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「ええと、改めて紹介するわね、この子が今日から入った郁仁真君。歳はいくつだっけ?」 「はい。今は二十で来月の誕生日で二十一になります」 「だ、そうよ。で、郁仁君。こちら先程最初に会ったのが高村弥生さん」 「よろしくお願いします」 「で、こちらが村上さん」 「よろしく」 「今居るのはこれだけ。また紹介していくから」 「はい」 「それじゃあ色々と書類を書いてもらわないといけないから、こっち来てくれるかな。あ、お二人は品出しをお願いします」  結城は指示を出すと、二人で休憩室へと向かった。  残された二人は薄暗い中で黙々と作業をこなす。  弥生は朝見れなかった時計をチラリと見て昼の休憩までの時間を換算する。まだまだ先は長そうで、少し眩暈がした。  草むらで朱色の猫がこちらに向かって鳴いている。  おいでおいで、と手をひらひらさせると、嬉しそうにこちらに寄って来た。  しかし、近寄れば近寄る程その猫の異様な風貌に驚かされる。  燃えているのだ。  しかし、その異様な光景を目の当たりにしながらも弥生はその猫においでおいでと呟きながら手をひらひらとさせている。  あと少しで手が触れ合う寸前、誰かが猫に水を掛けて猫が跡形も無く消えてしまった。 「こんな奴に構うなよ」  そう言って呆然とする弥生の肩を叩いたのは、洋介だった。  胸の中を絶望と悲しさが支配していた。その二つは交配して、弥生の中で一つの感情を産んだ。それは、先程の猫の様に赤く燃え盛る炎のように熱い、怒りだった。  それを開放させようとした瞬間に、ドアの閉まる音がして目が覚めた。 「あ、すいません……。起こしちゃいましたか」  弥生の視線の先にあるドアの前で郁仁真が朝と同じ困り顔で立っていた。 「ああ、ごめんなさい……。寝てたこっちが悪いわ」 「すいません、起こさないように閉めたつもりだったんですが」 「いいのよ、気にしないで」  真の顔が少し明るくなる。しかし、その後また少し困った顔に戻った。 「どうかした?」  弥生がそう聞くと、真は意を決したような顔に変わった。 「あの、高村さん……。涎の後が……」  そう言われた弥生は反射的に手の甲で口を拭ってしまった。  引いていた口紅が薄っすらと崩れ、手の甲に色が移る。  弥生が、しまった、と思った時には既に後の祭りだった。  タイムカードの時間を確認するとあと五分で休憩を終えなければならない。  立ち上がり、自分のロッカーからバッグを取り出す。  しかし、ガサガサと音を立てていつも入れている筈の化粧用のポーチを探すが、何故か見つからない。背中に嫌な汗が流れるのを感じながら、手を動かしていると 「あの、これ、良かったら」  真は、真っ白なハンドタオルを弥生へと差し出した。 「いや、悪いわよ」 「気にしないで下さい。どうせ安物ですし、それに今日おろしたばかりですから汚くは無いですよ」 「そういうことじゃなくて……、悪いわ」 「ほら、もう高村さんの休憩も終わりなんですし、急がないと」  半ば強引にハンドタオルを握らされた弥生は、こくりと頷くと、口紅を落とす為に洗面所へと向かった。  小走りで洗面所へと向かう途中、久しぶりに洋介以外の男と話した事に気付き、少し頬が熱くなった。タオルを渡す際に少し触れた手は、すべすべとしていた。洋介とは全然違う感触が新鮮に感じられた。  口紅を落とした手を拭いたのタオルは案の定汚れてしまった。  透明な液体に垂らされた赤い絵の具の様に広がった染みは、白地のタオルを優しく犯している。このままでは返すことも出来ない。それにこの染みは洗濯しても完全には取れないだろう。  弥生が休憩室に戻ると、真は返本の漫画を読んでいた。 「お疲れ様です。タオル、お役に立ちましたか?」 「ええ……、でも汚してしまったから、買い直してお返しするわ」 「いやいや、いいですよ、そんな。安物ですし、洗濯すれば大丈夫ですから」 「いいえ、せめてものお礼にお返しさせて?でなきゃ、悪いもの」 「いや、でも……」 「いいから、ね。えぐにくん」  弥生が真の苗字を言いそびれると、真はニコリと笑った。 「僕の苗字、言いにくいですよね?さっき店長も言いそびれてましたし、友達も『お前の苗字は言いにくい』なんて言うんですよ」  笑いながらそう言っている顔は、どことなく嬉しそうだ。 「だから、僕のことは名前で呼んで下さい。先程店長にもそう言いましたし、えーと、あの人……。そうそう、村上さんにもそう伝えておきましたから、気軽に読んで下さい」  何だか口に出すのが恥ずかしかった。洋介以外の男の人の名前を呼ぶことなど、ここ何年も無かったから。だから弥生はモジモジとしてしまい 「じゃあ、次からそう呼ぶわね」 とだけ告げると、さっさとエプロンを着けてドアを開けた。休憩室から出てドアを閉めた途端にお腹が鳴った。  昼食を食べ忘れたことに今更気がついた。
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