ー初めての恋でもないんだから

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 ああ、だから逢坂先生はメールが嫌いなのか。  声の調子とか表情とか。それほど深く観察していたつもりも、考えてもいなかったけど、逢坂先生の気持ちを読み取るのに、だいぶそこに頼っていたんだと気づかされた。  話すでもあんなことでも、面と向かってのやりとりのほうが、僕もいいと思う。  一ヶ月も二ヶ月も会えないわけじゃないんだ。来週には帰ってくるのだから、向こうからなにかあるまで、メールや電話は控えることにした。  新しい週が明け、月曜日のきょう。  留萌に負けず劣らず、こっちも寒い一日になりそうな、外気の冷たさだった。  僕は身を縮めながら職員室へ入り、室内の暖かさにほっと気を緩める。挨拶をすませて自分のデスクへつくと、珍しく先に出勤していた根津先生が、淹れたてのコーヒーの匂いとともにやってきた。  根津先生は椅子へ腰を下ろすや、カップを脇へよけ、前のめり気味になった。 「翼ちゃん。翼ちゃん」 「あ、おはようございます」 「ねえ、あれから継臣と連絡取ってる?」  朝の第一声で、なぜにそんなことを訊いてくるのか。  僕は首を傾けつつ、そのままの形でゆっくりと前に倒した。 「……あ、はい」 「ふーん」 「でも、この土日はメールもできませんでした。僕も忙しかったので。金曜はメールしましたよ」 「ほう」  短く頷いて、根津先生は背もたれに寄りかかった。コーヒーを飲みながら目を天井へ向ける。  なんだかんだ根津先生も、逢坂先生のことが気になるのかもしれない。高校からの長いつき合いだし。というか、逢坂先生は、根津先生とは頻繁にやりとりをしていると、僕は思っていた。  いまだコーヒーを飲みながら考え込んでいる根津先生から視線を外し、僕はカバンのフタを開けた。ノートや筆記具をデスクへ並べる。  そのとき、きいと、椅子の背もたれが鳴った。  なにげなく目線を上げた僕の横に、根津先生がいる。逢坂先生のデスクに陣取り、僕の椅子の座面を掴むと回した。  文字通り、根津先生と膝を突き合わせる格好になる。 「ど、どうしたんですか。いきなり」  背もたれへと、僕は身を引いた。  根津先生は構わず、にやにやしている。これまで、先生のいろんな挙動を見てきて、笑えるものも多かったけど、いまのこの状況は困惑しかない。  すると、根津先生は口元に手を添え、小声で話し始めた。 「ゆうべ、継臣から電話もらったんだ」  僕は目をしばたたいた。 「あいつ、きょう帰ってくるらしい」 「え──」    ……帰ってくる?  初七日法要までは向こうにいる、と言っていたのに、急にどうしたのだろうか。  わけがわからなかった。  僕は根津先生に倣って、身を縮こませた。 「帰ってくるって……予定はまだ終わってませんよね」 「うん。だからさ、なんでかなーと思ったわけ。で、俺が思うに、だれかに会いに帰ってくんじゃねえかなって」 「……」  だれかって……だれだろう。  僕なら、さすがに、なにか言うだろう。僕じゃないにしても、やっぱり、ちょっとくらいは話してくれるんじゃないかと思っている。  だけど、逢坂先生の家族でもなんでもない僕に、そんなことまでいちいち話す義理はないのかもしれない。  そもそも、お祖父さんの初七日を蹴ってまで、会いに行かなきゃならないって、どういう関係の人だろう。  身内ではない。家族も親戚も、北海道に集まっているんだ。友だちにしたって、お祖父さんより優先するとは思えない。  額に手を当て、僕は唸るしかなかった。 「北海道からとんぼ返りなんて、よっぽど大事なヒトなんだろーね。にくいね。あんちきしょーは」  根津先生は跳ねるようにして立ち上がると、椅子の背もたれを叩いた。  僕の頭の中も、そこの座面と一緒で、ぐるぐるしている。 「北海道からとんぼ返りしてまで会う、よっぽど大事なヒト」  それからは、なにも手につかなかった。  冬期講習のために教壇へ立っても、逢坂先生がだれと会おうとしているのか気になって、気になって仕方がなかった。もしやを想像しては、何度もチョークを折った。  お弁当を広げた辺りで、そのもしやは、まさかに変わった。だって、あと可能性があるのは、女の人だ。いわゆる元カノってやつ。  久しぶりに連絡がきて、話が盛り上がって、きょう会うことにした……のだとしたら。ていうか、浮気うんぬんの前に、人として、僕は逢坂先生を軽蔑する。  こそこそするのも男らしくない。そこに少しでも希望があるなら、かけるのが男ってものでも、僕は認めない。  首を横に振った。  ……いや。僕が好きになった逢坂さんは、そんなことは絶対にしない。しないと思いたい。  どうしても会わなきゃいけなくなったなら、それをきちんと説明してくれるはずだ。
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