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何かがおかしいと気づいたのは、意識が覚醒してすぐのことだった。体が妙な浮遊感に包まれていて、脳の端が鋭く痛んでいる。それに、なんだか息苦しい。一瞬、呼吸ってどうやるんだっけと思った。おそるおそる目を開くと、私は首を吊っていた。
少しずつ、頸動脈が締め上げられていく。足元には「遺言書」と書かれた白い封筒があって、ついさっき自分が自殺しようとしていたことを思いだした。
一度、私は死んだはずだ。苦しいながらも意識が遠のいていって、最後は誰かに抱きしめられているような心地よさがあった。それなのに私はまた首を吊っている。目を覚ましたら首を吊ったままでしたなんて話、聞いたことがない。私は首に掛かったロープを掴むと、腕に力を込め、体を持ち上げるようにして縄から脱出した。
部屋に、見知らぬ男がいた。戸締まりは無意識の自分に任せっきりだから、鍵を閉めたかどうかの記憶がない。男の年齢は五十ほどだろうか。もっと若いようにも見える。人によっては少年のようだと言うかもしれない。とにかく、私の部屋には知らない男がいた。
どうでもよかった。強姦されるのは嫌だったが、でもそのぶん私は苦しむことができる。そう考えてから自分に対する情けなさで破裂しそうになった。
「あなたは死なない体になりました」
突然、男が言った。「は?」思わず声がこぼれ落ちる。
「ご友人から代償をいただきましたので」
あなたは誰なんですか。男の話す間に準備していた言葉よりも早く、「友人?」、優先度の低そうな質問が口を衝いた。
「美咲様でございます」
低いような高いような、どちらとも表現しがたい声で男は言った。美咲。私の古くからの友人だ。親友と言ってもいい。
「美咲? なんで」
意味がわからなかった。美咲から何かを奪って、私は不死の体を手に入れた。単語が脳の表面をつるりと転倒する。先ほどまで首を吊っていたせいで、頭に酸素が行き渡っていないのかもしれない。
「美咲様のご希望でございますゆえ」
代償とは何か。男の正体は一体なんなのか。なぜ私は死ななかったのか。そういう質問たちを投げるよりも先に男が立ち上がった。「説明はさせて頂きましたので」、男はそれだけ言うと、ろうそくの火みたいにふっと消えてしまった。プロのマジシャンかもしれない、と思った。
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