最愛の息子

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最愛の息子

 息子が車にひき逃げにあったと病院から連絡が入り慌てて駆けつけると、息子の正はベットに座り窓の向こうを見ていた。  思っていたよりも軽症だわ。と思っていると後ろからよれた声で「あ、正くんのお母さんですか」と声をかけられ後ろを振り向く。  目の前には顔には深い皺を刻み、白衣をまとった年配の先生がにっこりと微笑んでいた。  「いやぁ本当に運が良かったですよ」  そう言う先生から、怪我の状態について説明を受ける。  正はどうやら交差点で左折しようとした乗用車に巻き込まれたらしく、奇跡的に道路脇にあった側溝に落ち、全身打撲だけで済んだと言う。もし側溝がなければ、即死だったかもしれないと聞かされた。  「じゃ先生、正は大丈夫なんですね」  「はい。二、三日入院すれば問題ないでしょう」  「ありがとうございます」  先生が私の前から去っていくと、私は病室に入る。後ろからゆっくりと近づき、窓の方を見ていた正に後ろから抱き締めた。  正は肩ビクつかせると身を固める。  私はその震える体をギュッと包容した。  「…………」  「正……大丈夫?」  「母さん……怒ってる?」  「え?何で。怒ってないわよ」  「…………そっ……か」  私は包容を解くと鞄の中を探りながら言う。  「それにしても本当に心配したんだからねー。先生から話し聞いたけど、んだって?本当それ聞いた時は母さん生きたここちしなかったわよ」  私は鞄からスマホを取り出し正の正面に回るとスマホを構える。  「正、ちょっと横になって」  正は、ただ言われるがままに従う。  スマホを構え撮影する。ふと、正が泣いていることに気がついた。  「正……どうして泣いているの?どこか痛いの?」  正は言葉は出さずただ首を降るだけ。  「そう……。ちょっと母さん下で入院手続きしてくるから」  それだけ言い残して私は一階へ向かう。  *  私と夫の間には子供に恵まれず不妊治療の末ようやく授かった一人息子がいた。  名前は(ただし)。  正を出産後、夫とは性格の不一致により直ぐに離婚をすることになった。  私は分けも分からずたった一人で子育てという真っ暗闇の迷路に放り出されたのだ。最初は右も左も分からず苦戦した。それでも私はこの子には、何不自由無く育ってほしい。その一心の思でがむしゃらに頑張ったのだ。早朝から働き、夜は内職と子育てをし、寝るまもなく本当に頑張ったのだ。その様子を見ていたママ友からはよく凄いわねと言われ、その言葉だけが私の心の支えとなっていた。  その甲斐あって、正は優秀で良い子に育ってくれた。小さい頃から読み書きを覚えるのが早く、特に相手の気持ちに敏感で、私が辛そうな表情をしているときなんかは「ママ大丈夫?」と優しく声をかけてくれたりする。  そんな正に親戚やママ友からは、よく神童だとか、天才だと持て(はや)され、そんな正を育てた育児方法を教えて欲しいと色々な人に訊かれた私もなんだか鼻がくすぐったくなる思いをした。  正が小学生に上がり、初めてのテスト日。  私は正に「いつも通りやれば大丈夫。初めてのテスト頑張りなさい」そう言って正を学校に送り出した。  私は正なら学年上の二年生の勉強でも出きるのではないかと、それほどに正の学力には期待していたのだ。  正が学校から帰ると、鞄からテスト用紙を取り出し私に見せると、満面の笑みで言う。  「ぼく、すごくがんばったよ!」  私はそのテスト結果を見て言葉に詰まる。  テストは、一問だけ間違えていたのだ。  私は満点を期待していたせいで戸惑ったが、これも凄い結果だと思い「あともう少しだったわね」と、言うと正は大粒の涙を流し「ごめんなさい」と謝ったのだ。  私はしまった……と思った。感受性の高い正は私の表情でこの結果に喜んでいないことに気づいてしまったのだ。  私は直ぐに笑顔になると正を抱き締め頑張ったねと誉めた。  *  あれから7年……。  正は本当に良い子に育った。正は常に私の期待に応えてくれた。テストは常に満点。成績優秀で私のお願いもちゃんと聞いてくれる。    ママ友の薦めで育児ブログを開設し独自の教育論として日々どんな育児教育をしているのか投稿すると、世間の子育てユーザーから称賛の声を集めた。そうしていつの間にか有名育児ブロガーとして名を連ねることになったのだ。  こうしている間もさっき息子が事故にあったことをアップしたことに対して数多くのユーザーコメントが届いている。  その私の行動を称賛する声が私の心の安定だった。  私の子育ては間違っていない。  入院手続きを済ませ病室の扉を開けるとその部屋はやけに白く明るかった。外の太陽光をシーツが反射しキラキラ輝いてさえ見える。 ……ただ、一つだけ気がかりなことがあった。正の笑顔をもう何年も見ていないということだ。私の教育は完璧だ。事実、正は成績優秀で有名高の推薦入学も決まっていた。  ベットに近づくと一枚の紙が置かれている。  そして私は窓の方を見た。  窓から入り込む風に白いカーテンがゆらゆらと揺れている。  窓の向こうからは悲鳴が聞こえていた。  その紙に書かれていた言葉は……。  『ごめんなさい』だった。  了  
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