0人が本棚に入れています
本棚に追加
今日もまた、いつもの一日が始まる。
新規採用されたときの喜びも、夢も希望も感じられない程に、僕はこの日々の生活に馴染みきってしまっていた。
もっとも、馴染むことが悪いわけではない。
この会社に入ってもう二十年。それでまるで会社に馴染めていないのであれば、それこそ問題だ。
でも、馴染むのと同時に失っていってしまったようだ。
何気ない毎日が、少しずつ、ゆっくりと、それと気づかないうちに、僕の心と体から若さと情熱を奪っていっていたのだ。
僕はまだ結婚もしていない。
そして、きっとこの歳ではもうそんな機会には恵まれないと思っている。
だから、後は定年まで働いて、静かに老後を過ごして、一人で死んでいくのだろう。
それを寂しくも思うが、仕方がないと諦めている自分がいる。
おかしいな。
僕にはもっと夢があったはずなのに。
幼かったあの頃には、未来は輝いていたはずなのに。
なんで、こうなってしまったのだろう……。
僕はそんな後悔をしながらも、漫然とした日々を甘受する。
そんな僕に転機が訪れたのは、とあるなんでもない平日の昼だった。
同僚とお昼を食べに外に出た帰り道。
杖を突きながら、こちらに向かって歩いて来ていたお婆さんが、不意にアスファルトの道に跪き、苦しそうに胸を抑え始めた。
「おい、あの婆さん……」
同僚のその言葉が耳に入るよりも早く、僕は駆け出していた。
「大丈夫ですか? すぐに救急車を呼びますからね」
明らかに苦しそうなお婆さんに歩み寄って、跪いて声を掛けると、僕はスマホを取り出して救急車を呼ぶ。
幸い、救急車はすぐに駆けつけてくれた。
しかし、その頃には、お婆さんの顔色は少しずつ良くなってきていた。
軽い発作のようなものだったのだろうか?
大事なかったことは良かったのだが、救急車を呼んでしまったことに、なんとも言えない罪悪感を覚えてしまう。
「患者はどちらですか?」
慌てた声で駆け寄ってくる救急隊員二人に、僕は体で合図をして来てもらう。
「こちらの方が、不意に胸を抑えて苦しそうにされていたので……」
なんとも狡い言い方を僕はしてしまう。
このお婆さんが苦しそうにしていたから救急車を呼んだだけですと、予防線を張っている自分に呆れる。
歳を取ると、自分の保身ばかりを考えてしまうようだ。
「お婆さん、念の為病院に行きましょう。救急車ですぐに送りますから」
「はっ、はい……」
それまで発作の苦しさと、それが治まってからも、突然駆け寄った僕や救急隊員に驚いて声が出なかったお婆さんが、初めて口を開いた。
余計なことをしてしまった。
すっかり顔色がよくなってきたお婆さんを見て、僕は自分の行動を恥ずかしく思う。
でも……。
「ありがとうね、お兄さん。心配してくれて。……本当にありがとう」
オロオロとしていたはずのお婆さんは、笑顔を浮かべ、僕にお礼を言ってくれたのだ。
そして、彼女は担架に乗せられて救急車に運ばれていくまで、何度も僕に感謝の言葉を口にしてくれた。
その言葉に、自己保身を考えていた僕は恥ずかしくなる。そして、そんな感情以上に、僕は気遣いをしてくれたお婆さんの心遣いに感謝する。
気がつくと、いつの間にか周りには野次馬が集まっていたようだったが、救急車が離れていくにつれて、ぞろぞろとみんなこの場を離れていった。
「おつかれさん。大事なくてよかったな」
それまで遠巻きに見ていた同僚が、僕の背中を軽く叩いて労ってくれた。
「あっ、うん……」
僕は生返事をして、救急車が向かっていった方向をぼんやりと見ていた。
ありがとうと言われた。
確かにあのお婆さんよりはずっと若いだろうが、お兄さんとも言われた。こんなくたびれたおじさんである僕が。
そして、すっかり衰えたと思っていたこの体も、まだまだ走ることができることに気付かされた。
名前も名乗らなかったこともあってか、僕は、それからそのお婆さんと会ってはいない。
無事であればいいと願うばかりだ。
でも、この出来事をきっかけに、僕は少しだけ前向きになることができた。
齢を重ねても、まだまだこの体は走ることができる。誰かの役に立つことができる。
あのお婆さんとの一件が、そんな事に気づかせてくれた。
先を悲観していた自分が馬鹿らしくなった。
そんなことは、もっと年老いてから考えればいいのだ。
それに、自分は未熟だ。成長しなければいけない。
この歳になって、独り身の自分にはもう何もないと思っていたはずなのに、自己保身を考えてしまったことが恥ずかしい。
あのお婆さんのように、人の厚意に感謝できるような、気遣いができるような人間にならなければいけないと思う。
まだまだ、あのお婆さんの年になるには時間がある。
それならば、走れるうちは走ろう。
先が見えたからと思いこんで、歩いている暇なんてない。
だって、僕は本当に未熟だから。成長しなければいけないし、成長する伸びしろは、まだきっと残されているはずだ。
いつかあのお婆さんと同じ齢になる頃に、人の厚意に、『ありがとう』と素直に言える人間にならなければ。
そう考えると、力が湧いてきた。
先達が自分よりも遠い場所にいるのであれば、自分もそこまではたどり着いてみたい。
それは、幼い頃夢見た、キラキラした未来ではないのかもしれない。
けれど、こんなふうに齢を重ねられるようになりたいという目標はできた。
それならば、そこに向かって走り出すだけだ。
僕はそんな事を思いながら、今日をしっかりと生き、走り続けるのだった。
最初のコメントを投稿しよう!