第十三話 宮沢一敏

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 ※  あーーーッ。  と、一同の耳をつんざくような叫び声をあげたのは、意外にも響銀也であった。初対面のときには落ち着いたポーカーフェイスのうまい男だとおもっていた私だが、一緒にいるにつれ実態はそうでもないことに、ようやく私も気付きはじめた。  居間のソファでくつろぐ菅野と杉崎は、驚きのあまり床に転げ落ちている。なんという昭和的なリアクションだろうか。  ちょっと、と菅野が眉尻を吊り上げた。 「なんっすか響さん!」 「大声出すなら出すって言ってください、電気棒ケツに突っ込まれたみたいな声だして」  杉崎も尻をさする。  時系列に宍倉からの手紙を並び直していた私とエマは、響へ身を乗り出した。 「銀也さん、どうしたの?」 「なにか思い出したんですか」 「失礼──この本物の成増とおぼしき写真を見て、ようやく思い出したことがあって」  彼の手元にあるのは、先ほどの写真。  響曰く『本物の成増弘之』の顔を指さす。 「おれを眠らせるときに、成増がいろいろ言い置いた」 「え?」  響は、記憶のなかの出来事をぽつりぽつりと語りはじめた。  ────。  わるいな、と成増が言った。  無機質な天井、壁──凍えるほど冷えきったこの部屋のなか、機械をいじるその背中はめずらしく哀愁を背負っている。薄く硬いベッドに身を横たえた響が周囲を見回す。すでにふたつのベッドに菅野と杉崎がねむっている。響は「いいさ」とわらった。 「もともと君に救われなんだら死んでいた命だ。なんだってやりますよ」 「抗体軍人のなかにアンタがいて良かった、響さん。ほかの奴らに説明したところで、ちと話が難しすぎらぁ」 「はは。杉崎なんぞ体のほうは感染してもねえのに驚異の再生力を持ってやがるが、頭のほうは単純明快だ」 「はっはは。──それでも抗体を持っていたんだから、やっぱり選ばれた人間なのかもしれねえなァ」 「というと?」 「これまで、どんだけ調べても分からなかった。抗体を持つ人間と持たねえ人間の違いがさ。だから、俺はまた仮説を立てたよ」  成増は昏い瞳でつぶやいた。 「もともと、全世界の人類のうち数パーセントが抗体を備えているんじゃねえかとさ」 「まさか、自然発生だと?」 「人体は不思議のかたまりだ。だから、ありえない話じゃねえ。それにワケのわからん細菌がいるんだ、そんな人間がいたっておかしくないよ」  だが抗体も絶対じゃなかった、と成増はつづけた。宮沢のことか、と響が返す。 「うん。抗体軍人ともあろう男が母体感染ときた。ヤロー、まんまと女の身体につられやがって。細菌の巣窟に自ずから入り込みやがったら抗体も機能しねえらしいな。っとこれは、ずいぶんと下世話な物言いをしちまったか」 「宮沢をどうする」 「──さて、」  どうするかな、とつぶやく成増の横顔にはうっすらと笑みが浮かぶ。響はこのとき、これから成増がとる行動について、なにひとつ聞いてはいなかった。  彼から共有を受けたのは、宮沢が母体感染したこと、井塚研究員も姿を消したこと、──それを踏まえて一文字から抗体軍人を守るためこうして眠りにつかせようとしていること、だけ。  ふたたび響は横でねむる杉崎と菅野を見た。 「そういやどうやって眠りにつかせるんだ。このふたり息をしていないように見えるが」 「やっぱり気になるか」 「当たり前でしょう。逆にこのふたりは気にならんかったのか」 「コイツら眠れと言ったらさっさと眠ったよ」 「…………」  部屋にある機器を見ても、響には到底理解できない。成増はにんまりとわらった。 「響さん、俺はね。研究のなかで細菌の特性を見つけた。宿主に入った細菌は細胞に擬態して宿主の生命活動を繰り返す。だが宿主のいる環境が一定の温度を下回ったとき、細菌の活動は非常に制限されることが分かった。そして制限された状態では抗体も細菌に手を出さねえことも」  と、彼が手を広げて部屋を見回す。  妙に冷えているのが気になってはいたが──と、響は身体を起こした。 「……まさか」 「あんたたち抗体軍人に細菌を再度投与して、一時的に体内に細菌を宿してもらう。直後に部屋を凍りつかせりゃ、その細菌の生命活動であんたたちは半永久的に、歳も取らずねむりつづけることが可能なんじゃねえかと──これもまあ、検証が追っついてないんで仮説だから、万が一はある」 「つまり?」 「たとえば俺の見立てが間違っていて、抗体がさっさと細菌を殺しちまえば、あんたたちはここで目覚めねえまま凍死しちまう可能性もあるわけだ。