第十六話 沢井龍之介

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第十六話 沢井龍之介

 船が波止場につく。  沢井龍之介は周囲をぐるりと見回した。職員たちはみな夏季休暇を取っているという。異様な静謐さが不気味で、沢井の腕にぶるりと鳥肌が立つ。が、うしろに控える静岡県警の立花と寺田は、早朝の空を舞う野鳥を指さして、呑気に名前を当てっこしている。すっかり観光気分である。 「お待ちしてました」  と。  背後から聞こえた声に振り返る。  ロマンスグレーの髪をうしろに撫で付けた初老の男と、西洋磁器人形(ビスクドール)のような顔立ちをした、いわゆるハーフの青年がひとり。  初老の男が「倉田真司です」と手を差し出す。  沢井は懐から警察手帳を取り出し、 「警視庁捜査一課の沢井です」  とその手を握った。 「昨夜はすみませんでした、携帯の着信に気が付かなくて」 「いえ。きのうのうちに戻られたんですか?」 「あ、彼がボートを運転してくれて」  倉田が青年に目を向ける。  保坂ロイ、と無愛想に名乗った青年はきょろりと船の方へ目を向け、まもなく手を上げた。つられてうしろを見ると、船で乗り合わせた男女が歩いてくる。うちひとりの少女は、青年と顔がよく似ている。  ロイくんの妹さんです、と倉田は説明した。 「保坂エマちゃん。今回の事件に直接は関係ないんですが、きのうお電話で話したことについて重要な証言を持っているので、呼びました」 「重要な証言?」 「詳しいことはここじゃなんだし、一般棟へ行きましょう。なんなら島も見ていってください。どうぞ案内しますから」  と、倉田が踵を返す。  その肩を掴んで、沢井が「彼は?」と問いかけた。先ほどからエマのうしろで、むっつりと押し黙ったまま動かない男。たいした美丈夫だが、眼光の鋭さははただ者ではない。  倉田はアッと声を上げた。 「響銀也さんです。えー、私の友人でして、エマちゃんがひとりで船旅は心細いというんで、ついてきてもらったんですよ」 「倉田さんと保坂兄妹は──どういったご関係なんですか」 「ロイくんがこの島へ業務委託で入ったのがきっかけですね。いまじゃうちの息子も交えた友人ですよ」 「なるほど」  沢井はうなずいた。たしかに倉田真司の雰囲気は初対面でも取っつきやすい。話を聞いていくと、保坂兄妹はむかしに両親を亡くしたという。とくにエマは八歳だったというから、倉田のもつ父性に惹かれたのも納得できる。  しかし、この響という男が沢井はどうにも気になった。  決して被疑者としてというわけではない。明らかに我々が生きる世界と、彼の生きる世界がミスマッチしている感覚。これも刑事の勘なのだろうが、当人からすれば言いがかりでしかないことだ。沢井は素直に案内にしたがった。  車でぐるりと島を一周。  遠くに見える箱型の建物──倉田は旧棟と呼んだ──だけは、現在使われておらず入れないとのことなので、ほかの施設や家々を見て廻った。  一時間ほどで島見学を終えたのち、ようやく一般棟と呼ばれる建物に入る。  ロビーにはひとりの女が待っていた。倉田いわく、この建物の管理人であるという。休暇のなかわざわざ開けてくれたらしく、立花と寺田は恐縮したように何度も頭を下げた。  なにかあったらお声がけください、と女は倉田に言付けて、管理人室へと引っ込む。ロビーのソファには沢井と立花、寺田が腰掛け、その対面に倉田とエマが座った。  ロイと響はすこし離れた席で、こちらのようすをうかがっている。  口火を切ったのは立花だった。 「改めて、本日はお時間いただいてありがとうございます。静岡県警捜査第一課の立花と」 「寺田です」 「静岡県警?」 「遺体発見場所が伊豆の海上だったもので。保安庁と協議した結果、県警が引き取ることになったんです。調べていくうちに一文字家が関わっとりゃせんか、ということで──いまはこうして警視庁も交えての合同捜査をやっとります」 「ははぁ。ご苦労さんです」 「では改めて警視庁の沢井です。自分としては、昨夜の倉田さんがおっしゃった話を重点的に聞きたいところなんですが、まずは事件当夜の貴方のアリバイも聞かせてくれますか。まあこれは、形式上のものなんで」 「あ、はい。いつのことで──七月二十日の深夜ですか。なにしていたんだったかな、たぶんいつもどおりこの島にいたと思いますけど。でも深夜でしょ? この歳だし、島の自分ちで寝てましたよ」 「深夜じゃないけど、夕飯はオレこの人といっしょに食いましたよ」  と。  横から入ってきたのは保坂ロイである。  聞けばかなり親しい仲らしく、しょっちゅう倉田の家で夕食をとるのだという。  分かりました、と沢井は背筋を伸ばした。 「では本題に入っても?」 「のぞむところです」 「どうも。……昨夜、あなたが仰った実行犯という単語が引っ掛かりました。倉田さんはその実行犯である男を知っていると、そういうことですか」 「私が、というよりは」倉田の視線が横に向く。 「彼女が」  視線の先には肩を強ばらせた可憐な少女、保坂エマ。彼女は怖い顔をして一心に沢井を見つめている。 「……保坂エマさん?」 「はい」 「キミはなにを知ってるんだ」 「あの日、えっとたしか……二十一日の夜、横浜のスーパーで買い物をしていたんです。そしたら突然色黒の男がわたしの手を掴んで言ったの」 「なんて」 「タマエは死んだ、おれがころしたって」 「なぜキミに?」 「知りません。でもホントです!」  必死なようすから、嘘をついているようには見えない。おまけに玉枝殺害の新聞発表は死亡推定日よりおよそ一週間後のことだ。容疑者でなければ知り得ないことではある。とはいえ脈絡のない話だ。なぜ突然、なんの関係もない彼女が関わってくるのか。おまけにその男がいった「タマエ」というのも、一文字玉枝のことかどうか怪しいものである。  などと考えていたのが顔に出たのだろう。倉田は「すみません」と頭を掻いた。 「順を追って説明します。とはいっても、彼女が関わることになったのは本当に偶然なんですよ。元はといえば私が、この兄妹を巻き込んでしまったことがはじまりなんです」  と、いう倉田にエマは不安げな視線を向けた。離れた席から見守る保坂ロイの表情も、どこか浮かないようすだった。  聞きましょう、と沢井はうなずいた。
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