幻影の終焉

2/16
2人が本棚に入れています
本棚に追加
/16ページ
 酷く漠然とした食品の匂いが、淡く、淡く、空間内に漂っている。  怨霊がざわめくように騒がしい。客と従業員の割合は八対二だが、後者の声の方が存在感がある。声の質が清澄だからだろう。  待合スペースから四・五人の客が物理的に逸脱し、タッチパネル方式の機械の手前の領域を侵犯している。代金が支払われたのと引き換えに、袋に入れられた握り寿司の詰め合わせが従業員の手から客の手へと渡る。不必要に思えるほど大きな会計札を手にした家族連れが、緩慢な歩の運びで会計カウンターの前までやって来る。機械の後方に待機した店員が、本日何度目だろう、二桁の数字を口にした。  私は手元に視線を落とす。三桁の数字と、握り締めた紙片に印字された番号は、寸分違わずに合致している。出入口に程近い壁から背中を離し、店員に歩み寄って紙片を手渡す。店員はマニュアルに則って応対する。滑舌がよく、声の調子は明朗で、いかにもサービス業に従事する人間という印象だ。  店員は体の向きを転換し、歩き出した。私はその後に続く。店員の焦げ茶色の靴は、その表面に照明の光を受けて艶めき、肌理の粗い灰色の床を踏むたびに微音を奏でる。  突如として、頭上から換気扇の作動音が聞こえてきた。風圧はいささかも感じない。換気扇の羽根は象牙のような白さで、自身を取り巻く闇を撹拌している。散り散りになった純黒は、プラスチック製の格子を通過して絶え間なく店内へと流入するが、LED照明の清らかな光の効能によってたちどころに浄化され、儚く霧散する。その下を、私を背後に従えた店員は、聖俗を超越したように大股で歩む。  視界の端に、回転寿司のレーンが映った。レーンの速度は、一般的なそれよりも幾分速く見える。卵色の皿と白色の皿が交互に隊列を組み、レーンの動きに隷属している。皿の上の商品は、魚の切り身を使用した握り寿司が大半を占めている。カウンター席に着いている銀髪の中年男性がおもむろに腰を上げ、自らの顔の高さにある小型モニターへと半身を乗り出し、タッチパネルを右手の人差し指で押し始めた。天ぷらうどんだろうか、衣の明るい黄色が目に強く訴えかけ、別画面に切り替わったのに伴い消失する。  視線を前方に戻すと、案内役の店員がいなくなっている。  靴底を透過し、地下水めいた冷ややかさが足の裏に伝わってきた。  黄緑色に近い緑色が目の端を過ぎった。色合いはグリンピースに似ていたが、その食材が使用された寿司は一般的には存在しない。回転寿司店のメニューにある緑色の料理といえば、塩茹でされた枝豆だろうか。  レーンは奥から手前へと流れている。緑色の豆らしき物体を載せた皿は、吸い物の椀と白色の魚の寿司に挟撃されている。  正体が明らかになるよりも先に、問題の皿が今まさに横切ろうとしているテーブルに意識が流れた。  皿はテーブルの中央付近に、三か所に分けて積み上げられている。レーンに最も近いものが最も高く、十八皿ある。十八皿の左斜め前は十二皿、右斜め前は九皿。一皿の例外もなく、卵色の皿と白色の皿が交互に重ねられている。テーブルに着いているのは、黒色の長袖のTシャツを着た、二十代半ばから三十代前半と思しい女性。ボトムスと座席の色が共にサーモンピンクなので、下半身と座席が一体化しているように見える。  女性から視線を外すと、遥か先に店の窓が見えた。映る景色は曖昧模糊としている。それでいて、絶え間なく右に左に行き交うのは通行人で、その奥で左に右に流れているのは自動車だと、大まかに正体を掴むことができる。窓は賑わいのある通りに面しているらしい。  窓越しに唯一、姿を明瞭に視認できる存在がいる。太鼓を胸に抱えた小人の男性だ。  太鼓の形状は、地域によって今川焼きとも、大判焼きとも呼称される和菓子に酷似している。