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「……おいっ!待てよ!おまえだよ、そこの黒い帽子の!今、懐に突っ込んだ物出しな!」
威勢のいい声が飛んだ。
声の主が小柄な若者なのを確認した帽子の男は、にやっと悪い笑みを浮かべただけで立ち去ろうとした。
「あーっ!無視するのかよ!永遠を超え黄金の平原の平和を護るためにティルエ魔法国よりこの地に降り立ったウィンクルムの次子ウィア、魔剣にかけて討伐を誓う!」
時代錯誤の名乗り。
駆け出しの魔剣士だろうか。
よく舌を噛まずに言えたものだと、私はこみ上げてくる笑いをこらえきれず噴き出した。
もちろん、討伐する相手はさっさと人混みに紛れてしまっている。
盗人が魔剣士の作法など知っているはずがない。
「おっさん!あんたの露店の人形が盗られたんだぞ!何を笑ってるんだ!」
若者の言葉はもっともだ。
私はこのルシリア王国の闇市でひっそりと土人形を売っていた。
本業は吟遊詩人である。
英雄の、時には名もなき人々の喜怒哀楽を歌い、語る。
「すまなかった。私は腕っぷしの方はからっきしでね。ありがたかったよ」
本当のところあの人形は、悪意を持つ者が所有すればその悪意が自身に跳ね返るように作ってある。
呪いの人形とも言えるものだが、助けてくれた若者にわざわざ伝えなくてもよいことだろう。
「ウィア君、だったね?魔法国出身の魔剣士は多くない。差し支えなければ、そんな中でどうして魔剣士を選んだのか、教えてもらえるかな。いや、私は吟遊詩人でね。色んな珍しい話を集めているんだよ」
ウィアは訝しげにこちらを睨んでいる。
もしかしたら愉快な話ではないのかもしれない。
ウィアの名乗りにあった父親のウィンクルムは、私の記憶に間違いがなければティルエ魔法国の国王に仕える腕利きの宮廷魔術師だ。
力を持った者のほとんどが魔術師になることを選ぶ国で、違う職業に就くには何か理由があるのかもしれない。
「父の跡を継ぐのは兄だ。おれはほったらかされてたし、別のことをしなきゃいけなかった。何より退屈な魔術師の修行をするくらいなら剣を振り回す方が好きだっただけだよ。珍しい話なんて何もない。それよりおっさん、吟遊詩人って言ったよね。おれのおかげで助かったんだから、英雄アートルムの武勲詩とか聴かせてほしいな!」
ウィアの声は高めで華がある。
さっきまでは知らないふりで行き交っていた通行人たちが、こちらをちらちらと見ているのが鬱陶しい。
そしてアートルム。
今は亡き最高位の魔剣士にして魔法鍛冶師。
知らなければ嬉々として歌い上げただろうが、私はあの男を知っている。
知らなければよかったとどれほど思ったことだろう。
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