詐欺師がついた最後の嘘

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 ある街にザンギという名の、(ろく)でなし詐欺師がいた。どうにも褒めるところがなく、人として大切なものをどこかに置いて来てしまったような男だ。  その日も、ザンギはいつも通り人を騙した。昼間のうちに年老いた男から孫へのお使い賃を(かす)め取り、夜には哀しい娼婦のわずかな(たくわ)えを美味い話で持ち出させた。そうして得た金は、その日のうちに酒場で全部使ってしまう。それがザンギの日常だった。  酔いどれた頭を揺らし揺らし、安宿へと続く裏路地を歩く。ザンギがふと下を見ると、街灯に長く伸びる見慣れた自分の影にどうにも違和感がある。まるで影より暗い何かが、後ろから覆いかぶさっているようだ。   恐る恐る振り向くと、背中に小さな鬼が乗っていた。小鬼はザンギと目が合うとニヤリと笑い、ギチギチと耳触りな声で囁いた。 「おい嘘つきザンギ。おまえのついた嘘、あとひとつで一万個だぞ」  ザンギはその声に「ヒッ」と息を呑む。 「おかげさまで、もうじき俺様はご馳走にありつけるってわけだ。全くもって良い夜だ。なぁ、ザンギ!」 『一万の嘘をついた愚か者は鬼の餌になる』  それはこの国の誰もが知っている夜ばなしだ。その話を聞いた子供は、誰もが布団の中で自分の嘘を数えて泣きべそをかく。 「あ、あんな子供だましが本当だって言うのか?」 「その答えを知っているのは、俺様に喰われた嘘つきだけさ。例えばおまえとかな!」  ザンギは転がるように宿屋へと帰り、荷物をまとめて逃げ出した。 「さあ、早く嘘をつけよ。おまえはずっと口を開くたびに嘘をついていただろう?」  小鬼の囁きに耳をふさぎながら、行くあてもなく、けれど足を止めることも出来ずに、ザンギはさまよい歩く。口をつぐみ、人との関わりを避けて旅を続けたある日、小さな山小屋へとたどり着いた。  小屋の外には男の死体がひとつ。熊にでもやられたのか、肩に大きな傷を負っている。ザンギは死体を避けて小屋の戸を開けた。 「うわーん! おとう! おとう!」  小さな女の子が泣きながら飛びついて来た。 「おとう、言いつけ守ったよ! おとうが戸を開けるまでじっとしていたよ!」  外の男は父親なのだろう。この娘を、背に守ったまま死んだ。 「よしよし。よく頑張ったな」  そんな言葉を口にしたのは、なぜだったのか。ザンギの短くもない人生で、金にならない人間に自分から関わるのは初めてのことだった。  娘が顔を上げ、嬉しそうに笑った。だがその目はかたく閉じたままだ。 「この娘は(めしい)だな。父親が死んじまったら、この娘も生きていけねぇ」  小鬼がキシシと笑いながら言った。  娘はザンギを父親と間違っているようだ。そういえば外の死体は背かっこうや顔立ちがどことなくザンギに似ていた。おそらく声も似ているのだろう。  娘の重さと温もりは、ザンギの胸を強く締めつけた。それは生まれてから一度も感じたことのない痛みだった。 「小鬼、俺の最後の嘘だ。俺はこの娘を父親のふりをして騙す」 「へぇ、父親のふりをしてどこかへ売り飛ばすのか?」 「違う。嫁に行くまで面倒をみる」 「詐欺師のザンギが、見も知らねぇ子供の面倒をみるって? こりゃあまた大きな嘘をつく。さすが一万回目の嘘だな!」  小鬼はゲハゲハと笑い、そのあと真顔になって言った。 「おまえにそんな資格があると思うのか?」  小鬼の言う通りだ。人を踏みつけにし続けたザンギが、娘を守って死んだ父親に成り代わって良いはずがない。ザンギはそれがわかっていても、娘のしがみつく腕を離すことが出来なかった。 「十年だ。十年後の今日、俺を喰らいに来い。その時まで俺はこの嘘をつき続ける」 「ふん。まあそういうことにしてやる。他にひとつでも嘘をついたら、明日にでもお前を喰らいに来るぞ」 「ああ、それでいい」  小鬼は大きく舌打ちをすると、影に沈んで消えて行った。  それから十年。娘はザンギを父と呼んだまま育った。目が見えないながらも芯の強い評判のしっかり者で、幸せな結婚をした。  ところが、約束の十年を過ぎても小鬼は一向に現れなかった。たったひとつの嘘もつかずに寡黙な父親役を全うした十年は、ザンギの嘘を『本当』に変えてしまったのだ。  ザンギは安酒を一杯飲み干すと、十年ぶりに嘘をついた。 『散々で、楽しいことなどひとつもない十年だった。馬鹿なことをしたと後悔している』  それが、ザンギの一万回目の『最後の嘘』になった。 「ハハ! (ろく)でなしの詐欺師にしては、なかなか上等の嘘をつきやがったな!」  小鬼はザンギを丸呑みにしたあと、ペロリと舌を出し、影に沈んで消えた。  空に、小鬼の目によく似た赤い三日月がぽっかりと浮かぶ……そんな夜の出来事だ。
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