上面に張られた白革は遠目にも分かる上質さで、側面は煌びやかな銀鼠色に輝いている。小人は先端が球状になった桴を右手に持ち、白亜の革を愚直に叩いている。太鼓の音色は軽快だ。  現在地から遠く離れた店の片隅、私の視野に映り込まない辺境の一席で、中年女性が両手で鼻と口を覆い隠し、くしゃみをした。女性は赤紫色と群青色がマーブル模様のように混ざり合った、マント風の上衣を身にまとっている。テーブルの中央では、空になった三枚の皿が重ねられている。女性は本日四皿目となる、サーモンと生タマネギの寿司の片割れに、無造作に割り箸を伸ばした。  突然、マントの裾から白い顔が覗いた。  あらゆる感情と感覚と思いに先行し、ベアトリーチェの顔だ、と私の脳髄は認識する。  四・五歳だろうか。悪戯を思いついた直後とも、成功させた直後ともつかない、お転婆娘らしく無邪気な、それ故に邪気が感じられる微笑みを満面に湛え、私の背中を一心に見つめている。裾がまくれている領域の面積を考えれば、顔以外の部分も露出していなければ不自然なのだが、オニキスの闇が白い顔を縁取っているばかりだ。  女性の割り箸が酢飯の塊を挟撃した。持ち上げようとした瞬間、サーモンを含むトッピングの全てが滑り、マヨネーズを下にして皿の上に墜落した。電源コードが力任せに引き抜かれ、断絶音と共にディスプレイが暗転したかのように、私はベアトリーチェを認識できなくなった。  闇を撒き散らす換気扇の音を、太鼓の打音が圧している。煩わしいほどに勢力を誇っていた人声はいつの間にか希薄になり、耳孔に流入するのは太鼓の音のみになっている。  窓外の小人を改めて凝視した。  次の瞬間には、私は歩道に立っている。  硝子越しに見た時と同様、景色は曖昧模糊としている。  視覚から得られた情報をもとに判断するのではなく、直感的に私は了解する。私が現在いる場所は、回転寿司店の店内から窓硝子越しに見たのと同じ通りの歩道だ、と。  四囲に目を走らせたが、銀色の太鼓を打ち鳴らす小人の姿は発見できない。音色は残響さえも駆逐されてしまっている。無数の気配が私の前後左右をひっきりなしに行き来している。靴音と、人声と、自動車の走行音と、その他諸々の音声が織り成す、地方都市の喧噪と題された雑然とした音楽。  現在地からはさほど隔たっていない、私の視野の外にある植込みの中から、黒猫が意地の悪い目つきで私を窺っている。主体的な活動に支障を来たすほどの圧力は覚えなかったが、明らかにそれが一因となり、私は天を仰ぐ。  鈍色の雲が隙間なく覆い尽くしている。冬の寒空、という月並みな言い回しが浮かんだ。半袖の上着から突き出た剥き出しの腕は、裏腹に、四月五月の暖かさを感じている。  ベアトリーチェとは無縁の陰気さだ。聖性を帯びた彼女のイメージに合致しないし、この空の下で彼女に到達する未来を思い描けない。この眺めは害毒だ。不可視の病原菌に心身が蝕まれる前に、決別しなければ。歩き出さなければ。  不毛の地から距離を置けるならば、方角はどちらでも構わない。黒猫は不吉の象徴だという迷信を便宜的に信仰し、彼あるいは彼女とは反対方向に向かって歩き始める。  靴底が路面を踏み締めるたびに、板チョコレートを割ったような音が鳴る。食べ物を比喩の題材に選択したのは、先程まで回転寿司店にいると錯覚していた影響だろうか。実際には硝子に亀裂が生じる音に近い。先程まで窓硝子越しに通りの模様を眺めていた影響だろうか。極めて薄く、なおかつ硬質な、銀色の板を踏み割ったような音、と表現すればより正確かもしれない。数秒前に灰色の空を目にした影響だろうか。あるいは、太鼓の銀色の存在感が要因なのか。  音は絶えず鳴り続け、両脚が機械的に動いている事実を所有者に報告すると共に、愚にもつかない想像を半ば強制させる。