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鍋を持った少女が走っていた。
左右に付いた取ってを両手で握り、夜の住宅街をひとり駆けている。
「あッ!? ごめんねネコちゃん!」
急いでいるせいか。
横切ったネコを踏みそうになったが、少女はなんとかこれを回避し、謝りながら再び走る。
彼女がなぜ鍋を持って走っているのか。
それは、付き合ったばかりの同級生の恋人に、自分の作ったカレーシチューを食べてもらうためだった。
少女は今日、親戚の家でホームパーティーがあり、そのときに作ったカレーシチューが会心の出来だった。
彼女が料理をはじめてからベストスリーに入る完成度で、両親をはじめ、親戚一同からも大好評。
自他共に認める最高のカレーシチューを作ることに成功した彼女は、これをどうしても恋人に食べてほしくて、、鍋を持ったままホームパーティーを抜け出したのだ。
親戚の家から恋人の家までは、車でおよそ五十分ほど。
当然タクシーに乗った。
だが、慌てて飛び出した彼女は手持ちのお金のことを考えておらず、途中で降ろされてしまう。
タクシーの中で、すでに恋人には向かっていることを知らせてある。
幸いなことに、降ろされた場所から恋人の家はそう遠くない。
少女は急げばカレーシチューが冷めてしまう前に辿り着けると、鍋を持って走り出したのだった。
息を切らしながらも少女は考える。
この自信作の料理を、彼にひとくちでも食べてもらえたら充分。
ましてやおいしいなんて言ってもらえたら、嬉しすぎて泣いてしまうかもしれない。
そう思うと、呼吸がつらくとも笑みがこぼれてしまう。
「見えた! もうちょい、もうちょいがんばれアタシ!」
普段ろくに運動などしないため、少女は足が棒のようになっていた。
脇腹も痛い。
しかし、ついに彼の家に辿り着いたのだ。
少女の恋人は、約束の時間になったからか、家の前で立っていた。
彼が走ってきた少女に気が付くと、その両目を大きく開けていた。
「ねえ! 今日は親戚の家に行くって言ってたのに、どうしたんだよ急に!?」
鍋を持って現れたことに驚いていた彼に、少女は事情を説明した。
出来上がったカレーシチューが過去最高の出来だったこと。
それをどうしても恋人に食べてほしくてタクシーに飛び乗り、途中でお金が足りなくなって走ってきたこと。
これまでのいきさつをすべて話した。
そして少女は、彼が何か言う前に、まるで畳み掛けるように話を続ける。
「いや~がんばったけど結局冷めちゃったみたい。じゃあ、これ鍋ごと置いていくから。よかったら温めなおして食べてね」
「大丈夫? フラフラなんだからうちで休んでいきなよ」
「大丈夫だよぉ。少し走っただけだもん。あ、あぁぁぁ!」
少女は恋人の顔を見て安心したのか、手の力が抜けてしまった。
いや、すでに疲れきっていたのもあったのだろう、身体の限界と安堵の気持ちから、鍋をその場に落としてしまう。
無惨にも地面に垂れ流されたカレーシチュー。
彼はここまでの少女のがんばりを労おうと声をかけようとすると、先に彼女が口を開く。
「はは、ごめん、ごめんね。すぐにかたすから!」
その場に両膝をつき、地面に垂れたカレーシチューを手で鍋へと戻しながら、少女は笑ってみせた。
恋人に気を遣われないように、こんなことなんでもないのだと笑顔を作る。
「いや、ホントおさがわせしちゃって、すみませんでした!」
だが、そんな強がりは長く続かず、彼女は笑みを作りながらも涙を流していた。
俯きながらも肉やニンジンを手に取って、彼にそんな顔を見られないようにしている。
「バカみたい……。なにやってだろうね、アタシ……。ひとりで舞い上がっちゃって……」
こんな女は迷惑だよねと、内心で自分を責める少女。
そんな泣き崩れている少女に声をかけない恋人は、突然屈んで、地面に両膝をついた彼女と視線を合わす。
「え?」
そして彼は手を伸ばし、少女が拾った肉やニンジンを自分の口へと放り込んだ。
モグモグと咀嚼し、彼女の作った料理の味をかみしめている。
「うん。冷めたのは惜しいけど、おいしいよカレー」
彼は泣いている少女の前で、地面に転がっているカレーシチューの具を次々に食べていく。
少女はそんな恋人の姿を見て、さらに涙が止まらなくなってしまった。
「もうぅ、汚いよぉ……。落ちたものを食べるなんてぇ……」
ようやく自分へと顔を向けた少女を見て、彼はニカッと白い歯を見せた。
了
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