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この世界には、二種類の人間がいる、必要とされる人間と、そうではない人間。
彼は、後者だと、少なくとも彼はそう思っていた。
「ん……」
昇る朝日と共に、九森 椿(くもり つばき)は目を覚ます。
狭い部屋の半分ほどを占めるベットの中で、体をもぞもぞとさせてから、ゆっくり起き上がるのは、見た目にして十二歳ほどの少女だ。
小柄な体を明らかにサイズの大きい服で覆った黒い短髪の少女は、体をグッと伸ばすとベットから降りて、その下の収納スペースから着替えを取り出す。
「さむ……」
椿の部屋には暖房などといった設備は供えられていない、だから冬場は凍えるような寒さだし、夏場は地獄の蒸し暑さだ。
そんな部屋に何故椿は押し込められているのか、答えは簡単、いないもののような扱いを受けているからだ。
椿は一度服を脱ぐ、すると凹凸のない体があらわになる、椿は彼、であった、その実年齢も本当のところは十六であるが、お下がりの服を着れば、その事実に気が付くものは皆無だろう。
黒い短パンと、白いシャツを着て、その上から水色のパーカーをきる、いくら長い靴下をはいても冬の気配が完全に背後まで忍んできたこの季節では、適しているとは言えない格好だろう。
「いってきます」
しかし、服は限られているのだから仕方がない、そんなことを思って、椿は部屋、と言うよりも倉庫のような個室から抜けると、まだひんやりとした廊下に一言そうやって言葉を残して家を後にする。
「はぁっ……やっぱりさむいなぁ……」
ため息を手の中に浮かべてなるべく体を温めようとするが、やはりそれではどうしようもないのが現実。
無駄に大きな一軒家を抜け出して椿が目指すのは住宅街の奥にある広場周辺。
彼が暮らす鈴蘭市は非常に大きい開発都市であり、灯台をモチーフとした展望台を中心に広がる町並みは壮観の一言だろうが、椿にとってはどうでもいいことだ。
なにも無意味に寒い外に繰り出すわけではない、椿には一つの目的があった。
「あ、椿くん」
むやみに歩いていると、動きやすそうな格好で、小走りに椿のもとに長髪の女性がやってきた。
整った顔立ちに、美しい体躯の女性、いや、そう見えるだけで実際はその女性は男性だった。
「おはようございますアサヒさん。今日も寒いですね」
「うんおはよう、椿君はよく平気だね」
アサヒ、と呼ばれた人物は、見ている方がほっこりしそうな笑顔で椿を見ると、ランニングをやめて隣を歩幅を合わせて歩いてくれる。
何だか兄弟みたいだなと、椿は思った。
「椿君は今日もお散歩? 毎日偉いね」
「い、いや、アサヒさんも、毎日ランニングしてるじゃないですか……すごいですよ」
椿の言葉にアサヒはそんなことないよー。とだけ答えた。椿がこんな早くから出歩くのは、家に居づらいからではない、もちろんそれもあるし、最初はそれだけだったが、最近はアサヒに会うため……と言うニュアンスが非常に大きい。
家に居場所がない彼にとって、アサヒは救いともいえる存在だった、数か月前のこの時間、ただぼんやり過ごしていたところに話しかけてきたのが彼だった。
学校にも行けず、普段わずかな金銭のみを渡されてそれで生活を余儀なくされている椿にとって、アサヒはまるで太陽だった、椿はそんなことにも気が付かないアサヒの笑顔にどきまきしながら、椿はたわいもない雑談をしながらあさのひかりを浴びて歩く。
「じゃ、私はこっちだから」
アサヒは住宅街の奥で立ち止まると優しい笑顔でそう言った。
「あ、は、はい……ま、また……」
いいにおいを残しながら、格安のマンションに入っていく朝日の背中を、椿は一人見つめ続けた。
「あんな人が家族だったらなぁ」
そろそろ人が多くなり始めるだろう、その前に椿は誰もいない道の半ば、植え込みのふちに座って思わずぼやいた。
「……」
椿は何も言わずに玄関をなるべく静かに開けた。
