124人が本棚に入れています
本棚に追加
ああ、だから逢坂先生はメールが嫌いなのか。
声の調子とか表情とか。それほど深く観察していたつもりも、考えてもいなかったけど、逢坂先生の気持ちを読み取るのに、だいぶそこに頼っていたんだと気づかされた。
話すでもあんなことでも、面と向かってのやりとりのほうが、僕もいいと思う。
一ヶ月も二ヶ月も会えないわけじゃないんだ。来週には帰ってくるのだから、向こうからなにかあるまで、メールや電話は控えることにした。
新しい週が明け、月曜日のきょう。
留萌に負けず劣らず、こっちも寒い一日になりそうな、外気の冷たさだった。
僕は身を縮めながら職員室へ入り、室内の暖かさにほっと気を緩める。挨拶をすませて自分のデスクへつくと、珍しく先に出勤していた根津先生が、淹れたてのコーヒーの匂いとともにやってきた。
根津先生は椅子へ腰を下ろすや、カップを脇へよけ、前のめり気味になった。
「翼ちゃん。翼ちゃん」
「あ、おはようございます」
「ねえ、あれから継臣と連絡取ってる?」
朝の第一声で、なぜにそんなことを訊いてくるのか。
僕は首を傾けつつ、そのままの形でゆっくりと前に倒した。
「……あ、はい」
「ふーん」
「でも、この土日はメールもできませんでした。僕も忙しかったので。金曜はメールしましたよ」
「ほう」
短く頷いて、根津先生は背もたれに寄りかかった。コーヒーを飲みながら目を天井へ向ける。
なんだかんだ根津先生も、逢坂先生のことが気になるのかもしれない。高校からの長いつき合いだし。というか、逢坂先生は、根津先生とは頻繁にやりとりをしていると、僕は思っていた。
いまだコーヒーを飲みながら考え込んでいる根津先生から視線を外し、僕はカバンのフタを開けた。ノートや筆記具をデスクへ並べる。
そのとき、きいと、椅子の背もたれが鳴った。
なにげなく目線を上げた僕の横に、根津先生がいる。逢坂先生のデスクに陣取り、僕の椅子の座面を掴むと回した。
文字通り、根津先生と膝を突き合わせる格好になる。
「ど、どうしたんですか。いきなり」
背もたれへと、僕は身を引いた。
根津先生は構わず、にやにやしている。これまで、先生のいろんな挙動を見てきて、笑えるものも多かったけど、いまのこの状況は困惑しかない。
すると、根津先生は口元に手を添え、小声で話し始めた。
「ゆうべ、継臣から電話もらったんだ」
僕は目をしばたたいた。
「あいつ、きょう帰ってくるらしい」
「え──」
……帰ってくる?
初七日法要までは向こうにいる、と言っていたのに、急にどうしたのだろうか。
わけがわからなかった。
僕は根津先生に倣って、身を縮こませた。
「帰ってくるって……予定はまだ終わってませんよね」
「うん。だからさ、なんでかなーと思ったわけ。で、俺が思うに、だれかに会いに帰ってくんじゃねえかなって」
「……」
だれかって……だれだろう。
僕なら、さすがに、なにか言うだろう。僕じゃないにしても、やっぱり、ちょっとくらいは話してくれるんじゃないかと思っている。
だけど、逢坂先生の家族でもなんでもない僕に、そんなことまでいちいち話す義理はないのかもしれない。
そもそも、お祖父さんの初七日を蹴ってまで、会いに行かなきゃならないって、どういう関係の人だろう。
身内ではない。家族も親戚も、北海道に集まっているんだ。友だちにしたって、お祖父さんより優先するとは思えない。
額に手を当て、僕は唸るしかなかった。
「北海道からとんぼ返りなんて、よっぽど大事なヒトなんだろーね。にくいね。あんちきしょーは」
根津先生は跳ねるようにして立ち上がると、椅子の背もたれを叩いた。
僕の頭の中も、そこの座面と一緒で、ぐるぐるしている。
「北海道からとんぼ返りしてまで会う、よっぽど大事なヒト」
それからは、なにも手につかなかった。
冬期講習のために教壇へ立っても、逢坂先生がだれと会おうとしているのか気になって、気になって仕方がなかった。もしやを想像しては、何度もチョークを折った。
お弁当を広げた辺りで、そのもしやは、まさかに変わった。だって、あと可能性があるのは、女の人だ。いわゆる元カノってやつ。
久しぶりに連絡がきて、話が盛り上がって、きょう会うことにした……のだとしたら。ていうか、浮気うんぬんの前に、人として、僕は逢坂先生を軽蔑する。
こそこそするのも男らしくない。そこに少しでも希望があるなら、かけるのが男ってものでも、僕は認めない。
首を横に振った。
……いや。僕が好きになった逢坂さんは、そんなことは絶対にしない。しないと思いたい。
どうしても会わなきゃいけなくなったなら、それをきちんと説明してくれるはずだ。
最初のコメントを投稿しよう!