二話

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二話

 白い髪の男は、振り返り蔵之介の頬に触れ傷ついた頬に素早く糸を張った。  さらに体に糸を瞬時に巻きつけた。 「すまないがここにいてくれ」  と木に繋がれる。 「え、ちょっと!」  高い木の上にぶら下げられ、おきざりにされた蔵之介は白い髪の男を目で追う。  白い髪の男は巨体にとびかかっていき、両手から糸を放つ。同時にバードイートも糸を飛ばし、お互い飛ばした糸が絡まり、蹴りあうと遠心力で体を返し二人は離れていく。その間で絡んだ糸は切れ、飛び散った。  そして二人の姿は再び見えなくなった。 「なっ、なんで、っていうかおろしてよ!」  蔵之介が叫ぶが、返事は返ってこなかった。木につながった糸は細くなんとも頼りない。体は足まで糸でぐるぐるに巻かれミノムシ状態で宙づりにされていた。  足元を見ると、地面が遠くゆがんで見えた。目をぎゅっと強く瞑った。目を閉じていると体が少し揺れる。  目をそっと開くと、体はスーッと下へゆっくり下がっていく。 「え? 何?」  上を見ると糸が伸びていくのが見える。  のぞき込むように、頭を動かすが木の中には何も見えなかった。しかし、おろされ地面が近付いてるなら一安心だ。  安心感からまた下をみるが、まだかなりの高さだ。体を震わせ再び目を瞑る。  つるされた糸が切れないことをひたすらに祈った。  地面近くにつくと、地面に着く数センチ上で止められた。  体を動かしてみるが、ぐるぐる巻きにされた体は動かすことができない。蔵之介は諦めたように項垂れる。  しかし、なぜか糸は心地よく気持ちが落ち着いていた。暖かくは無いが、包まれていると安心できる。夜にこの状態になったら眠ってしまいそうだった。でも寝るわけには行かない。しばらくじっとして周りを見ていることにした。  それから十分くらい経っただろうか? もっと経ったようにも感じる。  さっきから、すごく静かだ。両者とも警戒しているのか戦う音が聞こえない。  蔵之介は上に広がる暗闇を見た。  そういえばなんで暗いんだろう? 時間はまだ夕方のはずだ。  それも夜の暗さではない。奇妙なくらい空が黒かった。  なのに視界はさえぎられず、周りの様子は見て取れる 「あいつ諦めたか?」  巨体の男が地面に降り、歩み寄ってきた。  踏みしめる足元の木の葉がサクサクとなる。 「どうした!?こないならこの生贄は俺のものだ!」  男は歩きながら周りに叫んだ。  誰も来ないのを確認して男はにやりと笑った。  だからといって油断しているわけでもなさそうだった。  蔵之介は息を飲んだ。これで戦いは終わりなのか? 自分はこの男の餌食になり、死ぬんだ。  確信ではない、あいまいな気持ちのままそう思いきゅっと目を閉じた。  すると、急にガサっと言う音が近くで聞こえた。目を開いて見ると、目の前で木の葉が舞っている。地面から 現れた白い髪の男が、巨体を打ち上げた。  突然のことに反応は遅れたが、バードイートも躱そうと体をひねる。  見上げると白い髪の男は巨体を牙でとらえた。 「えっ」  昔動画で見たことがある、地面に隠れて獲物を狩る蜘蛛。動きはそれだった。  時間にして秒もない。白い髪の男は牙をはずし、巨体を足蹴に木の枝に飛び移った。  巨体は蔵之介の目の前に落ち、蔵之介に手を伸ばす。しかしがくりと手を落とし、動かなくなった。  白い衣の男はまだ周りを警戒し、木の上から動かずにいた。  何度かあたりを飛び回り、糸を張っているのが見える。  糸は木から木へ張り巡らされ、その間にさらに糸がはられて行く。