【インガミ】

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【インガミ】

 もう少しだけでいい。あそこに小さな赤い実がつくまでで。それまででいいからもう少しだけこの気持ちを感じていたい……。  ただ傍で、野良猫に話すような他愛の無い話を聞かせてくれるだけでも。ただ傍で、服の擦れる音をせせらぎのように耳に触れさせてくれるだけでも。たったそれだけでも構わないのです。いまのわたしには――  そんな切なる思いを胸に、銀鼠(ぎんねず)色を纏うリョウが道端でしとり佇む天和(てんわ)二十五年某日。  ここは辻道(つじみち)。山道と街道の別れ道。かたや遠くに賑やかな町並みが広がり、かたや大きく荘厳な尾根が広がる。そして近くには、延々続きそうな一本道や深い川に架かる木橋などがあった。  秋旻(しゅうびん)香る涼やかな陽射しはそんな場所に佇む彼女を、寝ぼけ眼で見る旭日のようにぼんやり浮き立たせる。  やがて、大樹の木陰が道に伸びたことを知ったリョウはそわそわとし始めるが……そんな自分に幻滅してか、しゅんとなって小さな祠の前に腰を下ろすのであった。  前であれば気にも留めぬ移り変わり。木陰を見つめる顔こそ憂わしいものであったが、町へ向ければそれも静かと穏やかなるものへ。
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