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 夫婦の寝室のテレビで眼鏡をかけたアナウンサーがこちらに向かって頭を下げていた。  お茶の間によく知られるその顔がテレビに映る時間は、決まっている。  夜の十時五十四分。  いつもなら洋介がナイターの結果を観るまで点いているテレビを、消した。  ベットに寝転がりながら、弥生は天井を見つめる。  珍しく洋介の方から誘ってきたのが嬉しくて、顔が少し綻んだ。  でも、直ぐに曇る。  今日も同じ道を辿るだけのセックスなのだろう。  そう思うと、何だか口の中に苦々しい味が広がる。ベット脇の机にあるコップのお茶で口の中を湿らせる程度の量のお茶を飲んで、もう一度寝転んだ。  洋介は未だ風呂に入っていて、何もすることが無い。  時計を見ると、まだ十一時になっていなかった。  もう一度テレビを点けようとして、リモコンを手に取った瞬間、洋介が部屋へと入ってきた。 「ごめん、待たせたね」  すぐさまリモコンを机の上に置く。  置いた時の音が少し大きくて、洋介の眉間に少し皺が寄る。  それに対して無言で「違うのよ、意味なんて無いの」という笑顔を作り、ご機嫌を取った。 「いいのよ。じゃあ……、電気消して……」  洋介は入ってきた戸の左横に有る電気のスイッチを押すと、部屋の中が月明かりだけになった。その中を洋介は弥生のいるベッドへと歩いてきた。  ベッドの横の机にあるランプのスイッチを手探りで押し込むと、オレンジ色のぼんやりとした灯りが点いて二人を照らした。洋介がベッドに乗ると同時に、中に入っているスプリングが沈み込み、その瞬間、石鹸の香りが弥生の鼻をくすぐった。 自分と同じ匂いだ、と弥生は思った。 しかし、その中には中年男性特有の香りが混じっている。  爽やかでないその匂いを嗅ぎつつ、この人も若くないのだと再認識する。  上半身だけ起こしている弥生に唇を重ね合わせ、洋介は両腕で弥生を抱きしめる。互いの体を抱き合う力が少しだけ強くなる。唇を離すと、唾液の線が互いの唇を結んで、灯りに照らされて光る。  抱き合ったまま互いの体をベッドに沈み込ませると、ベッドのスプリングが喘ぐような小さな鳴き声を上げた。その音の後に、弥生の少し荒くなった吐息が洋介の耳に届く。その吐息を耳で感じながら、洋介は弥生の耳にキスをした。吐息が少し乱れて、か細く鳴く声が発せられる。唇を離して舌を出し、耳の形をなぞる様にゆっくりと下へ移動して、口内に耳朶を入れて甘く噛む。  洋介を抱きしめる弥生の両手に一層の力が込められる。  その後直ぐに耳朶から口を離して、洋介は乳房を弄り始めた。  感じているフリをしながら、弥生は洋介を抱きしめていた両腕の力を抜いた。  気持ち良くない訳ではないが、なんだか冷めてしまった。  このまま乳房をある程度責めたら、洋介の手は弥生の股間に手を入れるのだろう。  そして、弥生の弱い所を撫でるように触ると……、次に自分を触らせるのだ。  硬質さを失いつつある、排泄器官を。  その後は知っているエンディングまで同じ道しか辿らない。  昔のようにエンディングに行くまでのルートがいくつもいくつも用意されているのにも関わらず、洋介はいつもの道しか選ばない。  まるで、同じ映像を何度も何度も見せられているような感覚。  感動など、当の昔に枯れている。  感覚だけは変わらないから、エンディングまで付き合えるが、新しい感動も感想も持てない。それに、満足感も。  過去に幾度かこの状況からの脱却を試みる為に弥生は色々と試してみたが、肝心の洋介が乗り気ではなくて、全て無駄に終わった。  今では、互いに文句など言わない。  それが現れても、泡のようにすぐに消えることがわかっているのだから。  弥生は今愛撫されている感覚をそんな思いで埋めながら、声を上げていた。  洋介の手が股間へと到達し、布の上から弥生を愛撫する。  喘ぎながら、目を閉じる。  耳に聞えるのは、布と布の擦れる小さな音と、自分と洋介の吐息。それに軋むベッドの音が重なる。その音たちに掻き消されそうになる小さな音が聞えた。  意識をそちらに集中させると、寝室の窓の外で風に混じりながら微かに猫の発情している声が聞えた。  甘い声。  性交を求めるその声は、必死にメスを呼んでいた。  今自分が猫だったら、あの声に反応しているかも、しれない。  求められて、激しく愛されたい。  猫の声が少し途切れた所で、洋介の声が聞えた。 「なあ……、俺のも触ってくれよ」  目を開けて微笑んだ後、洋介の股間に手を伸ばした。  洋介が弥生にしたように、着ている寝巻きの隙間から手を入れて、愛撫した。  弥生を愛撫していた手を止め、洋介は寝転んだ。 自分だけ快楽を享受しだしたのだ。 「ねえ、アタシまだ足りないの」  その言葉を弥生は今日もまた飲み込んで、洋介の唇に自分の唇を重ねた。  目を閉じて互いの舌を吸い合いながら、外で鳴く猫のことを弥生は気にしていた。
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