理由は簡単、兄と妹が起きている時間だからだ。
「ん? おい! アレが帰ってきたらしぞ!」
「そうみたいね! なんで帰ってくるのかな? 外で野垂れ死ねばいいのに」
家に入ると聞くに堪えない罵声が椿を襲った。
椿は父の連れ子だった、その父も莫大な遺産を残して数年前に死んだ、血のつながらない母や兄、妹にとって椿は邪魔者でしかなかった。
椿は自分の悪口で盛り上がるリビングに入ると、兄と妹をなるべく視界に入れないように、戸棚の中を漁る、隅っこの方に丸めてごみのように入れて袋を取り出せば、その中に入っているのは安い菓子パンだ。
血のつながらない兄弟の冷たい嘲笑を背中に浴びながら、椿は自室……という名の倉庫、あるいは独房に椿は入り込んだ。
狭くて寒い個室で、椿は菓子パンをかじる。
その菓子パンは特別な味などついていないはずであるが、椿にはそれが妙にしょっぱく感じた。涙であると、椿にはそれが分かった。
兄弟にごみのように扱われ、母にはいないような扱いを受けて。椿は思うのであった、いっその事こいつら全員噂の化け物にでも襲われてしまえ。と。
鈴蘭市には、ある噂がある、人を襲う化け物が出るというのだ。その化け物の姿かたちは様々だが、夜になると化け物が現れて人を襲うというのだ。
そんな化け物にでも襲われてしまえといった思考にとらわれながら、椿は首を横に振る。
それが逃避的な思考であるとわかっているからだ。
そもそも化け物のうわさにはそれを退治する魔法少女とやらのうわさがワンセットだ。
噂としても、理論上でもばかげた妄想に椿は思わずため息をつきながら、パンのかけらを口に放り込んだ。
それはちょうど時計の針が二本とも真上を刺した時であった。
昼下がりの日差しは寒い風が吹き抜けるこの時期には、ちょうど心地いいほどだった。
特に行く当てもなく商業区を歩くが、やはり人が多いと椿は思った。そのほとんどが、家族や友人と共に、休日を過ごす者たちだった、自分とは真逆のキラキラした人たちに、椿は思わずうなだれる。
「ニャー……」
その時、ふと猫の鳴き声が聞こえた。期から降りられなくなったようだ。そんなベターな、と思いながら、そうなればそれを助ける主人公もベターだろうと思いながら、自分の身長と運動神経では木の上にいる猫の救出など不可能だという事実に思い至る。
「おい! 鈴二! もうちょい右だって!」
「まったく……こうか?」
そして木の下にいるのは、ベターな主人公たち。だろう、セーラー服の少女を、背の高い少年が肩車して、子猫に手を伸ばしている。
その周りにはちょっとした人だかりができていて、椿もそこに加わっていた。
「よし届いた!」
少女の方が叫んだ。木から子猫を救い出し、理不尽にも引っかかれながら地面に下してやっていた。
辺りからちょっとした歓声が沸き上がる、まるで本当のヒーローのように。
椿は自分の胸がちくりと刺されて、苦しくなるような錯覚を覚えた。
自分にも、あんな風に誰かを救えたらいいのに、そうしたらきっとみんな僕を必要としてくれて、僕を求めてくれる。
そんなくだらないシンデレラストーリーを思い描いて、椿は首を振った。これ以上はやめるべきだと、だってこんなくだらない妄想に意味はないのだから。
椿は拍手を送られる二人に背を向けて無言で歩く、どこに行くわけではない、ただ時間を潰すだけの目的で、椿は歩みを進めた。
それから時計の針が、再び真上をさそうとしていた時だった、真空のように静かな真夜中、椿はいまだに外を歩いていた。
今日は土曜日であるため、明日もまた休み、兄弟たちや母がまだ起きている可能性が高いと。だから椿はいまだに外にいた。
「はぁ……」
公園のブランコに、いい加減に座って椿は憂鬱な気持ちになった。冷たい風が椿のほほを、太ももを撫でた。
『ギャオオォォォォ……』
遠くで、機械のような音が聞こえて椿はふと立ち上がった。
「……て」
その音に交じって、微かな音が椿の耳を刺した。
