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「ただいま」  十七時半。  いつもの様に自宅に帰った弥生は、今日の夕食に必要な分以外の材料を冷蔵庫に入れる。今日の夕飯は洋介の大好物の芋と挽肉を使ったハンバーグだ。ジャガイモを磨り潰して挽肉と混ぜて、少量の片栗粉を混ぜるだけで出来てしまう。あとは市販のケチャップとソースを混ぜたソースをかければ出来上がりだ。付け合せのサラダは野菜を切るだけで済むので、簡単に出来る。この献立で家族の中で文句を言う人は居ない。しかも、余った分は美樹の弁当にも流用が出来るので、楽だ。  車の中で聴いていた曲をハミングしながら、ジャガイモを洗って、包丁を使って皮を剥いてから芽を取り除く。この作業も、今では鼻歌交じりに出来る。新婚当初はジャガイモ一個の皮を剥くだけで、五ヵ所ほど指に傷を付けた。たまりかねた洋介が綺麗に剥いたのに嫉妬して、すねたこともあったが、今では自分の方が包丁の使い方や癖などを知っている。洋介はここ五年ほど台所には立っていない。もうあの鮮やかな皮むきは見られないだろう。  そんなことを思い出しながら、すりこぎを使ってジャガイモを磨っていると、磨っていた右手に痛みが走った。右手を見ると、人差し指に血が滲んでいた。どうやらジャガイモが小さくなりすぎたのに気付かずに、磨った所為で指がおろし金に当たって、そのまま指を傷付けたようだった。  大した傷では無いが、これからの作業を考えると、止血をしておきたい。  左手側の引き出しに有る絆創膏を取り出して右手の人差し指に貼って、また作業を再開した。  今度は鼻歌を控えようかしら、弥生はそう思うと、もう一度ジャガイモを磨り潰し始めた。 「ただいま~」  夕食が丁度出来上がる頃に美樹が帰ってきた。 「おかえり」 「ほんと、参っちゃうよ」  美樹の口からその言葉が出る時は、大抵が部活の先輩の悪口だった。  美術部に所属する美樹は、真面目に部活をせずにくだらない事ばかりを話している先輩に不満を持っているようだった。 「なあに、また先輩のこと?」 「そうなのよ!聞いてよママ!あの先輩たちったらね……」  ここで話をさせると放っておくまでそのままの格好で話すので、弥生はいつも気をつけていた。 「はいはい。その話は聞いてあげるから、まずは手洗いうがい。それと、制服も着替えてらっしゃい」 「ブーブー、もう冬じゃないんだし、風邪なんてひかないよ」 「はいはい、そういう台詞は毎年流行らない時期に奇特な風邪をひかなくなったら言いなさいね、お嬢さん」 「ブーブー」  美樹は口を尖らせながらブツブツ呟きながら自分の部屋へと向かった。  スカートをひらひらさせながら戻る自分の娘をみながら、昔の自分を重ねて、弥生は少し微笑んだ。 「いっただきま~す!」  そう言った美樹は真っ先にハンバーグに箸をつける。少し大き目に箸でハンバーグを切って口に入れると、ニコッっと笑った。 「やっぱり美味しいなあ、このお芋のハンバーグ。ねえねえ、明日のお弁当ってこれ?」 「ふふふ……、美樹ったら食いしん坊ね。そうよ、明日のお弁当は、コレ」 「やった!これで学校行く理由が出来た!」 「もう……、ほんとにこの娘は……誰に似たんだか……」 「そりゃあ、ママとパパに似たのよ。親子ですもの」  減らず口を叩きながら夕食を摂る美樹の姿を見て、なんだか若さを感じる。  日々の起伏が少しあるだけで活力になる、それが羨ましい。  その感性が昔の自分にもあった筈なのだが、今はそれを感じない。  少し、寂しさを感じた。  今日も美樹と自分しか居ない食卓で何も感じずに食事をしている。美樹が小学校に上がる前までは洋介がいないだけで、なんだか寂しかった。しかし、美樹がしゃべるようになったせいか、洋介が不在でも何も感じなくなってしまった。今では三人が揃って夕食を摂るなんて事は土日しか無い。洋介も三人で食事を摂る事を望んでいると言っていたが、仕事の量が減らず、なかなか定時に仕事を終えて帰っては来れない。父親とのスキンシップが少ないのが美樹に影響するかと思って心配していたが、美樹の行動を見る限りではあまり影響は無さそうだった。  食事を終え、美樹と話しながら洗い物をしていると、机の上の弥生のスマホが震えた。 「ああ、お父さんかも。ねえ、美樹。お母さん今手が濡れてるからメッセージ見てくれる?」 「いいよ。でもさ、何かラブラブなやつだったら、どうしようね」 「あの人は簡素なメッセージしか寄越さないわよ」 「つまんないなあ」  美樹は先程と同じように唇を尖らせながらメッセージアプリを開くと「ほんとだ」と呟いた。 「何て書いてある?」 「『今日は帰りが九時になる、よろしく』だってさ」 「言ったとおりでしょ?」 「そうだね、で、何て返す?」 「美樹に任せるわ」 「わかった」  美樹が少し声高に返事するのを聞いて、弥生は「何かする気だな」と思った。  美樹が何かたくらんでいる時は大抵少し声が高くなるのだ。  子供の癖は、いくつになっても変わらない。  まあ、取敢えずどんなメッセージ送られても、言い訳をする体で洋介と話せることになるのだから、別にいいか。と自分を納得させて、美樹が何かやることに弥生は目を瞑った。
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