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「私たちって仕事してきたよね。」
唐突な言葉にまたもや目を丸くしながら、
「え、ああうん。」
さつきが、それはそう、と頷いている。
「で、自分の足で立っていられるくらいの地位と収入は得ているよね。」
「まあそうだね。自分しかいないからね、支えてくれるの。」
「でもさ、楽しいじゃん、それで十分。時間全部自分の為に使えて、好きなもの買えて、好きなもの見たり聞いたりして。」
「うん、そうだね。」
「なのにさ、」
深い溜息が思わず出た。
「―由良先生がいない毎日が考えられなくなってきた?」
またグラスを掲げている。さつきは自分のことになると何もわからなくなるのに、他人のことは本当によく見えている。
「乾杯って、何よそれ。はい、おかわり。」
掲げられているグラスに白ワインを注ぐ。今日は辛口のピノグリッジオだ。
「ありがと。」
そう言って目を細めてワインを啜っている。
「この生ハムとカマンベール異様に美味しいから、食べちゃいなよ。」
そう言ってお皿をさつきの方へと押しやる。ん、サンキュ、ほんとここの美味しいよね、と言いながらモグモグ食べている。可愛い。
「それさ、」
モグモグ動く口に向かって言う。目を見るのは照れくさいから。
「死ぬほどイヤなんだよなあ。」
「?」
「だって一人で人生十分楽しんできたのに、誰かと一緒とかって。これ、また戻るんだよ?何ヶ月か何年かはわからないけど、また一人に戻る。その時にさ、すっかり忘れちゃってたりしたら最悪じゃない。一人で自分の足で立って楽しく生活していた頃のこと。」
「戻るって…そんなの、わかんないじゃない。」
親友として真っ当な返事が戻ってきた。
「ありがと、でもわかるよ。わかる。」
当たり前だ、そんなの。肝試しだろうが刷り込みだろうが、いつか由良が必ず正気に戻る時がくる。その時、私はどうやって生き延びれば良いのだろう?だから気持ちを引き締める。心の柔らかなところを100パーセントは明け渡さない。正当な防衛反応だ。
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