……どう、ヤになった?」  成増はいつもの余裕ある笑みに戻っている。これは彼自身にとっても確証のない賭けなのである。実験体にされた菅野や杉崎は、かわいそうにそんな話も聞かされちゃいないのだろう。  けれど成増には自信があるのだ。  だからこそ、この瀬戸際に一か八かの検証をおこなうだけの覚悟もある。響はもはや、この男を信じるしか選択肢はなかった。 「どうせイヤになったところで、君はおれに薬のひとつでも盛るんでしょうから──かまいやしませんよ。でも出来ることなら、さっさと終わらせて早く起こしてほしいもんだ」 「俺だってそうしたいよ。そしたらまた、いっしょに宴会でもいたしましょうや」 「酒が一滴も飲めねえヤツが言いやがりますね」 「ククク……」  さあ寝て、と響は肩を押され、ふたたびベッドに横たえる。宙をさまよう響の左手が、成増の袖をつかんだ。 「成増くん」 「あーん」 「君、さっきなんてった?」 「あ?」 「母体が女の身体だと言ったな。母体は女なのか。君は母体の正体を知ってるのか?」 「…………」 「だったら、こんなことをする意味はない。いま菅野と杉崎をたたき起こして、おれたち抗体軍人とともにその母体をころしにいけばいい。なぜそうしない?」  すこし強く問い詰めたつもりだった。  けれど成増は微笑するだけで、なにを返すこともなかった。  同時に、袖をつかむ響の腕をとり、そこへ点滴の針を刺した。響の肩がびくりと揺れる。 「なあ、響さん」 「成ま──」  途端に意識が朦朧としはじめた。麻酔を投与されているのだとぼんやりおもったころには、目蓋が鉛のように重くなる。 「ダチュラを混ぜた。起床後、むやみに細菌のことよそに話されちゃ困るからな。だからつぎに起きたとき、少し記憶がなくなるかもしれねえが──『成増(俺)』がきっと導くから」  もはや目も開けてはいられない。  俺は、と近くで成増の声がする。 「俺の”正義“で動くよ」  わずかに残った彼の声。 「正義に正解なんざ、ねえもんな」 「…………」 「────おやすみ」  つぶやく声が聞こえたのを最後に、響の意識は完全に途切れた。    ────。 「ヤツは母体の正体を知っていた」  ということばを最後に、響は口を閉じた。  重い沈黙。杉崎と菅野もめずらしく真剣な顔で黙り込み、エマは不安げに眉をひそめて響を見つめる。ただひとり私はおよそ自分の手に負えぬこの物語の展開に、とまどい凍り付いていた。  だれが口火を切るかとうかがう矢先、意外にも杉崎が「つまり」と言った。 「俺たちが眠りについたときには、すでに井塚はどうにかなっちまっていたってわけか」 「ああ。だから代々の倉田が読んだ井塚文書ってのは、おそらくほかの誰かが井塚の名で綴ったんだろう。まあ、おおよそ予想はつきますがね」 「あの偽成増さんが?」 「ふふ、偽成増か──思い出しましたよ。彼こそが宮沢一敏、抗体軍人でありながら母体感染をしたおろかな男です。……しかし成増があれからいったいなにを企ててこうなったのか、それは宮沢から聞く必要がありそうだ」 「たぶん今ごろ、ロイくんたちのほうでもそんな話で盛り上がってんじゃねえんすかね」  と、菅野が時計に目をやる。  どういうこと、とエマが首をかしげた。 「連絡のねえ真司さんの後を追った彼が、むこうに行っておなじく連絡を寄越さねえなんて、話が盛り上がってるか何かあったかしか考えられん」 「たしかに……」  私は手元の携帯を見る。  響が語るあいだにも、何度携帯のようすを確認したかわからない。しかしエマのもとにも私にも、父はおろかロイからの着信すら一向に入ってはこなかった。  さて、と響が立ちあがる。 「これからどうするかだ。向こうが無事だと信じてこっちはこっちで情報を集めるか」 「母体を捜すってのは?」菅野が顔をあげる。 「それはもう無駄でしょう。宮沢はすでに知っているはずですから」 「あとできることと言ったら──」  エマは心細げにつぶやいた。  あのう、と声を出したのは、臆病者の私である。 「エマさんが襲われたっていう、男の人をさがすのは……?」 「パイロットか」  杉崎がいい顔で反応してくれた。  菅野とエマも「あっ」と思い出したように目を見ひらいている。一同の視線は、自然と響に寄った。  彼はめずらしく歯を見せてわらった。 「上等ですね、さて──どう攻めてみましょうか」
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