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僕は突然の兄の死を受け入れられず、カメが甲羅に閉じこもるように部屋に閉じ籠もった。
胸の底に鉛みたいにずんと重いものがあって、どうしたって取り除けない。
四十九日が過ぎた頃、僕は兄の部屋からピアスを持ち出した。
そして、こっそり買ったピアッサーで耳にピアスの穴を開けた。
痛みは、胸の痛みと比べたらほんの一瞬だった。
でも、兄のつけていたピアスを刺した瞬間、すっと涙がこぼれ落ちた。
兄がこのピアスを刺すことはもうないんだ。そう思ったら、胸の奥から熱いものが一気にこみ上げてきて、抑えきれず僕は嗚咽した。
翌朝、ピアスをつけた僕を見て、「似合ってるじゃん」と和馬は言った。
僕は笑ってみせた。
体が痛むとき、重いとき、兄との日々を思い出して辛いとき、耳のピアスにそっと触れた。
子供がぬいぐるみを抱いて眠るように、もう片方のピアスを握りしめて眠った。
僕にとって兄のピアスは、カメの甲羅のようなものだと思う。
自分を守るための体の一部、自分自身を見失わないための目印。
でも、いつまでもピアスに——兄に守ってもらっているわけにはいかない。
僕は、ふと、片方のピアスをカメのいる水槽の上に掲げた。
その時、ピアスを持ち去ったのが古谷さんだった。
咄嗟のことで少し驚いたけれど、窓から差し込む春の日差しみたいに真っ直ぐな古谷さんの明るさは、まだ冬の中にいた僕の心を少しずつ溶かしてくれた。
朝、家を出ると和馬が何食わぬ顔で待っていて、放課後になると古谷さんが理科室を訪れ、カメのお世話をして、三人で川沿いを歩いて帰る。
ゆっくりとしか歩いていけない僕だからこそ、気づけるものが確かにあった。何気なく僕の隣を歩いてくれる古谷さんの温かさとか、それを見守る和馬の優しい眼差しとか、なんてこともないことで三人が笑い合う時間の素晴らしさとか。
だから、僕はふたたび歩き出す。
目を開けて、橋の向こうを真っ直ぐ前を見据える。
一歩、また一歩と足を踏み出す。
一人一人、背負うものも歩くペースも違う。ずっと同じペースで走り続けられることはできないし、立ち止まることだってある。
「目高―!」
「侑李——」
古谷さんと和馬の声が聞こえる。
橋を渡り切ると、僕は川沿いを走り出した。
川の水面は日の光を受けて、きらきらと反射する。水はゆっくりと流れていく。どこまでも遠くへと流れていく。
春が来て水槽の中でカメが目を覚ましたら、三人でここに来よう。
きっとカメは、古谷さんが運んでくれた石の上から川に飛び込んで、水中を泳いでいく。
代わりに水槽にはピアスを入れよう。
コンクリートを蹴る足裏から、生きている心地よさが僕の中を駆け抜けた。
END
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