狐の集会

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狐の集会

 ポカポカした小春日和の午後、家から離れた山際へ栗拾いにでかけた。コロコロ転がった栗のイガを靴で剥いていたら、どこからきたのか狐がジイとこちらを見ている。栗が欲しいのかしらと思い、ツヤツヤした実を積み上げて声をかけたら思いがけず返事があった。 「ありがとうございます。なにせ柔らかい毛なものですから、栗のイガとなるとお手上げでして」  狐はそう言って丁寧にお辞儀をした。フサフサの尻尾に栗をすっかり埋めてしまうと、良いことを思いついたと手を叩く。 「今夜はね、枯れススキの野原で狐の集会があるんですよ。みんなでご馳走を持ち寄って秋の夜長を過ごすのです。どうです、ご一緒しませんか? なあに、心配は無用です。化けに関してはこれでもいっぱしの腕前ですから」  狐の集会に人間がお邪魔して良いのか聞くと、得意げにそう答えて胸を叩いた。  夜に迎えにいくと言った狐を見送って家へ帰り、半信半疑のまま持ち寄りのために柿を用意して布団にもぐった。  トントン、トントン、もぅし、迎えにきましたよ  小さな音に目を覚ました。窓を開けると、こうこうと光る月に照らされた狐がニッコリ笑っている。急いで柿をポケットに入れて窓から庭に降り立つと、狐がひょいとススキを差し出した。 「これをズボンに挿してくださいな。尻尾みたいに。……そうです、そうです」  そう頷いてから小さな葉を自分の頭の上に乗せ、お尻にススキを垂らした僕の両手を掴んで何やら唱えた。パチリと瞬きするあいだに、立派なカイゼル髭を生やした紳士となった狐が、僕のほうを眺めて満足げに頷いている。  自分で自分を見てもススキをお尻に垂らしているようにしか見えないと心配したら、口を押さえてクスクス笑った。 「坊ちゃんも狐が化けた人間に見えますよ。さあ、灯りをつけて出発しましょう。夜道は暗いですからね」  そう言うと尻尾をゆっくり振って狐火を出し、手に持った千両の実に火をまとわせた。青白い狐火が実の色を映してぼぅとした暖かい赤色に変わり、すっかり暗くなった夜道を照らす。 「夏の鬼灯提灯もいいですが、ゆらゆらする火を眺められますから千両もいいものですよ」  コオロギの声を聞きながら千両の狐火を頼りに歩いていると、ススキの向こうからチラチラ灯りが瞬いている集会場が見えてきた。 「こんばんは」 「こんばんは、いい夜ですね」 「はい、とても」 「もう始めてますよ。こちらにどうぞ」  ドキドキと心配する僕をよそに、狐が化けた尻尾のある紳士と尻尾のある角帯を締めた若さんが挨拶をした。案内された集会場には爺さまや、町娘が尻尾を生やして楽しそうに話したり、踊ったりしている。 「ね、大丈夫だったでしょう?」  狐はニンマリ目を細めて耳打ちした。  真ん中で輪になって踊る狐たちを取り囲むように、千両のかがり火が地面に挿してある。拍子を取る手やフリフリ揺れる尻尾の影は、縁日の夜店で見たクルクルまわる影絵みたいだった。  車座の中に座ると隣から盃がまわってきた。トロリとした紫を飲み干した狐が、満足げに息を吐く。 「おいしい山ぶどう酒ですね」 「ええ、ええ。今年はいい山ぶどうでしたから」 「おや、ご自分でお造りになったんですか」 「はい。毎年造りますが今年はとくにできがよくて。そちらの方も遠慮なさらず、お飲みになってくださいな」  差し出された盃を一口舐めると、ぼぅと顔が熱くなった。 「おやまあ、もう赤い。いけませんね、代わりに私がいただきましょう。坊ちゃんはこちらの栗をお上がんなさい」  嬉しそうに私の手から盃を受け取り、かわりに焼き栗を差し出した。それでポケットに入れた柿を思い出し、盃をくれた爺様へすすめた。 「立派な柿ですなぁ。鳥につつかれて私どもにはなかなか手に入りませんから、ありがたいことです」  お辞儀をし合う僕たちにはさまれた狐は、またクスクス笑った。  ゆらゆら踊る輪を眺めるうち、お酒に弱い僕の頭もフラリフラリと揺れだした。狐のクスクス笑いがうつったのか、だんだんと愉快な気持ちが湧いてくる。  尻尾を振って踊る影絵の幻想に引き込まれ、ふらりと立ち上がって千両の灯りに照らされた輪の中へ加わった。 見よう見まねで手と足を動かす。  ゆらりくるり、ゆらりくるり。  踊りの輪に加わって僕はひどく上機嫌だった。 「やあ、お上手なことで」 「それにしても立派な尻尾ですねぇ。フサフサと金色に輝いて」 「ほんとうに。さぞかしお手入れをしてらっしゃるんでしょう」  ひらりと輪に加わった、どこぞの若旦那のようないでたちの狐の言葉に、隣で踊っている頬かむりの狐が相槌を打った。  千両に照らされた影には、なるほど確かにふんわりしていそうな尻尾が揺れている。 「触らせていただいても? ちょいと失礼」  ぼんやりした頭でも、それはいけないと気づき慌てて身を引いた。ところが、スルリとズボンから抜ける感覚がする。