板チョコレートなのか、硝子なのか、銀色の薄板なのかは定かではないが、そのいずれかの物体が実際に踏み割られているのではないか。そうでなければ、靴自体が着地に合わせて音を発しているのではないか、などと。  黒猫がおもむろにあくびをした。肉色の口腔を束の間晒し、緩慢な動作で植込みから抜け出すと、野良猫らしからぬ堂々たる肥満体が曇天の下にさらけ出された。八咫烏の羽毛を移植したような艶やかな体毛の、至るところに付着した無数の濃緑色の木の葉は、身震い一つによってことごとく剥離する。  黒猫は大儀そうに移動を開始した。向かう先は、私とは逆方向。あたかも黒猫の方でも、人間が黒猫に対して抱くのと同種の迷信を抱いている、とでもいうように。  黒猫はベアトリーチェの飼い猫かもしれない、という考えが不意に浮かんだ。人相はよろしくないが、その欠点が足枷となって売れ残った個体を、彼女が持ち前の類稀なる慈悲心から救済した。そう解釈すれば腑に落ちる。  ベアトリーチェは、女王の私室にも比肩する絢爛豪華なる内装の一室の窓辺で、彼女の趣味にしては飾り気のない籐椅子に腰を下ろしている。部屋着の裾から覗いた膝は整然と揃えられ、その上で、一匹の肥満した黒猫が歪な球体と化している。成猫の標準を上回る体重は、彼女の華奢な体には重く感じられただろう。黄金色の首輪に装填されていた宝石の一粒は永久に失われ、空洞は他の部分と比べて直射日光に当たる時間が短かった分、首輪本来の色合いに近い。  歳の隔たった実弟に注ぐような眼差しを愛猫に注ぎながら、首元から尻尾の付け根にかけての領域を、繰り返し、繰り返し、慈しむように愛撫する。体毛に付着していた塵芥はことごとく指先に吸いつけられ、指が黒猫の体から離別したのを合図に、群青色の霧状の粒子となって天へと立ち昇っていく。  永遠が保障された煌びやかな密室の中で、ベアトリーチェも、黒猫も、揺るぎなく幸福だった。  しかし、私はベアトリーチェと黒猫の友情の歴史の全てを知らない。そして、今や彼女の幻影は消え去り、黒猫は立ち去った。  今になって黒猫を追いかけたところで、追いつけるはずがない。奇跡的に追いつけたとしても、彼あるいは彼女がベアトリーチェに関する情報を提供してくれるわけではない。追いかけ、追いつき、彼女が接吻した口だ、彼女が撫でた体毛だ、彼女が弄んだ肉球だと確認したところで、何になるのだろう。  私が欲しているは生身の彼女だ。思い出ならば充分に保有している。無尽蔵に増産することだって可能だ。  歩行によって体が移動するのに伴い、私を取り巻く空気は穏やかに乱されている。積み重なることで、町全体の空気の流れさえ次第に混沌としてきた。  出し抜けに異音が聞こえた。パーソナルコンピューターを起動させる際の音声に、金属的なニュアンスを織り交ぜて圧縮したような音、とでも表現すればいいだろうか。  顔を上げると、前方四・五メートルの虚空に、直径二メートルほどの正円形の穴が、私がいる方角を向いて口を開いている。その口から、金髪にサングラスという出で立ちの男性が体の前半分を覗かせた。蜂の巣のごとく穴が開いたジーンズのポケットに両手を収納していて、周囲の景色や人物と比べると像が格段に明瞭だ。  男性は通りを普通に歩くような歩き方で穴から全身を出し、穴は跡形もなく消失する。刹那、消えるまでは単なる穴としか認識していなかったものの内部で、藤色の渦が蠢いていた事実に気がつき、この世界とここではない世界とを繋ぐゲートだったのだ、と悟る。男性は私と擦れ違い、視界からフレームアウトした。  非現実的な現象が発生し、収束する間も、私は歩き続けている。ゲートの出現には、無秩序状態を是正する副次的な効果があったとでもいうように、空気の混沌さは、いっときと比較すると格段に緩和されている。  