さすが人サイズの蜘蛛と言える大きさの蜘蛛の網が張り巡らされていく。それは一般的に見られる蜘蛛の網とは違い、格子状で魚を取る網のような作りだった。それがぐるりと蔵之介の各方位に張り巡らされた。  糸を張り終えると地面に降りサクサクと葉を踏む音が鳴った。その音はうしろから近付いてくる。  頭だけ振り返り見ると、白い長い髪をなびかせ、口元を指でぬぐった。そこから蜘蛛の糸が線を引き、キラリと光った。  「他愛もない」  そう呟くと、囚われた蔵之介の脇に立つ。自然と髪をまとめていた糸は切れ、はらりと髪がほどかれ、最初に見た姿に戻った。体に絡まった糸をほどくと、蔵之介は軽くふらりと体を崩しそうになる。白い衣の男はそれを受けとめ、支えた。 「もう一匹いると思ったんだが。君を木の下までおろしたのは誰なんだ?」  顔を上げると白い衣の男の顔が目の前にある。先ほど木の上に連れていかれた時と同じ綺麗な顔がそこにある。男と目が合うと彼の目は細まり、口元は微笑みを浮かべた。その瞳に心を惹かれるがはっと我に返る。 「あっ、えっと、誰なんでしょう……!?」  蔵之介は慌てて男から離れた。  蔵之介を地面に下したのは誰だったのか、あれはなんだったのか。蔵之介にも見当もつかなかった。  蔵之介はハッとして体を見ると、帯が緩み衣は肩からかかってるだけだった。ほぼ脱げてい状態で、前ははだけていた。 「うわっ」  慌てて隠そうと衣の前を合わせる。  しかし、男はその手を掴み、帯を外し、蔵之介の衣を脱がした。 「ちょっ何して!?」  服を脱がされると全裸だ。慌てて前を隠すが手を再び引かれ姿勢を正される。 「恥ずかしがらなくていい」  男はそういってほほ笑む。しかし、全裸で立つなんて恥ずかしく、蔵之介は顔を赤くした。 「良かったな、君は僕の生贄だ」  そう言われ、手を差し出される。  その手は白く、男の全身は輝いて見えた。不思議と心が引かれ、警戒しながらもその手に右手を重ねた。  それと同時に、白い髪の男の後ろから何かがとびかかってくるのが見えた。 「危ない!」  蔵之介は思わず叫んだ。叫ぶのと同時にとびかかってきた何かはクモの巣にかかり、跳ね返される。さらに糸 が絡まり身動きが取れずもがいていた。  跳ね返された体はしばらくもがいた後力尽きたのか、その場に倒れて動かなくなった。  蔵之介は手を引かれ、抱きしめられた。白い髪の男は顔だけ振り返り、あたりを警戒し周りを睨んだ。  蔵之介は抱きしめられながら白い衣の男の顔を盗み見た。輝く髪と衣がまぶしく、勇ましさとその神々しさに 胸も高鳴なった。力のある人間はオーラがある。蔵之介は気持ちを抑えようと目をぎゅっと閉じた。  なぜこんなにドキドキしてしまうのだろう。先ほど手を差し出されただけでも心が和らいだ。こんな気持ちになるのは……。  考える蔵之介をよそに、抱きしめる腕の力が一度強まり、ぎゅっと体が締め付けられた。服越しでも男の体躯がしっかりしてるのが分かる。  衣の男は、警戒を解くと表情はおだやかなものとなり、にこやかに笑う。  体を離されると、全裸だといういう事を思いだし、蔵之介は男の上着の裾を掴み恥ずかしそうに前を隠す。 「少し待って」  男はほほ笑んで数歩離れた。  体が離れ、手を体の前で交差させ手を振り上げた。  すると手の先から糸が飛び、手を動かす度に目の前で何層にも糸が重なっていく。男は舞うように体を返し、蔵之介へ向けて手から糸を放った。それは柔らかく、漂い蔵之介の方へ舞い飛んだ。  蔵之介は思わず目を閉じた。体に糸が触れる感触がする、しかしそれは軽い。 「終わった。それでいい」  そう聞こえ、目を開けると見慣れない衣を着ていた。  