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「それにさ、」
何よ、まだあるの?どんどん眉間の皺を深くして心配そうになってきたさつきは、とうとうグラスを置いてしまった。
「どうみても狩るタイプなんだよね、あいつは。」
「刈る?」
ご丁寧に中腰になって稲狩りの真似をしているさつきに吹いてしまう。
「違う、違う、こっちの狩る。」
そう言ってお返しに、私も立ち上がって槍投げの真似をしてみた。
「エッホエッホ?」
「そう、そのエッホエッホ。」
そう言ってから二人で吹き出してしまった。涙まで浮かんでくる。
「ああ、でもわかるわ。わかる。どうみても狩猟民だよね、由良先生は。」
お腹痛くなっちゃった、とさつきも目尻を拭いている。
「でしょ?だから手に入ったらすぐ興味を失うタイプ。」
「釣った魚…?」
「そう、それ。」
「で、次の獲物にエッホエッホ?」
私は頷いて生ハムでカマンベールをくるんだ。大口を開けてそれを放り込み、ピノをごくりと飲む。至福の味わいだ。こんな時に慰めてくれられるほどの美味さ加減で。
「ああ、だからか。」
さつきが膝を打った。激しく頷きながら。
「何よ?」
「だから余計素直になれないんだ。絵梨花、怖いんでしょ、気持ち告った途端にあっちが冷めるとかって。」
「まあ。」
いやーん可愛い、絵梨花。突然頬ずりされている。さつき、酔ってるのか?
「じゃあ、まだ何も言ってないの?もはや由良先生、永遠の片想い状態で凍結されてるとか、ろくでなしの女帝に?」
「私は雪の女王じゃないって。」
レリゴーレリゴー、とエアマイクで歌い出すから確かに酔ってるのだろう。
「でもさ、」
「何よ?」
「もの凄く綺麗になったよ、絵梨花。」
突然真面目な顔に戻って言われるから照れるのも忘れた。
「え?」
「さすが由良先生。」
「何かそれ、いいとこ全部あいつが持ってってない?」
あはは、それはそうか。でも仕方ないじゃん、あの由良先生だよ?といつの間にか裏切り者になった親友がゲラゲラ笑っている。
腹立ちまぎれにもう一杯注いでグビグビ飲んでる最中だった。
「夜の帝王vs 女帝って最終的にどっちが勝つんだろうね。なんかもう流血しか予測出来ないけど。」
さつきが首を傾げて言ったのは。
「よ、ゲホゲホ。」
夜の帝王発言のせいでワインが気管に入ってしまった。激しくむせて背中を叩いてもらって、ようやく収まった。さっきとは違う涙が目尻に滲んだ。
「いきなり夜の帝王とかって、何それ?」
「だってあんた私が何回バンドエイド貼ったと思ってんのよ。」
あ。そうだった。つい由良と抱き合うと頭の中が炎のようになってしまってどこにどう口づけされたかあまり覚えていない。というか覚えていられない、翻弄されすぎて。それでうっかり病棟に出たところで、
「ちょっ。」
慌てふためいたさつきに有無をいわさず首根っこを押さえられて(文字通り)、バンドエイドを貼られた。それも一度や二度じゃない。希彦には首は注意してと言うのだけれど、あっちもあっちでそれほど余裕がある訳でもないようで、気を付けるとはいうものの、いざことに及ぶとそれどころではなくなってしまう。らしい。
「その節は、」
「どの節よ?五回はくだらないけど。」
珍しくシャープに切り込まれる。
「…お世話になりかたじけなく。」
いや、でもそうだよね、あの由良先生が相手だもんね、ああのぼせてきちゃう、と勝手に赤くなって扇いでまでいるさつきを刺す。
「大地ならどうなのよ?想像してごらんよ。まああの人はキスマークとかつけなさそうだよね、24時間365日紳士だもんね。」
うげ、げえ、ごほごほ、と断末魔のガマガエルのような声をだして今度はさつきが咳き込んだ。
「女帝、底意地悪すぎ。」
あっはっは。
親友に情けない心情を吐露して、改めてこの恋愛は厄介だと思い知る。心の何もかもを明け渡せない不自由さに安堵しながら悲しく思う。常に恐怖と闘っている。あの人が去って行った後にえぐり取られた傷の深さを易々と想像出来てしまうから。
夜更けにグラスを磨きながら深い溜息をついた。
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