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私は口をつぐんだ。
一人の剣道部員のことを頭に思い浮かべていた。
一緒に剣道部に入ったその子は、小柄だが運動神経が抜群に良くて、入部前から剣道をやっていた私をすぐに追い抜かしてしまった。
私は悔しくて、誰よりも努力した。いつだって、私の手は豆だらけだった。
彼女が後輩や同期と楽しそうに練習をしているのを見ると、怪我で練習できない私だけが蚊帳の外にいる気がして苦しかった。悔しかった。
勝手なライバル意識だってわかっている。
でも、彼女を見ていると焦燥感やもやもやとした感情が私の胸を覆った。
医師から許可が出て、久しぶりに防具をつけて練習に参加した。順番が回ってきて彼女と対峙したとき、すぐにわかった。
剣先の鋭さも早さも以前より格段に上達していた。
ああ、もう、どうしたって追いつけない。
アキレス腱が切れたときよりも鈍い音が胸の底に響いた。
心が折れる音だった。
その翌日から、まだ足が痛いからと理由をつけて、私は部活に行かなくなった。
——踏み込むのが、怖くなっていた。
「カメって、同じ種類のカメでも甲羅の大きさも歩く早さも違うんだって」
目高は石の上のカメを見つめながら、唐突に言った。
「人間だって同じだと思うんだ。背負うものも、歩く早さも違う。
だから、誰かと比べるんじゃなくて、自分のペースで歩いていくことが何よりも大切だと思うんだ」
引っかかっていたピアスの先が胸を優しく突き刺して、風が吹き抜けた。
胸を覆っていたもやもやした感情がスッと消えて、澄んだ空気が胸を満たす。
靄がかっていた視界が開けていく。
「手のひら、豆だらけ」
目高は私の手のひらにそっと触れた。
少し冷たい指先から、彼の優しさと強さが同時に伝わってきた。
私は意地っ張りで負けず嫌いで、そして弱虫だ。
彼は、私の何倍、何十倍も強い。
誰かと比べることで自分を推し量るのではなく、きちんと自分自身を見つめて、自分のペースで歩いていく。
それって簡単なことじゃない。けど、私も自分の人生を自分のペースで歩いていきたい。
石の上を見ると、カメが縁から首を伸ばして川を覗き込んでいる。飛び込むタイミングを伺っている。
きっと、みずから飛び込んでいく未来は、そんなに遠くない気がした。
「侑李ー! 早めに戻れよー」
声が聞こえて振り向くと、土手の上にサッカー部のユニフォームを着た一条が立っているのが見えた。
「うん!」
目高はゆっくりと立ち上がって、大きく手を降った。
一条はすぐに走り出し、少し前を走るサッカー部の群れに戻っていった。
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