男の着ている衣と似た白い衣で、着物の様だがそれとも少し違った。 「あの、これは? 僕は……一体」 「君は生贄だ。今の戦いは君を勝ち取る為の物。それに僕が勝利し、君を手に入れた。だから君は僕の物だ」  男はそれだけ言うと、蔵之介の腰を抱え持ち上げ軽くキスをした。  唇を奪われ蔵之介は目を見開く。二度目の口づけ。慌てて押し返そうと胸を押すがむしろ強く抱きしめられ、頬を添えられた手でゆっくり撫でられる。さらに深く舌が絡み合った。蔵之介はぞくぞくと肩を震わせる。  男の手がやっと緩み、男の胸を押して体を離す。 「なっ、なんでキスするんですか!?」  蔵之介は口を手の甲で多い顔を赤らめる。 「なぜって、大切な人間にはこうするものだろ?」  確かに、大切な人にはするかもしれないが。初めて会った相手にするものでは無い。それに大切ってそんな簡単に決められるものなのだろうか?  しかし 「大切?」  その言葉が心をゆりほどく。  認めてもらえなかった蔵之介が求めていたもの。認めて欲しい、大切にして欲しい。そんなことがかなうのは一生ないのだろう。失望していた蔵之介の胸が、その言葉で暖かさを取り戻していた。期待してしまう。  男は手から糸を出し、木に投げつけた。蔵之介は抱きかかえ上げられ、その蜘蛛の糸が縮無と同時に二人で飛び上がった。糸を張り替え飛び移り移動をしていく。  少し進むと突然木の上に蜘蛛の糸の床が現れる。  男はそれに飛び乗ると蔵之介をおろした。 「その靴なら蜘蛛の糸にはくっつかない。しかし、滑り落ちたら終わりだ。気をつけて」  そう言うと、男は蔵之介の手を引いて歩き出した。  暗い道を二人で手をつなぎながら歩いた。蜘蛛の糸の足場は丈夫で、きしむことも揺れることも無かった。何層にも固い糸と柔らかい粘り気のある糸を重ね作られていると、男に教えて貰った。 「どこに向かってるんですか?」 「我々の村だよ」  すると突然の暗闇だった空が急に明るくなる。  思わず目を閉じた。目が明かりになれると、そこには白い世界が広がっていた。  どこか昔の日本を思わせるような建物が並び、屋根には白い瓦が並ぶ。  やはりくもの糸で出来ているから白いのだろうか?  蔵之介はその光景を見て少し感動していた。 「すごい、雪が降ったみたいだ」  蔵之介は嬉しそうに言って、白い衣の男を見た。男はほほ笑んで、頷く。 「君は面白いことをいうね」  怖い思いはしたが、この人といると安心できた。ここに来るまでも気遣ってくれていた。話を聞いていると生贄とは言っても、食われたり襲われたりする心配は無さそうに感じる。  街では所々でなにかがキラキラ光るのが見える。それが何かはここからではわからない。  蔵之介は再び男を見ると、変わらずこちらを見つめていた。少しどきりとして、何も無かったかのように街に目を戻す。しかし、男の笑顔に体が熱くなっていた。なぜか恥ずかしさもこみあげてくる。 「あの、なんでこんな白いの? 蜘蛛の糸で出来てるから?」 「それは僕が生贄を手に入れたからだよ。これから百年、白い世界が続くんだ。最高だろ?」  男は手で城のような高い建物を示し嬉しそうに笑う。 「って事はさっきまではちがったの?」 「そう、百年前の勝者は、人間の世界の名前で言えばセアカゴケグモ。みんな毒に負けたんだ。そのせいで黒に 赤い装飾が施された街だった。とても暗い世界で住みづらくてたまらなかったよ」  セアカゴケグモ、蜘蛛に詳しく無くても聞いたことがある人は多くいる種だ。蔵之介ももちろん知っている名前だった。  猛毒を持つ種類の蜘蛛で、日本にいる個体の毒は弱い。でも毒には変わりはなく忌み嫌われ、見つかればすぐに駆除される対象だ。  