振り向くと、若旦那の伸ばした手にススキが引っ掛かっていた。 「…………、―――― ぎぃぃやぁぁぁああっ」  けたたましく叫んだ若旦那は驚きのあまり狐の姿に戻り、手のススキを振り回している。 「尻尾がっ、尻尾がっ!」  この騒ぎに他の狐も驚いて集まり、僕たちを取り囲んでザワザワし始めた。 「だ、だ、大丈夫ですかっ?」  ひどく焦って何も言えない僕の体を、あちこちポンポン撫でて確かめる。 「尻尾が、……ススキ? え、おや、……尻尾ではない?」  ススキを握り締めている手と僕を交互に見やり、目を真ん丸くした。周りで話す狐たちの声が聞こえる。  どうした、どうした  どうも尻尾が取れたらしい  尻尾が取れるなんてことあるかね?  ススキが尻尾だと言ってますよ  尻尾がないなんて、まるで…… 「人間だ! 人間がいるぞ!」 「誰が連れてきたんだ!」 「人間がいるなんて」  とうとうバレてしまった。逃げ出せもできず縮こまっていると、招待してくれた紳士が僕のそばまできてくれた。 「やあやあ、正体がバレてしまいましたか」 「狐の集会に人間を連れてくるとは」 「なあに、気のいい坊ちゃんですよ。栗をいただいたお礼に招待したのです。狐が不義理だと思われるのは名誉にかかわりますからね」 「しかし、人間ですよ? 他の人間に知られて集会が開けなくなったらどうするのです」 「そうですよ。狐の集会に人間を呼ぶとはけしからん振る舞いですぞ」  みんなに詰め寄られた紳士が髭を撫でながら困り顔をしていると、思わぬところから助け舟があった。 「まあまあ、皆さま落ち着いてくださいな。こちらの坊ちゃんは尊大な振る舞いもせず、集会のために立派な柿を持ってきてくれたのですよ。それだけで人柄がわかるというものではありませんか」 「そうです。栗をくれたのも狐の姿のときでしたから、人間じゃないからと意地悪するような人ではありません。だいいち、そんな人間なら連れてきやしませんよ」  爺様が穏やかに話し、紳士も得意げに頷いた。騒いでいた狐たちは爺様が言うならと気を静めたようで、ホッとする。 「しかしですね、騒ぎを起こした罰は与えねばなりませんよ。毎回こんな騒ぎを起こされてごらんなさい、おちおち楽しめないではありませんか」 「そうですなぁ。ではどんな罰にしましょうか」  紳士と僕をよそに狐たちが小声で相談し始めた。やがて決まったのか、狐たちは頷き合う。厳めしい教職風の狐が前に出てきて重々しく罰を告げた。 「罰として紅葉山のシイ林のドングリを升に十杯集めること」 「できるだけツヤツヤした立派なものを選ぶように」  ハイと頷いた僕を横目に紳士は肩をすくめた。 「仕方ありませんな。こんな騒ぎになっちゃ落ち着きますまい。どれ、坊ちゃんを送りましょうか」  爺様にお礼と暇の挨拶をして集会場をあとにした。  千両の火をゆらゆらさせて、来た道を引き返す。集会場の灯りが遠く見えなくなると、紳士が口を押さえて笑い出した。 「いやいやまったく、あの驚きようといったら」  悪戯が成功したというような紳士のクスクス笑いを聞いていたら、しょんぼりした気持ちが薄れていく。飛び上がって目を真ん丸くした若旦那狐を思い出すと、申し訳ないと思いつつも笑いが込み上げた。  コオロギの鳴く夜道を狐と2人で愉快に歩き、家に戻るとまた明日と言って別れた。  翌日、紅葉山のシイの林に行った。狐はまだきていない。待っていても仕方がないので、どんぐりを拾っては袋に入れる。升十杯ぶんはなかなかの量だ。黙々拾っていると明るい声が聞こえた。 「やあ、今日もいい天気ですね。もう随分と拾われたようで」  感心する狐に袋を渡して中身を確かめてもらい、気に入らないどんぐりをはじいてもらった。袋の半分くらい拾ったところで狐が声を掛ける。 「もうこれくらいでよろしいでしょう。いやいや、ありがとうございました。わたしとしては面白かったのですが、坊ちゃんは面食らったでしょうね。またお誘いしたいところですが、ご迷惑になるといけませんから」  袋を肩に担いだ狐が残念そうに首を振る。でも僕は、この楽しい出会いをこれきりにしたくなかった。 「いえいえ、大変めずらしく楽しい体験ができて感謝しております。この春から分校の教壇に立つためにこちらにきたものですから、知り合いもなくて。久しぶりに心から愉快になりました」 「おや、こちらの方ではないのですね」 「はい。でも何年かはいると思いますので、山で見かけたら声を掛けていただけると嬉しいです」 「そうですか。またご縁がありましたら是非とも」 「はい。是非とも」  お互いにお辞儀をして、ひょこひょこ帰る狐を見送った。  そのあとも山にでかけたけれど、まだ一度も狐に会えていない。あの夜以来、窓が風で揺れる日は千両の灯りがともる集会場で狐の影絵がクルクルまわる夢を見るようになった。
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