第一部 『作り物』の世界の中

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「おかえり、杏南」 彼は何食わぬ顔で、エプロン姿で台所に立ち、野菜を切っている。 「無言で帰ってくんな、挨拶ぐらいは……」 「あのさぁ、聞いてないよ……何で居るのよ!」 口を尖らせ冷たく言い放つ私に、彼はあっさりと当たり前のようにこう言った。 「当たり前でしょ、今日ぐらいは帰ってくるよ」 淡々とした彼の言葉。 その言葉は火傷のように、じりじりと胸を締め付ける。 「……何処行ってたの?」 「あそこ」 彼が鍋をかき混ぜながら指した場所には、イーゼルの上にスケッチブックが置かれてある。 手にしてページを捲ると──そこには広がる蒼い海、オレンジの屋根が連なる美しい港街の光景が広がっていた。 「どこ?ここ」 「クロアチア。今度友好都市になるから、役所に飾る絵の依頼なんだ」 彼はまた包丁で何かを切りながら、この描かれている街について語りだす。 強固な城壁が見事だったこと。色々な文化の影響を受けて独自に進化し、様々な時代の歴史的建造物がひしめいていること。吹き抜ける潮風が、気持ち良かったこと。 私は話し半分に聞きながら、ページを捲っていく。 話を聞かなくても、このスケッチからでも充分に街の美しさが伝わってくる。 まるで綺麗なものだけを切り出して、私に伝えているようだった。
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