くん。ちょっと話は変わるんだけど……」
と、体を寄せてくる。
それとなく僕が身を引くと、峯口先生の視線がどこかへ移った。
聞き慣れた声が二つ、職員室へ飛び込んできた。逢坂先生と根津先生が戻ってきたのだ。
振り返って見れば、二人の額にはうっすら汗が滲んでいた。根津先生に限ってはネクタイもない。
逢坂先生は僕の背後へ目を動かして、あからさまに表情を険しくした。
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