そして黒い世界。それを想像すると、住みにくく陰湿な雰囲気をしていそうだった。それとはうって変わって、今の世界は明るい。蔵之介にも過ごしやすそうに思えた。カラーが無いのは味気なく、ちょっとまぶしい気もするけど。 「さっきまで周りが暗かったのってそのせい?」 「そうだよ、ここは蜘蛛の糸が城壁の様に各所に張り巡らされてる。一本の糸自体は細いからさほど変化はないが、何層にも張り巡らされている。それが黒い糸で生成されていたから、遠くから見れば真っ暗になっていたんだ。順次白い糸に変わっていくから、さっきの場所も明るくなるよ」  蔵之介は納得し頷いた。 「さ、即位式だ。君は隣で立っていれば大丈夫だから」  そして男はこう付け加えた。 「今日から僕がこの国の王だ」  男はニコリと笑い、蔵之介の手をとり歩んだ。  その優しいしぐさにドキリとして蔵之介は逆らうことはせず従った。  即位式はとても賑わい、盛大に祝われた。  花が舞い、多くの人が王を見るために集まった。  王が手を振ると歓声があがり、蔵之介も手を振るよう指示され手を振るとそれ以上の歓声が上がった。  蔵之介は良い身分にでもなった気がして、恥ずかしくなり苦笑した。王は蔵之介の腰に手を添え抱き寄せると、指笛がなり蜘蛛の糸が舞った。  これは祝われている証らしい。 「やはり彼が王に」 「そうだと思った」  そうささやかれる声が聞こえた。  この王が即位するのは想定されていたものだったようだ。  即位式の挨拶が終わると、部屋に案内された。  ドアを開けると、一人で過ごすには広すぎる部屋だった。生活に必要なちょっと変わった形の家具が並ぶ、引き出しに本棚、クローゼット、ローテーブルとソファ。広い部屋は屏風で区切られ、その奥にはダブルベッドと、机と椅子が並んでいた。入ったドアから右サイドの壁にあるドアを開けるとシャワールームとトイレがある。トイレは家で使っていた水洗トイレと同じ様式の物だった。 「トイレは同じなんだ」  異世界に来たような感覚なのに、日本に戻された気がした。  不思議な世界観のある部屋の中を一通り見て歩いた。  ドアの両サイドに細い廊下が伸び、その先にもドアがあった。  そこを開けるとベッドがいくつか並び机や引き出し。簡易な作りではあるが、誰かが過ごすための部屋があった。同じ作りの部屋が反対側にもあった。  先ほど歩いた部屋にもダブルベッドはあった。  誰が使うのだろう? 気付くとここへ連れてきてくれた人は既に立ち去り、誰も居ない空間に一人置かれていた。拘束される訳でもない。生贄というものがなんなのか未だにわからない。  ソファに座るとドアがノックされた。 「僕だ、入るよ」 「はい」  王の声が聞こえ蔵之介は立ち上がり返事をすると、ドアが開いた。  王が部屋に入ってきて、後に二人続いて入ってきた。  ビアンカは蔵之介を見てほほ笑む。 「この部屋はくつろげそうかい?」 「はい、いろいろ揃っていて驚きました」  ビアンカは頷いた。 「即位式で聞いていたと思うが、僕の名前はビアンカ、白の王になるものとして名をつけられた。先ほどの戦いで勝利し、その期待通り王となった。そして君を、蔵之介を生贄として手に入れた。細かい説明やここでの生活のことについては彼が説明してくれる、君の世話役だ」  ビアンカはそういって、後ろに居た小柄な少年を示す。  少年の髪も白いが、王とは違い袖は短く衣はシンプルな装いだ。少年は手を体の前で重ね、一礼した。ここに来てよく見かける礼の仕方だった。 「即位式、お疲れ様でした。私は、ゼノス。あなたの世話役として務めさせていただきます。