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第十四話 佐々木郁実
居間の電話が鳴った。
携帯電話を持つようになってから、すっかり使わなくなった固定電話である。引っ越してきた当初、電話回線の契約を終わらせるはずだったが、祖父母の友人たちがこの電話に時折かけてくるため、なんとなくそのままでいた。
出ます、と私は立ち上がった。
受話器をとって耳に当てる。こちらがもしもしのひと言を言う間もなく「真司さん」と焦った声が聞こえてきた。
「あ、はい。あの、倉田ですけど──」
『もしもし? 真司さん?』
「いや、息子の和真です」
『あっ。…………あー!』
失礼しました、と電話口で頭を下げる気配がする。
男は一文字社人事課長の佐々木と名乗った。
『真司さん、携帯にかけても出なくて……それで、おもわず固定の方かけちゃったんですけど。おもえばこれって常務の家であって、足立区の方の番号じゃないですよね。失礼しました』
「あ、や。たぶん──足立区の方かけても親父いないんで、こっちで大丈夫です。なんかあったんですか」
『真司さんいます?』
「いや、島に戻っちゃったんですけど──たぶん携帯いま繋がらないとおもうんで」
『あ、そっか。じゃあちょっと息子さんにお伝えしときます』
と、佐々木の声はわずかに強ばった。
『たったいま、玉枝会長の殺人事件で警察から連絡あって。倉田さんから話を聞きたいってんで携帯とここの番号教えたんです。自分もさっき真司さんに連絡したら繋がらなかったし、たぶん警察もこっちに電話してくるとおもうから──和真くん、対応できます?』
「け、警察。……」
対応できるかどうかと言われたら、否と言いたい。が、いまはそうも言っていられない。ちらと響を見ると、彼は微笑んで「心配ない」というジェスチャーをしていた。
「あの、いま親戚のおじさんが来てるんで、おじさんに対応してもらいます」
『あ、ほんと。よかった! それじゃあお願いします──』
通話はまもなく終了した。
受話器をそのままに、私がふたたび響を見ると、彼はソファから立ち上がり受話器を受け取った。
「聞こえてた」
「あ」
響の長い指がフックスイッチを押す。
「警察からってのは好都合だ。おれが対応しますよ」
エマもホッとした顔でこちらを見る。
杉崎と菅野は遠目から固定電話をまじまじと観察している。おそらく黒電話の頃しか知らないので珍しいのだろう。
待ちわびた着信音が鳴ったのは、響が受話器を置いた直後であった。
来た、とつぶやいて妖しくわらう響は、わざと二コールほど見逃してから受話器をとる。
「倉田です」
『どうも警視庁捜査一課の沢井と申します。倉田真司さんはいらっしゃいますか』
「警察の方──」
『一文字社の会長殺害事件で聞きたいことがありまして』
「ああ。はあ、わたしです」
と。
言った響に、居間にいた私たち一同は目を丸くした。まさか本人に装って出るとはおもわなかったからである。
電話の向こうでは、よかったと弾んだ声が聞こえる。
『先ほど二回くらい携帯にかけてしまったんですが、それ自分の番号なんで気にしないでください。いまこちらに戻っていらっしゃる?』
「はあ。あ、いえ」響の口角があがる。
「すぐに島へ戻るので、話はできれば島で」
『であれば、明日我々も小島に向かいます。朝便に乗る予定ですので、そのころお時間ください』
「はあ。あの、その事件のことですが」
『はい』
「きちんと一文字については調べてもらえてるんでしょうな。家宅捜索なんてのは入りましたか」
なにを聞く気だ、と杉崎が目を見開く。
電話の先では一瞬の間を置いてから『なぜ?』と問い返す声が聞こえた。
「や、すこし気になることが」
『社長の恒明氏には連日取り調べをしてます。息子の彰氏が行方不明となっている以上、被疑者のひとりとせざるを得ない』
「一文字の家のなかに、妙にガタイがよくて、色の黒い男がいませんでしたか。名は──いまなんと名乗っているのか知りませんが」
『家宅捜索は一度入ってます。が、使用人こそいましたが、そんな特徴の人は見かけませんでしたね。倉田さんはその人物が玉枝を殺したと?』
「あくまで実行犯という意味です」
──タマエは俺がころした。
『どういうことです』
「つまりそういうことです」
『明日、くわしく話してもらいますよ』
「もちろん」
ではよろしく、ということばをさいごに、響は受話器を置いた。
よろしくじゃないわ、とエマが眉を下げる。
「どうするの? まさか銀也さんが真司さんになりきるつもりじゃないわよね。警察のことだもの、当然真司さんの顔写真は持ってるはずだわ。すぐにバレるわよ!」
「真の字はまだ連絡とれないのかね」
と、響が私を見る。
携帯を確認するも、変わらず父からの連絡はない。響は明日の朝便で島にゆくと言った。
「どうせ真司くんも島にいるんだ、嘘はついていまい」
「ならわたしも行く。玉枝をころしたってことばを聞いたのはわたしだもの、いいでしょ?」
とは言うが、エマは同意を求めてなどいない。なにを言われても行くといってきかない顔である。勝手にしなさい、と響は肩をすくめた。
その横でパッと菅野が手を上げる。
「エマが行くならおれも」
「いや、菅野と杉崎にはこちらで調べてもらいたいことがある」
「?」
