ー初めての恋でもないんだから

3/5
前へ
/56ページ
次へ
 僕は、お弁当には箸をつけず、思いきって電話してみた。しかし、マナーモードのままで、つながらない。間を置いて、何度かかけてみたけど、変わらなかった。  もし、その元カノとのことが、僕には話せないほど深刻なものだとしたら。それに、どんな人間にも、理屈では説明できない衝動もある。  だけども、逢坂先生は違う。  もう一度強く思った。  ただ、テンションがだだ下がりなのは否めず、おかずを一つ二つ口にしただけで、僕はお弁当のフタを閉めた。  きょうの練習風景も見届け、片づけも終えて職員室へ戻ると、根津先生が残っていた。  コーヒーサーバーから鼻歌が聞こえる。「赤鼻のトナカイ」だ。コーヒーを注ぎ終えると、根津先生は体を揺らしながらカップに口をつけた。  冬休みだから、部活の時間も全体的に押し上がっている。戸締まりはしてきたけど、通常より時間は早かった。外もかろうじて明るい。  根津先生が僕に気づいて、「おつー」と、乾杯でもするかのようにカップを持ち上げた。  僕は、お疲れさまですと、ほかの先生方にも声をかけながらキーボックスへ向かった。 「翼ちゃん。もう帰るの?」  鍵をしまい、頷く。 「きょうは疲れたので、すぐ帰ります」 「だよねー。こんな日は、早く帰ったほうがいいよ」  デスクで身支度を整え、カバンのフタを閉めたらチェスターコートを羽織る。  袖を通しながら、根津先生の言うこんな日ってどんな日なのだろうかと考えた。もしかしたら雪でも降ってきたのかと慌てて窓の外へ視線をやっても、ちらとも白いものは見えなかった。  根津先生に目を移せば、にこやかに手を振っている。言外に早く帰りましょうと仄めかされているようで、僕は素直に、「お先に失礼します」と職員室から出た。 「ばいばーい」と、ものすごく愉しげな声が、壁の向こうから飛んできた。  職員玄関を出て、暖機運転中の車へ乗り込む。車を出す前に携帯を確認したけど、やっぱり着信もメールもなかった。  国道の途中で進路変更した。賑やかだろう街へと車を走らせる。  バイパスに上がり、しばらく行けば、街の中心部が見えてくる。この辺りは、県内屈指の大企業の看板がついたビルや、お菓子メーカーの工場、ショッピングモールなどが並ぶ。  バイパスから下り、もっと街中へ向かう。  やがて警察署が見えてきた。県内きってのイルミネーション通りを進む。  傍らにそびえ立つビルをちらちら視界に入れながら、僕はパーキングへと折れ曲がった。  三十一階建てのそのビルは、周りに比べると突出して高く、展示場や会議室、ホテルなどが収まってある。  二階では、光のカーテンという催しや、青色LEDを使ったツリーが飾られてあった。  さっきから、クリスマスの空気をひしひしと感じているのに、ちっともわくわくしない。  ことしは、ぼっち誕生日会以外の楽しみがあると思っていたのに……。  でも、せっかくここまで来たならと、エレベーターを探した。何人かで乗り込み、最上階の展望フロアへと向かった。  扉が開いて、大きな窓から見えた景色に、自然と足が動いた。  オシャレな都会のビルよろしく、窓が大きく取られてある。仕切りの柱が、でんと中へせり出ている。  眺めは素晴らしかった。イルミネーションに彩られた街を一望できる。車のテールランプがともに道を形作っている。  周辺にある建物の明かりも、きっといつもと変わらないと思うのに、その華やかさに便乗するように、束の間の特別を演出していた。  メインストリートのツリーが小さく見えた。  そのとき、僕のとなりにカップルが立った。人目を憚らず、彼氏が、後ろから彼女に抱きついたり、指に指を絡めたりしている。  僕は顔を前へ戻した。  真っ黒い海が目に入る。  もう少し視線を進めると、川との合流地点が見え、黒い一本線にかかる橋が、何本も見えた。  こっちの日本海は、かの海より穏やかだろう。  遠くに、漁船の灯りが見える。水平線に浮かぶイルミネーションのようだった。  その景色がとみに歪む。抑え切れなかったものを手の甲で拭い、寂しさは呑み込んだ。  それでも、気づくと鞄を開けていて、場所を移動しながら携帯を出した。運転中のマナーモードを解除し忘れたのにも気づいた。
/56ページ

最初のコメントを投稿しよう!

123人が本棚に入れています
本棚に追加