私の歩行速度は、私が普通だと感じる歩行速度と比べた場合にやや遅いという意味で、普通よりもやや遅い。他の通行人にとっても遅い部類に属するらしく、人々は次々と私を追い抜いていく。前方から歩み寄ってきたかと思うと私と擦れ違う。  回転寿司店の外にいると自覚して以降、あらゆる景色と人物が曖昧模糊としている中で、現時点での唯一の例外が先程の男性だった。もっとも、彼に関して把握できた情報は、長髪を金色に染めていて、サングラスをかけている、男性、という三点のみ。従って、中途半端に曖昧模糊としている、という表現が的確だろうか。実際に中途半端に曖昧模糊としていたのか。一瞬で擦れ違ったために、充分に情報を読み取る暇がなく、結果的にそう見えただけなのか。今となっては真相を知る術はないし、探求する意欲も湧かない。  しかし、一部の例外を除き、視界に映るものがことごとく曖昧模糊になっている原因は、やはり気になる。  薄霧のせいだ、と仮定してみる。  現在地からは遠く隔たった場所に、永年薄霧に包囲された街がある。その中央に、ゴシック様式の時計塔が建っている。  時計塔の時計は、夜間を除く時間帯に、一時間に一回、世にも荘厳な鐘の音を響かせていた。視界が悪いこの街で暮らす人々にとって、時報は貴重な情報源だったが、それも今は昔。機械の老朽化を主因に、騒音問題と人件費の削減を副因に、三本の針と十二個の数字により、現在時刻を報知する以外の役目は既に引退している。  一時間ごとに鐘が鳴っていた時代を知る老人の中には、時計塔の前を通りかかるたびに足を止めるか緩めるかして、その威容を仰ぎ見る者も少なくない。喧噪に紛れて、蚊が鳴くような音量で鐘が鳴るのが聞こえることが稀にある。そう証言する者も僅かながら存在する。  幻聴か否かを見極めるべく、外套を着込んだ白頭の老婆は巨大な文字盤を仰ぎ見る。深い青色の瞳の先では、ブロンズ色の秒針が厳然と時を刻み、黄金色の時針と白銀色の分針が遅々とした速度で追随している。右手に提げた手提げ鞄の口からは、一本の長大なバゲットの先端が覗いていて、香ばしい香りを周囲に拡散している。  老婆の横を通り過ぎる幻影の私は、バゲットの匂いは幻臭ではないか、と疑う。それが歴とした本物のバゲットであり、老婆がベアトリーチェだと気がつくのは、帰宅後。コーヒーを淹れるための湯が沸くのを待つべく、ダイニングテーブルに頬杖をついて窓外を眺めている時のことだ。  居ても立ってもいられなくなるが、ベアトリーチェが相手ではあまりにも遅すぎる。立ち上がりかけた体を椅子に沈め、幻影の私は沈思黙考する。  老婆は本当にベアトリーチェなのか? ベアトリーチェに到達したいと思うあまり、創り出した幻影なのではないか? ベアトリーチェ本人だとしたら、老化などという現象が彼女の身に起こり得るのか?  靴が奏でる音がいつの間にか止んでいる。遥か後方、私には見えない世界で、金髪サングラスの男性が今、肥満した黒猫を追い抜いた。私は導かれるように顔を上げた。  遥か彼方に高層ビルが天高く屹立している。時計塔かと一瞬錯視したが、空想の産物が実在するはずがない。周辺に比較対象が不在のため、正確な大きさは掴みづらいが、とにかく長大なビルだ。  ビルの屋上には、大量の黄色いものがこんもりと積み上げられている。物体自身と同色の淡い光を発しているらしく、灰色の空がビルの屋上の周囲だけ仄かに青い。黄色の光が発せられると灰色が青色に変わる原理は定かではないが、黄色いものが発する淡い光の仕業だとしか私には思えない。色合いと、いかにも柔らかそうに密集している様子から判断するに、落ち葉だろう。ビル本体は灰色に近い銀色で、表面は光沢を帯びていて滑らかだ。空は鼠色に近い銀色だから、ビルはビル、空は空だと区別がつく。  