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天職
「横澤課長、明日のミーティングなんですが…」
「ああ、会議室2を9時から押さえてあるよ」
「了解しました。それでですね…」
「…ロジェのロールケーキだろ?
人数分、注文しておいたから」
「え?それもやっていただいたんですか!?
ありがとうございます」
新製品のお披露目も兼ねた午後のミーティングに
得意先の女性社長が好物にしているスイーツを
用意する…のは男の課長がやるのはおかしいのかな…。
目を丸くしている部下の男子社員の顔を見ながら
横澤瑛一はひとり苦笑した。
思えば、昔からこうだった。
女性が好きな雑貨やスイーツを
見たり食べたりすることも好きだったし、
妻の渚とショッピングに出かけて、
妻の洋服選びに付き合うことも
まったく苦にならなかったし。
自分にはどこか女性的な部分が
あるのかもしれない。
…その証拠に髪はフサフサとしたまま、
禿げる様子がないし(笑)
この会社に入社して、はや25年。
文具というより文具小物が昔から好きで
機能的なだけではない、可愛らしくて
インテリアとしてもオシャレな文具を企画したり
店頭に並ぶ商品のリサーチをしたりするこの仕事は
自分には天職かもしれない、とひそかに思っている。
それでも時々、心のどこかに
ポカリと穴が空いているような気持ちになった。
それは1人娘がイギリスの大学に進学して
この春から夫婦2人になったあたりから
芽生えた感情に思えた。
「あなた…?どうしたの?」
ある日の朝、渚が心配そうに尋ねた。
無意識のうちに私は妻の爪先を
ぼんやりと見つめていたらしい。
「いや…きれいだなと思って、そのネイル」
「え…?いつもの、だけれど…?」
渚は爪は伸ばさないが、短く整えられた爪に
淡い色のネイルをかかさない。
前々から気がついてはいたが、口に出したのは
これが初めてだった。
「ねえ、あなた…」
「ん?…」
「良かったら…塗ってみますか?」
「え…?…うん…」
今思えば、敏感な妻はどこか
気がついていたのかもしれない。
そして、これが私の
「変身」への第1歩となった。
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