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【01】温泉にて
「なんでだ、恭二」
「なんですか、久遠先生」
「なんで俺がむさくるしいお前なんかと二人で温泉なんかつからなきゃならん」
「いやだなぁ、忘れたんですか?先月出版された『絞る女』が爆発的に売れたから、慰安旅行にご招待、とい出版社の粋なはからいじゃないですか」
「だったら渚とふたりだろう!!」
恭二と二人で温泉に入っている気まずさに耐えきれず、俺は大声を上げた。
渚と一緒なら何の問題もなかったんだ。
それが、お連れ様は奥様でない限りダメとか、いつの時代だ!
渚は男だが、俺たちは夫婦みたいなもんだ。
奥さんみたいなもんだ!そんなの恭二だってわかっているだろう。
いやまて、渚を連れてこなかったのはむしろ好都合か?
渚に気のある恭二が、温泉旅行なんかに連れてきて何もしかけないとは思えない。
むさくるしいが、これはこれで成功なのか?
いや、だったら温泉自体に来たくなかったわ!
酒をたらふく飲まされて、天才だなんだおだてられて、気をよくしてつい了承してしまった。
家では渚がひとり。守りはおいてきたが、また変なものに憑りつかれていなければいいが。
「まぁまぁ久遠先生、なぎちゃんだって、たまには先生がいない方が羽を伸ばせていいですよ。お背中でもお流しいたしましょうか?」
「気色悪いわ!それに渚には俺がいないゆえのメリットなんて一つもない。寂しがり屋だからな。きっと今頃枕を涙で濡らしているに違いない」
「間男といい感じだったりして」
「渚は浮気なんかしない!」
「わかんないですよ。あれだけ可愛いですから」
「渚をそういう目で見るのはやめてもらおうか、恭二。いい加減渚のことは諦めたらどうだ。俺っていうりっぱな恋人がいるんだから」
「久遠先生が落ちぶれた時、優しく手を差し伸べようと思ってます」
「俺の転落込みの妄想もやめてくれる!?」
この男、平然と転落言いやがった。
まぁ小説家なんて、売れなくなったらそれで終わりだからな。
だが俺は転落なんかしない。
もうヒットもバンバン飛ばしてるから、印税もそれなりに入っている。
貧乏とは程遠いんだよ!
俺様は!
それより渚だ。
早く会いたい。
あの白い肌を抱きたい。
こんな、恭二郎みたいなむさくるしいのと、温泉なんか入りたくない。
毛深いのがうつる。
「俺は今日の夜行で帰る。やっぱり渚が心配だ」
「久遠先生が帰っちゃったらあとお偉いさんだけじゃないですか。俺がつまらないし、それじゃマズイですよ」
「祓い屋の仕事が急に入ったと言っておけ」
俺はザパンと湯を出ると、素早くタオルで体を拭いて、浴衣に着替えた。
「流石に浴衣で帰るわけにもいかねぇ。部屋行って着物取ってくる」
「えー。久遠先生ほんとに帰っちゃうんですか?」
「大の男が情けない声出すんじゃない。じゃ、お偉方にはうまく言っとけよ。俺は帰る」
「久遠先生~」
ダッシュで部屋に向かって着物に着替える。
夜行だと時間がかかるが仕方ない。
はやく渚の元に帰ってやろう。
そう思って宿を出た。羽織を忘れたので肌寒い。
冷気が痛いくらいだ。
羽織は後で恭二が届けてくれるだろうから、今は戻ったりしない。
それより渚だ。
帰ったら渚の肌で温めてもらおう。
そう思い、駅に向かった。
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