突然、ビルの屋上から何かが落下した。反射的に目を凝らすと、直近の視力測定の結果によれば一・〇の視力が急激に上昇した。副作用なのか、嘔吐感にも似た微かな不快感を喉の深奥に覚えたが、代償として、落下した何かの正体が詳らかになった。  棒人間だ。頭部が円、首から胴体にかけてが一本の棒、四肢が四本の棒で構成された、棒人間。私の目には砂粒ほどの大きさだが、形が至極単純なことや、体に厚みがないことなどが見て取れる。全身がブラックホールを連想させる濃密な漆黒だが、それでいて、背景の灰色の空が見え透くようでもある。  棒人間はビルの外壁に沿って垂直に下降する。ビルが高すぎるせいか、落下速度が遅く感じられる。あまりにも遅いので、パラシュートでも装着しているのではないかと疑ったが、どれほど目を凝らしても棒人間は棒人間だ。心に余裕を持ちながら落下しているように見えるのは、速度の遅さ故だろう。それともまさか、地面への衝突を回避する術を心得ているとでもいうのか。あるいは、私がいる場所からは視認できないが、落下が予測される地点にクッションが待ち受けているだとか。  飛び降りてから少なくとも数秒が経過したが、棒人間は未だに屋上に極めて近い空を落下している。ビルが高すぎるせいなのかもしれないが、それにしても遅すぎる落下速度だ。有り得ないと思いながらも、永遠に落下し続ける可能性を疑ってしまう。  棒人間がベアトリーチェ自身ではなく、ベアトリーチェの変形でもない以上、向き合っても時間の無駄だ。視線を切り、歩行を再開する。  棒人間とはいえ、人間の範疇に属する存在がビルから飛び降りるという衝撃的な光景を目の当たりにしたのだから、思わず足を止めて見入ってしまったのも無理はない。そう正当化してみる。立ち止まってからビルを眺める態勢に入った気もするが、どちらが正しいのか。遠くない過去の出来事にもかかわらず、思い出せない。  内心首を傾げながらも、歩くことは止めない。目的地は未来にしか存在しないから、去るものは去るに任せておく。些細な疑問は、未来よりも圧倒的な広がりを持つ過去へと一足ごとに流され、やがて無への合流を果たす。  再び歩き出してからは、通行人はことごとく私と同じ方向に進んでいる気がした。原因について思案しようとした時、既視感を覚える音声が耳に届いた。一瞬息を止めた私の右脇を、金髪サングラスの男性が擦れ違っていく。  驚きも恐怖もない。永遠に再生され続けるのだな、とただ思う。二度目の彼も、最初の彼と同じく中途半端に曖昧模糊としていた。屋上のクッションと、男性の髪の毛の色の相似に今さらながらに気がついたが、この符号に重要な意味が隠されているとは思えない。  私が見ていない間も、棒人間は落下し続けているのだろうか? 飛び降りた以上は、落下したかろうがしたくなかろうが、落下する以外に選択肢はない。既に地面に叩きつけられているのか、現在もその状態に置かれているのか。どちらにせよ、私が棒人間のためにしてやれることは何一つない。  歩こう。ただひたすら歩き続けよう。私の目的はベアトリーチェに到達することなのだから。  進行方向に横断歩道が見えた。直進すると仮定した場合、歩行者信号は赤だ。周囲の人物も景色も曖昧模糊としているにもかかわらず、前方にあるのは歩行者信号で、現在は赤だと認識できる。  歩道の最前線、横断歩道の一本目の白線の手前で歩行を停止する。人通りの多さの割に一帯は静穏だ。音声が全く発生していないわけではないが、聞き分けることはできない。  踏み締める路面の硬さが無性に気にかかる。天変地異に見舞われたとしても、罅一つ入らないと思われるほどに堅固。あたかも、地中に存在する稀少なものを保護する目的で強化されているかのようだ。  心眼をもって地中を見透かすと、一頭の河馬が収容された水槽が目に飛び込んできた。