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二階の窓際の席は、外を眺めるのには特等席だ。
校庭では、隣のクラスの男子生徒たちがサッカーボールの動きに合わせて右往左往している。
やる気なく適当に走る生徒、先頭でボールをドリブルする生徒、全体を見渡しながらパスを待つ生徒。
みんなが動いている中で、校庭の片隅で背中を小さく丸めて座っている生徒がやけに目に付く。
だぼっとした大きめのジャージを着た彼の髪が風で揺れる。
昨日の放課後の出来事がふわっと頭を掠めた。風で髪が揺れて見えた、耳元のピアス。
彼の持つあどけなさと重厚そうな黒色のピアスのアンバランスさが妙に胸の奥に引っ掛かる。
私はスカートのポケットに左手を入れて、奪ったままのピアスの感覚を確かめる。
思ったよりも重みのある黒色の飾り部分。そこから伸びる金具の先端を指の腹でぐっと押す。
彼は今日もピアスをしているのだろうか。
胸の奥にピアスの先端が中途半端に刺さったように引っ掛かって抜けない。
私は彼の背中を見つめ続けた。
放課後、昇降口に向かうと水槽の前に彼の姿があった。
両手で水槽の底を持ち上げ、抱えたまま廊下の向こうへと歩いていく。
大切なものを運ぶようにゆっくりと進んでいく。
まだ数歩しか歩いていないのに水槽を下ろして廊下に座り込んだ。一息つくと再び持ち上げて歩き出す。
でも、五、六歩足を進めたところで、また水槽をおろす。
亀が歩くよりも遅いんじゃないだろうか。
「手伝うよ。どこに運ぶの?」
なんだか見ていられなくなって、私は駆け寄って水槽の横にしゃがみ込んだ。
彼は少しだけ驚いた表情を浮かべて、「ありがとう」と微笑んだ。
真近で見た彼の顔は女の子みたいに綺麗な顔で、微笑むとより一層可愛らしくて何故だか歯痒い気持ちになった。
彼は廊下を曲がった先にある「第一理科室」を指差す。
「せいのっ」
水槽を隔てて向き合い、目線を合わせて立ち上がる。持ち上げた水槽は思っていたよりも軽くて、私は拍子抜けした。これなら私一人でも持てそうだ。
「ごめん、もう少しゆっくり歩いてもらっていい?」
「あ、ごめん」
せっかちな私の悪い癖が出ていた。彼の歩幅に合わせながら廊下を進み、第一理科室へと入っていく。
カメは慣れているのか石の上で動かずじっとしている。
「ここでいい?」
「うん、ありがとう、助かった」
そっと手を離し、水槽を実験台の端に備え付けられているシンクへと下ろす。
顔を上げた彼の耳元に黒く光るピアスが見えた。
「そうだ。これ、そのまま持って帰っちゃって」
私はスカートのポケットからピアスを取り出し、彼に手渡した。
彼はピアスを握り締めた手をゆっくりと上げて、人差し指を口元に添えた。
内緒ってことだろうか。逆に気になるじゃないか。
彼は黒い天板の上に置いていたスーパーの袋からコップと小さな網とブラシを取り出し、水槽の底の砂利についた汚れをブラシで落とし、水中に浮かんだ汚れをコップで掬って取り除いていく。
一つ一つの動作があまりにもゆっくりで、私がやったらもっと早くできるのにと思ってしまう。
でも、その動きは川の流れや春に咲く桜のようにとても自然で、見ていると心が落ち着いてくる。
「いつも一人でやってるの?」
「生物部の先輩たちが卒業しちゃったから」
彼はペットボトルを傾けて、水槽に水を注ぐ。
「お、カメ、喜んでるねー」
綺麗になった水槽の中でカメは気持ちよさそうに泳ぐ。
「古谷さんは、カメ好きなの?」
「んー、好きでも嫌いでもない。
ってか、名前知ってたんだ」
彼は静かに私の胸元の名札を指差す。
「あ、そっか」
私は彼の名札を見つめる。
「目高って言うの?」
メダカと同じ発音で言った。
メダカがカメの世話してる、と心の中で呟きながら。
「メダカ、じゃなくて、尾高とか穂高と同じ発音」
「目高」
「うん」
もう一度、名前を呼ぶと目高は優しく微笑んで見せた。
——トン、トン
窓を叩く音がして、そちらに視線を向けた。
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