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【03】語る女
老人は偶然にも同じ駅で降り、同じ方面に行くというからタクシーの相乗りをした。
すると、本当に我が家のすぐそばに住んでいることが分かった。
老人は別れ際、何度も何度も繰り返し、また話に来てください。必ずです。後生ですから。と言った。
だから俺はそれに相槌を打って、今度は恋人と伺います、と老人に伝えた。
そういえば名を聞いていなかったと思い、今さらながら聞くと、佐野虎次郎と言うそうだ。
佐野さんと別れて、俺は我が家へ向かった。
車を降りて、家に入る。と、異様な瘴気が漂っていた。
異変を感じた俺は、俺と渚の寝室に一目散に進んだ。
けれど寝室に行く途中、キッチンで俺は目的の渚を見つけた。
渚はコップに水を入れてから倒れたのだろう。
床にコップと水滴が散らばっている。
まずは渚から霊を降ろさないと。
「御」
印を結ぶ。顔の前で両手をクロスさせるだけの簡単な印。
「呪」
両手をぱぁん、と鳴らして結ぶ。
そして両手を思い切り床にたたきつけて。
「解」
そう、唱える。
「ひいいいいいいいいいいい」
ぽこん、と現れたのは、小さな婆さん。異様な瘴気を放っている割に、悪鬼のもつ悪意をかんじられない。憎しみも恨みもだ。
ただ、膨大な悔いが、そこにはあるのだった。
「婆さん、うちの渚に何をした」
「何って、話をしていただけよ。角の甘栗屋の店主があたしに気があってね、これが大変なのよ。豆腐屋の店主も、時計屋の店主も、皆あたしに気があるんだから。」
嬉しそうにいう婆さんは、普通のババァだった。昔の自慢話をされても困る。
「それでだれがあたしを娶るかって話になって。誰も譲らないのよ。だから、身体だけね、皆と結ばれたの。だれが一番うまかったかってまた喧嘩になって……」
「そんな話はどうだっていい。オマエ悔いはなんだ?除霊してやるから教えろ」
「悔い?そんなものはないけれど、そうねぇ、敢えて言うなら、もっと話したかったってところかしら。それから、モテすぎて結婚できなかったことかしらねぇ」
話足りない?
結婚したかった?
うん、結婚できなくてしたかった霊ってのは聞いたことがあるが、話足りない、は聞いたことねぇぞ。どうしたら成仏する?
俺は祓い屋なんていてるが、降霊術は使えるが実際に霊の払い方なんかしらねぇ。
霊の方に納得してもらって、成仏してもらうしかねぇ。
だが。
話足りない?
話を聞かなきゃ成仏しねぇってことか?
渚は一方的に話されて、ショートしちまったみたいだし……俺にもこんなババアの話を聞き続けるなんて無理だぞ。
どうする?
と、不意に列車で出会った虎次郎爺さんの顔が浮かんだ。
虎次郎爺さんは話を聞きたいと言っていた。この婆さんは話をしたいという。
結婚はわからんが、利害が一致してないか?
「わかった。婆さん」
「トキというのよ」
「トキさん。アンタに最適の人を紹介しよう。奥さんを失くして随分立つ、寂しい爺さんだ。この人は人の話を聞きたがってる。だから、アンタを紹介する。が。けっして脳に直接話かけるんじゃねえぞ。相手も相槌打ったり、自分の話もできるように、少し遠慮して、姿をちゃあんと現わして話すんだ。でないと、今度こそ本当に問答無用で除霊しちまうからな」
「まぁ、あたしの話を聞いてくれるのかい?そりゃうれしいねぇ。で、その爺さんは?」
「この近くに住んでる。佐野虎次郎という」
「佐野虎次郎……名前だけ聞けばじゅうぶんさね。その爺さんに、憑りつくとするかね」
『ありがとうよ』
そう言ってトキさんはふつ、と消えた。
多分虎次郎さんのところにいったのだろう。
虎次郎さんも最初は驚くだろうが、これで寂しい思いをしなくていい。
と。いいな。
暫くしたら様子を見に行こう。
そう決めて、渚の頭を膝に乗せた。
「渚、渚」
「……久遠先生?」
「大丈夫か?」
「久遠先生~!!死ぬかと思ったぁ!」
「『語る女』か」
「人って話聞くだけでこんなに消耗するんですね」
「お疲れさん」
「お腹空きました。昨日から何も食べてなくて」
「お。じゃあ肉でも食いに行くか?」
「焼肉ですか?行きましょう!行きましょう!」
ぐうう、と鳴った渚の腹にくすり、とふたり、笑って。
寒い中、焼肉を食いに行った。
飲み放題で麦酒を飲んで、肉も食い放題で食って。
ふたり、へべれけになるまで飲んで、食った。
そしてしゃべった。
俺は、温泉旅行の話、虎次郎さんの話、渚はトキ婆さんの話。
こうやって、誰かといつでも話ができるってのは、ものすごく幸せなのかもしれない。
今回の事件でそう思った。
朝方、閨で。
「渚、俺の傍にいてくれてありがとうな」
そういうと、渚も、
「こちらの方こそ」
と言った。
そうして微睡み、いつの間にか眠ってしまった。
昼頃に恭二がプンプンで現れて、あのあとの話をした。
それを渚が聞いているのを、いつもよりは穏やかに見やりながら、『語る女』とその受け渡し先について思いを馳せた。
今回も、話になりそうだな。
作家は、どんな事件も作品にして消化してしまうのだ。
渚がいなくなったら、俺は小説を書くだろうか。
話すことができない分、その前より。
いいや、きっと渚が死んだら俺も死ぬ。
俺たちは、そういうタイプの恋人同士だ。
溺愛。
上等じゃねぇか。
ふ、と笑って宙を睨んだ。
何が来たって、渚は奪わせやしない。
そんな覚悟を持って。
END
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