ーけじめは曖昧で

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 ついつい夢中になってテレビを観た。  タレントが思い出の地を訪ね、語りながら旅歩きしていくというもの。これを毎週観ながら、自分にもそういう土地があるとしたら、どこになるのだろうと考え耽る。行ったことのない場所を旅した気分にもなれるし。  今夜も、ふうん、へえとじっくり観てしまった。  途中、だれかがなにかを言ってきたけど、そこは旅のさなか、返事らしい返事はできなかった。  エンディングを迎え、よしと腕を上げ、伸びをする。  現実に戻ると、ここが自分の家じゃないと、はっと気づいた。  おつまみはほとんどカスとなっている。  恐る恐る振り返れば、ソファーに逢坂先生はいなかった。  自部屋で寛いでいると僕が勘違いしていたときを怒ってくれてないといい。  逢坂先生は対面キッチンのカウンターで、ぐい呑み片手に日本酒を飲んでいた。置いてある瓶には鬼ころしの文字が。  僕は息を呑んだ。  まさか、なにかのメッセージだろうか。  多少は怯みつつ、逢坂先生のとなりに立った。 「あの……そろそろあっち来ません?」 「お前、テレビと飲むなら、うちじゃなくてもよかっただろ」  ああーやっぱり……。  逢坂先生は、自分を放置したことを咎めるような口振りで言ったあと、あごを撫でた。  まるでいじけている子どもみたいな顔つきをして、カウンターに肘をつき、ぐい呑みを傾ける。  申し訳ないという気持ちもあったけど、意外な一面をまた垣間見れた気がして、僕は得した気分にもなっていた。  にやついていたら、さすがにじろりと見られた。慌てて、すみませんと頭を下げる。 「いつも観てるやつだったんで、つい夢中になっちゃって」 「……」 「なんなら消してくれてもよかったんですよ? プチンと」 「消したら消したでさ、べつの問題が」  僕が首を傾げたと同時に、逢坂先生は立ち上がり、ソファーのところへ戻った。ぐい呑みを置き、どかっと腰を下ろす。  僕は、ソファーの背もたれのほうから元の場所へ戻ろうとして、途中で足を止めた。  眼下に頭のてっぺんがある。くせっ毛の僕には羨ましい、きれいなストレート。厚めなのにしっとりしている。  指通りを試してみたいと思った。  もしいま撫でたら、あのときの僕のように逢坂先生も嬉しく思ってくれる……わけないか。  後輩に頭をぽんぽんされて喜ぶ先輩はいない。そもそも、いまはそういうことをする場面でもない。  髪からちょっと出ているとんがり気味の耳。睫毛は長いし、鼻もきれいに通っている。極めつきは、僕より太く長いのに、意外と器用な指。  一つ一つを目に入れ、それを心で象るたび、僕の胸は早鐘を打った。  突然どうしたというのだろう。  足がうまく動かない。左足を出したら、右手はどうするんだっけ。左手を先に動かすんだっけ。  ぎくしゃくし始めた僕を逢坂先生は見上げている。不審げに見つめている。  なんとか進んで、さっきまで自分が座っていた場所へ辿り着く。ちょこんと正座する。  酔いが回ってきたのだろうか。後ろを意識するほどにくらくらは強まる。 「渡辺。……寒いのか? 肩が震えてんぞ」  その肩に手が触れてきた。びくっとすくめたら、腕が前へ回ってきて、ぐっと押された。僕は手をつく間もなく、ラグの上へ倒された。  ソファーから降りた逢坂先生が僕の太ももに跨る。  どことなくまだ夢心地でいた僕はふっと我に返った。肘を立てて少し上体を起こす。 「せ、せせせせ……」  なにをされるのか怖くなって警戒のために身を縮めたら、手首を強めに掴まれた。  しかも先生は、僕の両手を一纏めにして片手で持つ。  支えがなくなると、僕の腹筋は破綻しているから、斜めに上体を保っていられない。完全に起こせば、その胸へと自ら入り込むことになってしまう。  僕は身を捩りながら、横向きの状態でまたラグに倒れた。 「先生、待ってっ。なにを」 「ちょっと黙ってろ」  耳になにかが触れ、囁くような声が大きく聞こえた。  それだけで、僕はすべてを忘れそうになって、抵抗もままならなくなった。  頭のどこかでは、先生ならしょうがないのかなと、諦めに似た気持ちでもいた。 「渡辺……」  切なそうな色を伴っている声。  それに引き寄せられるように顔を向けた。  そこへ、あの唇が落ちてくる。  ……僕は、逢坂先生ととうとうキスをしてしまった。非常事態なはずなのに、そんなことをのんきに思っていた。  だけど、不思議と嫌じゃない。  合わさり、押しつけられ、上唇を食まれ。僕の下唇と逢坂先生の上唇が、離れる最後までくっついていた。
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