鰓呼吸をする生き物ではないにもかかわらず、全面硝子張り。南国の海水を思わせる緑がかった水が満杯に湛えられ、息継ぎをする余地は潔癖症的に排除されている。  一頭の河馬は、短く太い四肢をどこか不器用に動かし、スローモーションにもがくように泳いでいる。分厚い脂肪に覆われた尻の付近で、突然、黄土色のものが爆ぜた。数瞬のタイムラグを経て、脱糞したのだ、と理解する。  糞便は緩慢に溶け広がりながら、溶け広がる速度よりも緩慢に浮上していく。水槽に逃げ場はないことを知らない半固形状のそれは、あるいはそれらは、痴呆じみた呑気さで上へ、上へと向かう。  緩慢なのは、アフリカ大陸のサハラ砂漠以南に棲息する、気性の荒さはあまり知られていないその大型草食動物の挙動も同じだ。ただし進む方向が異なり、太短い足を動かして愚直に直進している。障壁があることに気がつかないのか、承知の上なのか、側壁に鼻から衝突し、醜く変形した。硝子板が微震する程度の衝突に過ぎなかったが、地上にいる私の脳髄も確かに揺れ動いた。  これは、ベアトリーチェと関係がある映像なのだろうか?  私はベアトリーチェと共に河馬を見た記憶がない。動物園でも、動物図鑑でも、動物の生態を特集したテレビ番組でも。彼女の性癖は把握しきれていないが、悪臭を好む変態的な趣味嗜好を持っていないのは、少なくとも確実だ。私の認識では、人前で平気で糞をする生き物と、彼女の聖性は相容れない。  棒人間の墜落も含めて、精神の僅かな綻びにつけ込んで忍び込んだ、チープな悪夢のようなものなのだろうか? そうとしか解釈のしようがない。ベアトリーチェを巡る旅路は、記憶を辿った限りではまだ始まったばかりだというのに、先が思いやられる。  横断歩道の中程に、一台の自動車が停まっている。黒光りするボディは怪獣に蹴飛ばされたかのようにひしゃげていて、原型を留めていない肉色の内部が露出した有り様は、腹部の傷口から臓物を露出させた動物の死骸を連想させる。立ち位置はそのままに、顔の位置を微調整しながら車内を隈なく探したが、人間の姿は認められない。  運転手の行方が気にかかる。奇跡的に難を逃れ、現場から逃げ去ったのか。あるいは車内のどこかで、  そう思った瞬間、赤ん坊の泣き声が聞こえた。聞き取れたのが奇跡に思えるほど音量は微かで、ものの二・三秒で無音に帰した。猫の鳴き声にも、女性の押し殺した泣き声にも似た声だ。  ベアトリーチェ? まさか。  幻聴? 分からない。  信号は依然として赤だ。座席の肉色と比べると、信号の赤紫に近い赤はいかにも人工的で、どこか死んだ印象を受ける。  自動車は次から次へと、淀みなく車道を走り抜けていく。どの車も曖昧模糊としているが、形状や色はおぼろげながらも把握できるし、走行音が自動車そのものなので、走っているのは自動車だと明確に分かる。  大破した黒い車が停まっている車線を走行している自動車は、車線を変更するのではなく、黒い車をすり抜けて駆け抜けていく。私の目には、黒い車は確固たる実体を持っているように見えるが、実際にはそうではないらしい。  信号が青に変わるのを待っている人間は、私の周囲にはいない。ただし、背後を通行人がひっきりなしに行き交う気配や靴音は感じる。私一人が愚直に待ち続けている。  歩行者用信号機、黒い車、両方共に視界に入る位置に双眸を固定する。車道の車の流れは次第に疎らになっていく。歩行者信号は未だに青色には変わらない。しかしこの疎らさであれば、たとえ赤信号だとしても、走行車両に接触することなく黒い車に到達できるのではないか。  気配を感じて顔を上げると、上空を飛行船が飛んでいた。飛行船と聞いて万人がイメージする飛行船ではなく、大航海時代の絢爛豪華な木造船が、物理法則を無視して飛行している。  