以前からビアンカ王に、蔵之介様の世話役として任命され人間の世界のことについても調べております。  こちらの生活で分からないことがあればお気軽におっしゃってください。また、最初のうちは危険な為、一人での行動はお慎みいただきます様お願い申し上げます」  少年は深々と頭を下げる。見た目のわりにすごく丁寧な口調だった。 「そしてこちらの彼は僕の世話役だ」  ビアンカはもう一人を示した。そちらは背が高く、装いは白をベースにカラフルだった。髪は黒く、所々に青と赤のカラーのメッシュが入っている。  ビアンカに比べ少し派手なイメージがある。 「皆にはピーって呼ばれています。よろしくお願いします」  丁寧な言葉遣いだが性格も明るそうだった。ビアンカとは性格が真逆に思えた。 「よろしくお願いします」  蔵之介が言うと、ゼノスとピーは困ったように顔を見合わせた。ビアンカはそれを見て蔵之介に向きほほ笑み言う。 「蔵之介だったな。君はここでの立場は僕と同等、もしくはそれ上だ。ここでは君は第一に守られる。だから下の者にその様な低調なふるまいをしてはいけない」  ビアンカはそういって、ピーの胸ぐらを掴んだ。 「低調?」  蔵之介が聞くのをよそに、ビアンカはピーの衣を引き前かがみにさせた。 「ああ、このように扱っても」  とビアンカはピーの胸ぐらを引き首に噛みついた。 「えええっ!?!?」  蔵之介は思わず声を上げる。ビアンカが離れると、ピーは首筋を抑えていた。 「抵抗することはない」  ビアンカはそういって毅然とした態度を取る 「え、それって、痛くないの? それに毒とか……」  ビアンカの蜘蛛の種類は分からないが、戦いで見る限り相手は毒でやられたように見えた。 「毒は入れてない。だろ、ピー?」 「はい、痛みはありますが問題ありません。でも、戯れがすぎます」  そういってピーはため息をつく。 「ごめんごめん」  そしてビアンカは噛んだ跡に手を触れ、糸をかぶせた。先ほど蔵之介も頬に糸を張られたが、傷口に糸を張るのはここでは手当の様だ。思わず蔵之介は頬を撫でると糸がざらついていた。 「今のは戯れだ。それに抵抗はしない。故にむやみに体罰を加えることはない。しかし、お互いの立場を守る為、毅然の態度を心がけなければならない。周りから見ればそれは不愉快だったり、敵視に値することもある。または容易に触れられる相手と判断され、襲われる。身を守るための行為だと思って欲しい。  実際の所、僕たちは幼馴染でもっと砕けた口調で会話できる仲だけど世を上手くわたるには必要な技術だ」 世の中を上手く渡る。人間の世界でも当てはまる話だ。家族でもちゃんとしてないと売られてしまう世界だ。  お腹のあたりで一度手をぎゅっと掴み、蔵之介は肩を落とした。 「どうかしたか?」  ビアンカが聞くと蔵之介は慌てて顔を上げる。 「あ、いえ、えっと、気を付けるってどうしたらいいんでしょうか?」  蔵之介はごまかす様に、手をわたわたと動かし聞く。 「そうだな、ならゼノスに命令してみろ」  命令?  ゼノスはその言葉に反応し姿勢を正し、蔵之介を見ていた。 「えっと、じゃあ」  と蔵之介は部屋を見渡す。すると壁にクモの糸のようなものがついていた。 「あの壁に着いた糸を片付けて、くれないかな?」 「くれないかなは不要だ」  ビアンカは言って、蔵之介の指さす先を見た。  三人共に、その糸を見て驚く声を上げた。 「あれはっ」  ピーが駆け出し、確認する。 「え?」  蔵之介が驚いていると、ビアンカは声を荒げる。 「なぜそんなものがここにあるんだ!?ピー、今すぐ昨日この部屋を使ったものを割り出せ」 「はい」  ピーはすぐに部屋を出ていった。ゼノスは掃除用具を持ち出し、蜘蛛の糸を片付け始めた。 