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土砂降りの雨に遭い、逃げ込んだ先は切り妻屋根の公民館だった。
かつて、この土地では税金逃れのために家々の間口が狭く作られ、縦長に奥へと続く、いわゆる『うなぎの寝床』と呼ばれる建築方式が一般的であった。
そのため、狭い入り口に対して内部はひどく広く、襖を開け放した土間には展示の一つか多くの吊るし雛がひしめきあうように飾られていた。
ぽたぽたと雫の滴る傘を傘立てに入れつつ、人気のない建物内を見渡してみる…と、受付のすりガラスの向こうに一人の老婆が一枚の写真を持ってうつむいているのが見えた。
「可哀想に…まだ若いうちだったのに。子を成すのが夢だったのに」
ぷつぷつと呟く老婆の横顔は、背後で聞こえる雨音とも相まってどこか不気味な感じがし、早々に奥に行こうと歩き出す。
横目でみれば老婆の持つ写真はセピア色をした古風なものであり、中に写っていたのは髪をひとまとめにしたふくよかな女性であった。
「あの娘のために作った飾りだったのに。あの娘のことを想って一針一針縫ったのに…子を産む前に亡くなって。どうして、どうして…」
背後で聞こえる老婆の嗚咽。
飾られたつるし雛は、どれも薄汚れ擦り切れていた。
(子の健康のために作られる吊るし雛か…でも、これは)
そこまで歩いてようやく気づく。
本来であれば、ウサギやサルボボなど縁起物が連なるはずの吊るし雛。
だが吊るされた人形はどれも同じ、お包みにされた赤黒い胎児の姿をしていた。
近づくにつれ、無数の赤子は揺れ動き、産声を次々と上げる。
「誰か、誰でも良い…あの子を救っておくれ…」
無数の赤子の目がこちらを見る中、背後で老婆の声が聞こえた気がした。
◯
「大丈夫ですか…具合は?」
目を覚ませば、そこは公民館内部に設置されたベンチの上。うたた寝でもしてしまったのか受付の窓を開けた女性がこちらを心配そうに見つめている。
「あ、大丈夫です」
その時、己の声にどこか違和感を感じた。
喉を触るとなぜか喉仏の感触がない。
「よかったです、お腹の赤ちゃんはどれくらいですか?」
その声に目を落とすと上着の腹の辺りが異様に膨らんでいる。
「…六ヶ月です」
「まあ、もうすぐですね」
なぜ自分はそんなことを言っているのか。なぜ慌てることなく語れるのか。
ふと、受付のガラスを見るとそこには一人の女性…自身を女にすればこうなるのではないかという姿があった。
「あ、いけない。落ちている」
受付の声に顔を向ければ、土間の床に一体の吊るし雛が落ちていた。
「三月の節句に地域から集められたものだったんですが、どうしても返す家がわからなかったもので…持ち主がわかるまでこうして置いているんです」
「…では、それを持ち帰らせていただけますか?」と受付に告げる自分。
「え?」と驚いた顔をする彼女に「私は、その吊るし雛を作った者の親戚です。家にお邪魔した時に人形に見覚えがありまして」と言葉がつらつらと出てくる。
「では…お包みしますので、どうぞ」
そうして吊るし雛は紙袋に入れられ、傘を持って小雨の外へと出た。
歩き出せば、いつしか町全体に懐かしい雰囲気が漂い、近くの商店のすりガラスには女となった己の姿が映っていた。
(ずっとここに住んでいたような…腹の中にいるのは自分と写真の女との子供か?)
膨れた腹に恐怖よりも安らぎを覚える。腹の子がもぞりと動く。
早く自分を産んでくれ…私に、そう訴えかけているような気がした。
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