船の周囲では、虹色の粒子が妖精のように舞い踊っている。私がいる場所からは触れられるはずもないが、私には手に取るように分かる。粒子は非人工的な微熱を抱合していて、船体は温もりにコーティングされていることが。  船縁から身を乗り出している船員たちに混じり、アラビア風の白衣を身にまとい、煌びやかな黄金色の装飾品を身に着けたベアトリーチェの姿がある。上半身裸の男たちに取り巻かれた彼女は、明々白々たる異物だ。衣装と容姿の華美さとは裏腹に、酷く心細そうな、陰々滅滅とした面差しで地上を見下ろしている。  男たちは下界には目もくれずに、物理的に、あるいは言葉や視線で、厚顔無恥に彼女にちょっかいをかけている。唇の動き、手の動き、瞳に宿る色。注視しているだけで、男たちの声が私の耳元で、リアルタイムで再現されるかのようだ。しわがれた声、野卑なスラング、訛りを隠そうともしないイントネーション。それらの全てが正確無比に。  正視に耐えなくなり、飛行船から視線を切る。外罰感情内罰感情、どちらもあるが、統合し、濾過し、推進力としよう。推進力とするしかない。  行動しなければ。  車道の流れに意識を注ぐ。機会を窺う私の目の前を、私には目もくれずに、何台もの車が走り抜けていく。白いセダンが黒い車に真正面から突っ込み、全くの無傷で通過した。セダンに続く車両はない。  試みに、右足を白線の一本目に置いてみる。世界は凪のように静穏だ。二歩目を踏み出した時には、決意は完全に固まっている。三歩目からは早足になった。四歩目がアスファルトを踏み締めた時には、黒い車までの道のりを半分消化している。  口元が緩んだ、次の瞬間、視界の右端に黄色い影が映り込んだ。反射的に振り向いた。車だ。曖昧模糊としていなかったので、黄色いワゴン車だと瞬時に分かった。私に向かって一直線に迫りくる。止まれないのか、私が見えていないのか。  避けられない、と本能的に悟った。  ベアトリーチェを目指す歩みは、こんな馬鹿げた形で終焉を迎えるのか。  後悔らしき感情が込み上げてくる気配を感知したのと同時、突っ込んでくるワゴン車を回避する、という選択肢を発見する。  避けられないと本能が悟ったのだから、回避しようと試みても回避できないかもしれない。厳密な意味で衝突を回避することは、恐らく不可能なのだろう。しかし、体の位置を少しでもずらすことで、死に至る事態を回避することは可能なはずだ。  死にたくない、と私は強く思う。丹田において生成された金色の流体エネルギーが、人体を構成する組織と、組織間の境界を無視して光速で身内を駆け巡り、頭頂から四肢の先端まで浸透した。  死にたくないならば、四の五の言わずに試みるべきだ。ワゴン車との接触を回避したいのではなく、死を回避したいのだから、ワゴン車を回避しきれないという理由だけで、回避行動を取らないという選択をするべきではない。  黄色き脅威との距離は、早くも一メートルを切った。  私はワゴン車を回避できないだろう。  それでも、死は回避してみせるぞ。絶対に回避してみる。  ワゴン車に背を向ける体勢を目標に、最大限敏速に体の向きを回転させる。同時に、固く瞼を閉ざし、身を縮め、頭部を両手で保護し、衝突に備える。  直後、背中に衝撃が走った。両足が地面から離れた。酩酊のような、眩暈のような、一瞬の浮遊感。  瞼を開くと、景色が右から左へと流れている。  衝突の衝撃で吹き飛ばされ、今現在も吹き飛んでいる最中なのかと疑ったが、いつまで経っても体は宙に浮いている。痛みを全く感じないのも不可解だ。  後方を振り向くと、鮮やかな黄色が目に飛び込んできた。  ワゴン車だ。ワゴン車の車体に背中が接着し、ワゴン車と共に移動しているのだ。  最早、全ての景色は曖昧模糊としていない。
/16ページ

最初のコメントを投稿しよう!