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「うーん、入ってないわね」  弥生が冷蔵庫の中を見ながらそう言うと、この部屋の主である真は頭を掻いた。 「すいません、あんまり自炊しないんでそんなに材料とか無いんですよ」 「麺はあるから……、うーん、じゃあ焼きそばでも作るわ」 「いや、でも」 「お礼よ、お、れ、い」  少し意地悪な顔でそう言うと、真はまた頭を掻いた。 ***  車の中で真にけいたいスマホの使い方が分からないことを告げると、弥生の予想通り「教えましょうか?」と言ってきたので、遠慮がちに「いいの?」と聞くと、真は満面の笑みを浮かべた。 「この前のお弁当のお返ししないといけませんし」 「じゃあ……、時間も時間だし真君の家で教えてもらってもいいかしら」  そう言って上手く真の家に行ける様に仕向ける。 「いいですよ」  あっさりと承諾されて、肩の力が抜けたと同時に、アクセルを少し強めに踏んでしまい慌てて足をアクセルから離して、ブレーキを踏み込む。  後ろから軽く体を押されているかのような感覚の後、車が止まった。 *** 「いただきます」  真の目の前にある弥生作の焼きそばは、五分と持たずに無くなった。  男であることを考慮して量を多目にして作ったにも関わらず直ぐに食べられてしまったのだ。 「早いわね」 「ええ、美味しくてついつい……。ごちそうさまでした」 「お粗末さまでした」  食器を引き上げて台所に行こうとする弥生を、真が制した。 「いいですよ、高村さん。流石に食器は僕が洗いますよ」 「いいわよ、直ぐに洗い終えるわ」 「でも……、それに時間も……」  壁にかかったLEDの時計は十七時を少し過ぎた時間を表示している。  いつもなら、この時間に弥生はもう家に着いていて、夕食の準備を始めている頃だ。  もうそろそろ帰らなければいけない。  その事実が何だか、寂しい。  帰りたくない。  少しでも一緒の時間を過ごしたい。  けれど、真と自分は恋人同士ではない。  だから、ここに留まる理由は無い。  いっそのこと、ここで自分の今の思いを告げれば―――。 「高村さん?」  真の言葉で弥生は感情の迷路から抜け出すことが出来た。  それでもなお暴走する感情に目を背ける。  この恋の果実を食べることは出来ない。  艶のある、甘美な匂いを放つ果実。  それを食べる資格など、ない。  熟れすぎて腐りかけ、艶も無くしたこの体と顔の自分を、真が愛してくれる筈が無い。  豊かな色はもう、腐って、腐色に成り果てている。腐りかけた果実が、瑞々しく輝く果実に近付いてはいけない。そんなことをすれば、蝕んでしまう。  それは、心苦しい。  弥生は食器を運ぼうとする自分の手を下して、 「じゃあ、そうするわね」 と言って、帰り支度を始めた。 *** 「真君、良いもの食べなきゃ駄目よ」  真の家の玄関で靴を履きながらそう言うと、真は照れくさそうに笑っていた。 「じゃあ、オバちゃんは帰るわね。真君の彼女が来て鉢合わせしても困るしね」  嫌味と自嘲を含んだその言葉は、何故だか負け惜しみに聞える。 「……彼女なんて、いませんよ」  いつもと違う苦笑いを浮かべた真の顔を見ながら、弥生の鼓動は少しずつ早くなっていく。 『彼女がいない』 「だったら……」  それ以上の台詞が、紡げない。  当たり障りの無い言葉を並べるしか出来ない。  溢れそうな思いを胸に抱きながらも、目を逸らす。  自分の思いに。 「早く彼女作らないとね」  無難な言葉を真に告げた後、弥生の胸は何かに握りつぶされそうなぐらいに絞り上げられる。  呻き声一つ上げることもせずに、表情を貼り付けたまま去ろうとする弥生。しかし、足がドアの方へと向こうとしない。  意味も無く見詰め合う二人。  外から子供達の嬌声が聞こえる。 「じゃあね」 と言って弥生が立ち去ろうとした瞬間、真が言葉を被せた。 「今日の焼きそばのお礼、しないといけませんね。何が、いいですか?」  その言葉は、弥生の心の中に割れ目を作り、思いを溢れさせた。  溢れた思いはマグマの様に熱を持って内部を焦がして、進んでいく。上へと進む熱いマグマは、弥生の口から一つの言葉となって出てきた。 「じゃあ、キスがいい」  沈黙がまたやって来た。  けれど、また直ぐに壊された。  でもそれは、先程のように子供達の嬌声が掻き消したのではなかった。  真が弥生を抱きしめた時の衣擦れの音と、手に持っていた荷物が玄関の床に落ちる音がそれを壊したのだ。けれどその音は直ぐに止んで、互いの唇を吸い合う音が二人の世界で唯一鳴る音になった。  呼吸を忘れて互いの唇を吸い合い、舌を絡ませる。  暫くして弥生は真の舌の唾液を全て吸い取るかのようなキスをした後に、唇を離した。お互いの唇を結ぶ透明な糸が台所の光に照らされて艶かしく光っている。糸を見ながら、弥生はゆっくりと味わうように唾液を口腔内で味わった後に、飲み込んだ。  真との唾液のカクテルは弥生の体に入り込んで、体の内部を優しく愛撫していく。  直接肌に触れる以上の快感がなお深い海の底へと弥生を誘って行く。  カクテルは内臓の内壁を愛撫していき、弥生の体に溶け込み、そして、愛液という形で体の外側へと出て行った。  目を開けると、真がこちらに向かって微笑んでいる。  また瞳を閉じると、今度は弥生の方から唇を重ねた。 「真君……、真君……」  名前を呼ぶ時ですら唇を離したくない。  息を吸う瞬間ですら、もったいない。  離したく、ない。  力の制御が上手く出来なくなっている腕を真の体に回して、思い切り締める。それに答えるかのように真も弥生の体を力の限り抱きしめた。  痛さよりも先に、嬉しさが咲く。  弥生を抱きしめている真の手は、少し力を抜いた後、弥生の尻を軽く触った。 「ひゃっ……」  思いがけず出た弥生の声は、真の千切れかけていた理性を切るには十分だった。  真は貪るように弥生の唇を吸い、尻を触った手と反対の手で弥生の乳房を揉んだ。  弥生から上がる息は段々と荒くなる。呼吸が速くなればなるほど、弥生は深く温かい海の中に沈んでいく気がした。息を吐き終えた弥生の中に、その温かい海の水が入り込んでいく。  理性の代わりに入り込んでいく、豊かな色を持った欲望の海の水。  弥生の理性は海の中に溶けていき、体は、色欲に満たされた。  それでもなお弥生の体に色欲が入ろうとしてくるので、体は欲望の海の水を排出していく。  それは弥生のショーツを濡らし、大きな水絵を描いた。 「高村さ……」  弥生の苗字を呼ぼうとする真の唇を、自分の唇で塞ぐ。  暫くキスをした後、唇を離して上目遣いで真を見る。 「弥生、よ」  躊躇いがちに真が「や……弥生さん」と言うと、弥生はコクリと頷いて真を強く抱きしめた。  へその下に、固いものが当たる。 「ここじゃ、嫌……」  耳元でそう言うと、弥生のへその下にある固いものがピクリと動いた。
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