第十三話 宮沢一敏

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 ※ 『井塚ガ 倉田文彦ニ託シタ  倉田ヲ導キ 必ズヤ 根ヲ絶ツベシ  別冊文書内ニ スベキコト記ス  必ズ也遂行セヨ  貴様ハ 我ガ大日本帝国ノ大和男児デアル  母体ノ意図アレド 抗エ  母国ヘノ 細菌侵略ヲ 許スナ  女ガ死ス時 貴様モ共ニ 死ネ  地獄デ 待ッテルゾ』  宮沢が出した紙に、達筆で書かれた無慈悲な言葉。紙の端には茶色く色褪せた染みが点々とついている。手負いのなか、宮沢に託すべく遺したのだろうかと想起させる。  倉田とロイは、向かいに座る宮沢を見る。彼は青白い顔で紙を見つめていた。 「別冊文書は読後、即焼却するようにと指示があったのですでにありません。が──そこに成増さんからの指示が事細かに書いてありました。何パターンも予測され、これがダメならこうしろ、といったように。成増さんの軍服を着用して眠りにつき、成り代わったのもそのうちのひとつです。万一、正蔵殺害が出来ない場合の対策として」 「──と、いうと?」 「一文字正蔵を僕があのころ殺害出来ていれば、早急に抗体軍人を起こして母体を仕留めるという流れになっていました。しかし、僕にはできなかった。……皆さんが井塚文書と呼んでいたものは、真司さんの推察どおり僕がしたためたものです。成増さんの指示に、なにひとつ経緯を知らぬ倉田文彦くんが顛末を知れるように残しておくべし、とありました。それを井塚さんの名で残したのは……僕に自信がなかったゆえです。まさかわずかな筆跡で貴方に気が付かれるとは」  ロイはおどろきの目を倉田に向けた。  この状況になる今まで、倉田が宮沢とどんな話をしたのか聞いていなかった。倉田は険しい顔のまま「成増さんは」とつづけた。 「なぜ自分に成り代われだなんて言ったんだ。宮沢さんとして眠りにつけばよかったのに」 「ああ。それは井塚さんが倉田文彦くんに託す際、成増という人を頼れと言っていたからだとおもいます。おそらくは成増さん自身も、『成増弘之』という存在の大きさを自負していたのかもしれません」 「もうひとつ質問」ロイが挙手した。 「一文字正蔵を殺せなかった理由は? 一文字は感染者でもない、ふつうの人間だったんだろ。そりゃ人殺しに抵抗があったって言われちゃそれまでだけど……あんただって一応軍人だ。早い段階で可能だったんじゃないの」  と、言われた瞬間、宮沢の顔が暗く沈んだ。  倉田が眉をひそめて顎に手を当てる。 「そういや正蔵を殺すってなったとき、その、恩田さん? って人ですか。成増さんを刺した人。なぜその人はそんなにも正蔵を殺すことを否定したんです。その人は、貴方にとってどういう」 「母、です」  という宮沢の表情にロイがハッとする。それが単純に『実母』の意味ではないことに気がついたからである。  『母体ノ意図アレド 抗エ』──このことばの意味も。 「逆らえるものではありません。我々──いまは小此木くんや彰くんも含めて、細菌に侵された者にとって母の命令は絶対です。だから母が『一文字正蔵をころすことは許されない』と言ったならば、僕はどうしたって一文字を殺すなんてできやしなかった。成増さんはそれも見越していましたよ。別冊文書にはしっかりと、一文字正蔵を殺せなかったルートの予測まで丁寧に書かれていた」  じゃあ、と倉田は憤った。 「そのルートで成増さんが想定していた幕引きはなんだ。今となっちゃ、一文字正蔵は自然死で見事にこの世から消えた。とうぜん成増さんは想定したのだろうな! アンタが正蔵を殺れなきゃ、残るは倉田文彦が殺すか自然死を待つのみか。でも文彦はやれなかった。結果、正蔵が死んだのは戦後六十数年を経てようやくだ。それだけの永い時間、抗体を持ってるってだけの無関係な軍人眠らせて──いったいアンタたちはなにがしたかったんだッ」 「それは」 「七十年前! アンタたちがさっさと始末つけてくれりゃよかったんだッ。