「え、なに?」  蔵之介が唖然としていると、ビアンカは肩を抱いてベッドへと歩ませた。  ベッドは天井がありカーテンが垂れている。洋風の様だが仕様は和風だった。  そのカーテンで先ほどの蜘蛛の糸が見えない様さえぎられた。まるで子供が見てはいけないものの様に。 「君は知らなくていい事だ」  蔵之介はベッドに座らされ、先ほどの糸を思い返す。 「あ、あれって」  蔵之介は顔を上げ、目の前のビアンカを見た。見たことはある、けどあっているのかは分からない。 「知っているのか?」  蔵之介は困ったような顔をした。そして頷き、首を横に振る。 「はい。……あ、いえ、その……」 「その様子なら知っているようだな」  ビアンカは苦笑する。 「はい。スペルマウェブですよね。蜘蛛の雄が、精液を張った糸に出して、触肢の移精針に移す」  動画で見たことがあった。蜘蛛の雄は触肢の移精針に精子を移し、雌に針を刺し交接する。 「そうだ。だが、僕たちは独自の進化を遂げ、移精針を使うものはほとんどいない。だから部屋にスペルマウェブを作るということは“お前を犯す”ということを意味している。誰かが蔵之介を狙っているということだ」  ビアンカの手は怒りで震え強く握りしめられていたが、それを緩めた。 「だいぶ前からここは生贄が入る部屋だと決めていたんだ。昨日、日中に快適に過ごせる環境か最終確認をした。その時には無かったものだ」  ビアンカは困ったように眉を寄せた。怒りとも取れるその表情に蔵之介はドキドキしていた。母を怒らせたくなかった蔵之介には怒りは恐怖そのものだった。 「そんなに怒らなくても……」  蔵之介が言うと、ビアンカは驚いた様に蔵之介に目を向けた。 「怒るに決まっているだろう! 君が狙われてるんだ。君がどれだけ尊い存在か分かっていないのか? 蔵之介が酷い目にあうなんて、そんな事を許すわけにはいかない」  ビアンカはそう言って蔵之介の前に跪いた。蔵之介の膝に手を添え、そこにおでこを載せる。ビアンカの怒りが震えとして伝わってきた。  蔵之介にはまだわからない、ここのルールがあり、危険があり、それから守ろうとしてくれてるんだ。そう思い、蔵之介はビアンカの肩に手を置き口を開いた。 「心配してくれてありがとうございます。でも誰かに、狙われてるって? なぜ僕が狙われるんですか?」 「それはまだ言えない。もう少し大人の生贄が来ると思っていたんだが……、君は若い」  ビアンカは顔を上げ、蔵之介の腰に手を回した。まるで大切なものを包むかのようなその手に腰が敏感に反応した。初めての感覚に蔵之介は戸惑った。膝の前で座り見上げてくるビアンカの姿に、ドキッとして蔵之介は目をそらす。 「君は人間の中でも性成熟していないだろう?」  確かに成人はしていない、それに性も出したことはなかった。  蔵之介は中学二年、歳にして十四歳。なのにまだ出せてないというのが恥ずかしく、友人にはもう出たと偽り告げていた。ネットで調べるとストレスから出にくいこともあるとあった。多分そのせいだろうと自分に言い聞かせ、嘘でしのいできた。  ここに来てすぐにそんなトラウマをすぐ掘り起こされるとは思わなかった。死を覚悟したとはいえ、恥ずかしくなり、両手で顔を伏せた。 「蔵之介、大丈夫か? 気分が悪くなったなら部屋を変えよう」  ビアンカは蔵之介の肩を撫で、首元に手を添えた。 「ち、違います。大丈夫です」  蔵之介は片手でビアンカの服の袖をつまんだ。 「その、恥ずかしいだけです。こういう事、話すのは苦手で」
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