番外編/名前は知らない

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中一のときに智先輩から春さんを紹介された。このとき、俺と春さんは付き合いとしてはまだニ年程度。 智先輩とは違って学校以外で出会うことのない春さんに懐いているのは、たぶん春さんが、面倒な偏見の言葉を口にする人ではなかったからだ。 そういうところに居心地の良さを感じていたのだと思う。春さんが俺に対して、恋愛的な意味で好意を一切持たなかったことも、居心地の良さの要因の一つだったのかもしれない。 好意を持たれるのは面倒だ。 俺の場合は、中学二年のとき、まだ恋愛感情なんていう高度な情緒が生まれていなかっただけだろうが、そういう意味で好かれたとき、対応するのが面倒だった。 智先輩はよくやっている。丁寧にあしらって、交友関係にひびが入らないようにしている。気遣いの得意な男だった。今もそうだ。 「さっき、俺邪魔しちゃいましたよね?」 「あはは、自覚があるの?」 「困ってるかな~と思い、犯行に及んだなどと供述し……」 「犯人供述!」 「っすね」 二人が付き合っていたなら、智先輩はこんなふうに知らない場で春さんが告白を受けていることなど許せなさそうだ。 なんせ、見知らぬ顔の綺麗な男と笑いあっているのを見ただけで、わけのわからないタイトルを付けて興味を引こうとするようなところがある。 わざわざ隔週の土曜に用事のない学校へ足を向けて春さんの花を見るのだって、何度考えても涙ぐましい努力だ。 人に見られたくらいで顔を真っ赤にして逃げ出すような男より、たぶん智先輩のほうがいい。 もちろん俺の勝手な意見だから口に出したりはしないが、心の中ではずっとそう思っていた。この日、春さんからその言葉を聞くまで。 「ありがとう。ちょっとだけ困ってたんだ。素直に話してもあんまり理解してもらえなくて」 「素直に……すか?」 「うん。人を好きになるっていう感覚? が、たぶん、ないんだよね。私は」
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