4

1/1
前へ
/32ページ
次へ

4

 パートが終わり夕食の材料を買い終え、駐車場へと向かって歩く。  両手の荷物の重さを少し忌々しく思いながら歩いていると、風が吹いた。風は、傾いている陽のせいで御伽噺のガリバーのような巨大な影を地面に貼りつけている弥生の足元に、茎の付いた茶色の桜の花びらを運び、頬をくすぐった。四月も後半に差し掛かり、桜も散ったというのに未だに寒い。吐く息が白くなることなど無いが、肌を撫でる寒さは芯を冷やす冬の寒さとは違う冷たさを持っている。体を少し硬くしながら、弥生は少し薄着をしてきた事を後悔していた。  駐車場に停めてあった自分の軽自動車に乗り込み、エンジンをかける。  少ししてカーナビが立ち上がり、来る前まで聞いていた曲を流し始めた。二十年程前に流行ったその女性アーティストを最近テレビで見た。『あの人は今何をしているのか?』という趣旨の番組で、彼女は今、裏方にまわり、ボイストレーニングの講師をしていると言っていた。当たり前では有るが、皺の増えたその顔を見て、少しショックだった。二十年前は『この人は歳を取らないだろう』なんて漠然と思っていたのに、彼女は当たり前のように歳を取っていたからだ。一緒にテレビを見ていた洋介も少しショックを受けているようで、テレビを見終わった後に「ああ、観なきゃ良かったよ」とぼやいていた。  二十年前の彼女の声を聴いてると、何だか少し悲しくなった。  歌詞も、今では歌えないほどに青い。彼女は今この曲を歌おうと思うのだろうか。知りたくない事も知ってしまった彼女の心には、歌詞のような純粋さはもう無いだろう。それを成長と取るのか、諦めと取るのか、それは人次第だ。  パーキングになっているレバーをドライブに入れてアクセルを踏んで車を駐車場から出す。最初の信号を曲がったところで、夕日が目を射したので、眩しくてサンバイザーを下ろす。目が慣れて来ると、夕日の朱色が街中を朱色のスープに沈み込ませる光景が見えてきた。  赤信号で止まった車の中から光景を見ても、弥生は美しいとも、綺麗だとも思わなかった。  ただ、ふとした寂しさを感じた。  日が落ちる寸前の光景を、自分に重ねる。  女として、終わる。そう、思ってしまう。  今日昼休憩に見た雑誌の艶度の診断では、四つ有る内の下から二番目の『艶度下がりすぎ、ご注意!』というランクを取ってしまった。何だか胸に悔しさが渦巻いてしまって、アドバイスをついつい読んでしまった。  そこには『まだまだ艶は取り戻せます!たまには夫ではない若い男の人と話してみてはどう?』と書かれていた。  いつもは下らない、なんて思うだけのなのに、艶に関する記述を続けて見た所為か、妙に気になった。  でも、自分の周囲には『若い男』なんていない。  バイト先に男の子が三人程いるが、そんなに会うことが無い。そもそも、年齢が下過ぎてただの子供にしか見えない。あんな年齢の子と話すのには労力を使いそうで、面倒だ。  それに、話題はどうすればいい?  自分の中にある知識など、大して面白くも無いことばかりだ。  そう考えると、そのアドバイスがどれだけ馬鹿げているのかがよく分かる。  でも、何だか、自分の中にある艶を、もう一度浮き上がらせてみたい気持ちに駆られる。  老いの海の中に沈んでしまう前に、一度浮き上がってから……。でも……。  グルグルと考えが頭の中を回る。答えなど出ないから、意識が、ここではないどこかに飛んでいく。後ろからクラクションを鳴らされ、そこで弥生は目の前の信号が青になっていることに初めて気付いた。
/32ページ

最初のコメントを投稿しよう!

35人が本棚に入れています
本棚に追加