抗体軍人を眠らせる前に、みんなで、一文字正蔵も母体ももろともぶっ殺して、ぜんぶぜんぶ終わらせりゃよかったじゃねえか! そうすりゃ……みんな、みんな故郷にだって帰れた。家族のもとにだって帰れたんだッ」 「…………」  倉田の目には涙がにじんでいた。  横で聞くロイはうつむいた。彼や、その父文彦が抱えてきたものを思えば憤りは当然のものであった。それほど予測を重ね、重ねた結果にある今を見るかぎりでは、明らかに最善とは言えない。  申し訳ない、と宮沢は力なくつぶやいた。 「ほんとうに──申し訳ない。僕から貴方たちにはもう、それしか言えない。抗体軍人のみなさんも、小此木くんも彰くんも、結局あのとき僕が母に抗って一文字を殺せていればこんなことにはならなんだ。僕が、……」 「────」  倉田はぐっとくちびるを噛みしめて乱暴に涙をぬぐう。  一連のようすを横目に、ロイはひとり考える。 (待てよ──)  仮に、成増が予測に予測を重ねてルートを企てていたのだとすれば、そもそもこうなってしまうことも想定の範囲内だったのでは、と。現状がもっとも最悪なルートであるとは言わないが、成増ならばもう少しマシな形に誘導することは叶わなかったものだろうか。  これは想像だが、倉田家が重い荷を背負うことになっても、抗体軍人が七十年という浦島太郎状態になったとしても、それを仕方ないこととするほどに、成増のなかで最重要事項があったのではないのか。  確信はないが自信はあった。  ロイが「ねえ」と場の一同を見たときである。  ふいにパッと小此木が顔をあげた。  そのうしろに待機していた彰もおなじく反応し、わずかに瞳をぎらつかせる。宮沢は大儀そうに箱の天井を仰ぎ見ると「嗚呼」とちいさくつぶやいた。 「ど、どうしたんだ」 「呼ばれました」  ひと言言ったきり、宮沢はくるりと身をひるがえして箱の出口へと歩いていく。うしろに続くは小此木と彰。ロイは倉田と顔を見合わせてからあわててそのあとを追う。  ロイが「説明してよ」と最後尾を歩く彰の肩をぐっと掴むと、彼はうれしそうに「あ」とわらった。 「そうだロイくん、キミにはまだ礼を言ってなかったよな」 「は、?」 「僕がこうして生きていられるお礼だよ。ホントにありがとう」 「────」  一瞬、考える。  が、すぐに気付いた。そういえばこいつはなぜ生きているんだ、と。そう遠くないうちに三度目の腐敗をむかえてその命尽きるところだったはずである。それなのになぜかまだこうして、姿かたちの原型すら留めているのである。  まさかまだ腐敗が来ていないとでもいうのだろうか、とロイが眉をひそめる。 「ロイくんがあのとき来てくれなかったら、僕マジで終わってたからさァ。あのころはどうしてって思ったけど──今となっては清々しい気分だぜ」 「意味わかんねえ、なんでオレがアンタに会いに行っただけでアンタが助かることに」  母体感染したからだよ、と。  彰の前を歩く小此木がつぶやいた。母体感染だと、と倉田がするどい口調で返す。小此木からの二次感染だった彰が、途中で母体感染に変わるなんてことがありうるのか。  しかし小此木はなにも言わぬまま先をゆく。  一行は箱の周囲をぐるりとまわるかたちで、宮沢を先頭に雑草をかき分けて進んでいく。このまま歩いていくと、箱の裏手側──島内部から近寄れないように箱を囲う高圧電線へと行きつくはずだ。  彰はキラキラと瞳を光らせて言った。 「だってロイくんがあのとき、持ってきてくれただろ」 「え?」  まもなく高圧電線が見える。 「かあさまの差し入れ」 「か、……」  ふたりの視線がゆっくりと、高圧電線を挟んだ向こう側へ向いた。  かあさま!  三人が高らかに呼び称える。  電線の先。  まるで聖母マリアの如き慈愛の笑みを浮かべた、おんなが、ひとり。 「────」  倉敷ぼたんがそこにいた。
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