「……? ……! あっ!」
何なのだろう、と首を傾げて椿は、熱を自分の左手の薬指に感じた。
「指輪……」
銀色のわっかの天面に、白い宝石が付けられた指輪。
ほのかな光に導かれるように、椿は歩きだす、音の聞こえた方に引っ張られるように近付くと、ほのかに光が強くなる、気が付けば椿は、導かれるように走っていた。
「た、たすけてくれ!!」
『ギュウウウウギッギギギ!!』
男性は、大きな体を引きずる黒い蛇のような化け物に追い回されながら叫んだ。その化け物の名前はワクナーイ。
男はスーツを乱しながら裏路地から広間に踊るように飛び出た。
「ひぃ……」
『グルルルル……』
転ぶ男は、目の前にまで迫った怪物を見て気絶寸前の恐怖に襲われた。
「まて!」
そこに、椿はほとんど何も考えずに躍り出た、近場の石をワクナーイに向かって投げて、その注目を自分に向ける。
「はやく逃げて!!」
椿はもはや何も考えずに叫んでいた、普段ならばあり得ない行動だったが、指輪が不思議と自分に勇気を与えてくれている気がした。
『グギ……!』
ワクナーイが短く吠えた。
(あぁ、なんでこんなことしてるんだろ)
椿は心の中で絶叫した。ワクナーイはこちらに向かってゆっくりと進んできた。それと同時に指輪は強く発光して、光が椿の瞳を突き刺す。
「うっ!」
光を遮ろうと、椿は指輪に触れた。その瞬間だった。
真っ白な光が椿を包む、手を、足を、体全体を光が包み、それが消えた時には、そこにいたのは先ほどまでの椿ではなかった。
真っ白な、花をモチーフにしたドレスに、真っ白な髪、長いブーツに、仮面舞踏会に出てきそうなバタフライマスク。
この街には噂がある、人を襲う化け物と、それを退治する魔法少女。
椿は、今宵初めて変身した。この街の新たな魔法少女に。
「な、なにこれ……」
椿は、風がスカートを揺らす感覚に思わず絶句した、あまりに恥ずかしい格好に、脳みそがくらっとくるかんかくを覚えた。
死ぬほど恥ずかしい、椿は顔を真っ赤に染めながらそんなことを思ったが、それと同時に感じる、体の奥底から湧き上がってくる力を。
『グッギギギイ!!!』
その瞬間、ワクナーイは椿にとびかかった、あまりにすっとろい動きだと椿は思った、会費は容易、そして、それを飛びのいて交わして自分の体が異常に軽かったことで気が付く。
相手が遅いのではない、自分が早すぎるのだと。
「恥ずかしい……けど! これなら!」
地面を蹴とばして、ライフルの弾丸のような速さで、ワクナーイの懐に潜り込み、その頭部をしたから持ち上げるように突き上げる。
ワクナーイのは『ギ!』と声をあげながらのけぞるが、それでも椿の追撃は止まらない。
上から、下から、横から、後ろから。
何よりも早くワクナーイを四方から殴り飛ばして最後にけりを入れるとワクナーイから離れる。
「はは、すごい……これ、僕の力なんだ」
十メートルはあるだろうワクナーイを前にして、椿は思わずつぶやいた。
ワクナーイは肩で息をするように体を上下に動かしていた。誰の目に見てもわかる虫の息というやつだ。
「この力があればきっと、みんなが僕を……」
椿は一言つぶやくと指輪に触れた。虚空から出てきた白いレイピアに、椿はもはや驚かない。
レイピアを握りしめ、そのつかの部分で、指輪を刺激する。
漏れ出す光がレイピアを包んで、光を残して椿は消えた、いや、ワクナーイを目にもとまらぬ速さで切り捨てたのだ。
椿を見失った哀れな蛇を背中に、椿はもはや直視もせずにつぶやいた。
「今日から私がこの街の魔法少女……カミリアだ!」
誰に宣言したわけでもない一言は、夜の暗闇に溶けて消えていった。
魔法少女カミリアは夜空を見上げて決意を決めた。
「私だけがこの街の魔法少女だ」と。
そうすればきっと、家族が自分を認めると、世界が自分を必要としてくれると信じて……。
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