「どうにかして一文字恒明という男に接触しなさい」
「え、恒明って」
私はおもわずつぶやいた。
先ほどの響と警察の通話を聞いていた。現在第一被疑者として挙げられているのが、社長の一文字恒明だと電話の奥から聞こえたがその人物のことかと確認すると、響はそうだ、とうなずいた。
菅野は首をかしげる。
「おれたちが会ってどうするんです」
「恒明氏とパイロットの関係性についてさぐってほしい。もしかすると、パイロットの居場所を知っているかもしれない」
「そんなすぐに口割りますかね」杉崎がうなった。
「割らせるのが貴様らの仕事です」響はわらった。
でも、とエマが顎に手を当てる。
「パイロットは母体感染者なのよね。なら、偽成増さんに母体がだれかを聞いて、母体からパイロットの居場所を聞いた方が確実じゃない? 母体は感染者を統率する力があるんでしょう。どこにいるのか知ってるはずよ」
そうか、と私は口内でつぶやいた。
以前に父から説明を受けたが、私にとってはかなり複雑な話に聞こえてしまい、大半を理解してはいなかった。対するエマはその賢そうな見た目のとおり理解力も高いらしい。しかし響はそれ以上に先を読んでいたようだ。彼女の指摘に首を振る。
「たしかにパイロットは母体感染者です。が、しかし──どうもパイロットの動きが母体の意思のままに動いているともおもえない。母体なら、玉枝を殺害するよりも感染させる動きをとるのが妥当でしょう。それに加えて、エマに玉枝殺害の報告をしたのも奇妙です」
「目的が、わかんないすね」
たどたどしい口ぶりで会話に参加してみる。
母体の目的、パイロットの目的、裏でなにかしらの糸を引いているであろう一文字恒明の目的も、なにもかもが分からない以上、今後の動きを予測することすら難しい。
だからこそ、と響は言った。
「母体の目的は宮沢とともにいるであろう真司さんたちに任せて、こちらでは一文字恒明とパイロットの目的を探るべきだとおもったんですよ。できるか。杉崎、菅野」
「目的を引きだせばいいんですね?」菅野が口角をあげる。
「米軍捕虜の口を割るより簡単そうだ」杉崎も挑戦的にうなずいた。
「和真くん、ふたりをたのみますよ」
響はわらった。
父から連絡がきたのはその夜遅くのことである。
連絡が遅くなったことへの謝罪と、偽成増改め宮沢一敏から母体云々についての話を聞いたという。くわしい話は私から響に代わった際に話したようであった。
こちらはこちらで、一文字恒明との接触を試みる予定だと伝えたところ、父はわずかに声を弾ませて「一文字の鼻っ柱をへし折ってやれ」と煽ってきた。
ふと私が、
「親父も、ロイさんも、大丈夫?」
と問いかける。
父は意外にも電話の向こうで『大丈夫じゃねえよ』とぼやいた。
『もう知らねえことばっかで頭がおかしくなりそうだぜ』
「喧嘩とかしないでよ」
『誰とするんだよ、子どもじゃあるまいし。それよりおまえの方も大変なことになったな。一文字はなかなか手強いぞ。覚悟決めたんなら、いつものやさしい和真くんは封印しとけよ』
「え──?」
『こっちの正義を通すためなら、すこしくらい非情になれってことだ。杉崎、菅野コンビにもそう伝えとけ』
と。
いうなり電話口は父からロイへと代わった。
エマに代わってくれというので携帯を渡すと、彼女はぎろりと携帯をにらみつけて「もしもし」と声を低くしてつぶやく。
会話は聞き取れなかったが、エマの返答を聞くかぎりは互いに軽口を叩きあっているらしい。こんな状況でも余裕があるのかと思えばすこし安堵した。ほどなく携帯をぶち切って、エマは私に携帯を押しつける。
「ほんとテキトーな人でやんなっちゃう。どうしてあれがわたしの兄なのかしら」
「な、なんて?」
「和真くんに共有できる有用な話はなんにもなかった。もともと期待もしちゃいないけどね。それより明日の準備をしましょう。響さんが立ててくれた作戦を見直して、動きを再確認しなくっちゃ。なにせ明日は和真くんのほかに菅野さんと杉崎さんしかいないんだから」
「そ、それなんだよな──」
正直なところ不安でしょうがない。
杉崎と菅野が頼りないからというわけではないが、記憶がもどっていない以上、この件に関する情報について父やロイ、響に比べて持ち得ていないのも事実である。くわえてふたりともドがつくほどポジティブなので、ネガティブ思考の私には予想もできない考え方をすることがある。
これから先、どうなってゆくのかが分からないことほど怖いことはない。私は杉崎と出会ってから毎日そんなことをおもうようになった。
不安な表情が顔に出ていたのだろう。
だいじょうぶよ、とエマは元気よく私の背中を叩いた。
「もし明日が失敗でも、それですべて終わるわけじゃない。こういうのって気楽に構えた方が案外うまくいくものだから。ねっ」
「は、はい」
「あのふたりをご覧なさい。もう飽きちゃったみたい、バランスボールで遊んでる」
というエマの視線の先には、客間の端にころがっていた健康器具にからだをあずけて、ごろごろと転がるふたりのすがたがあった。まるでボールにのしかかって遊ぶセイウチだ。
あまりにのどかな光景に、ふっと噴き出す。
「……おれ、がんばります」
「無理しないでね」
エマはにっこりと微笑んでくれた。
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