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1-1 祖父の死
明るい笑顔を見るのが大好きだった
だけど、人一倍寂しがりやだったね
辛い時、悲しい時は我慢しないで泣いてもいいんだよ
君が目覚めるまでは側にいるから―
****
桜の木々に囲まれた葬儀場に参列者達が集まっていた。
「家の中で倒れている所をお隣の川合さんが発見されたそうよ」
「他にご家族はいないの?」
「それが千尋ちゃんがまだ小学生だった頃に両親が交通事故で亡くなったから、幸男さんが娘の子供を引き取ったのよ」
「父方のご両親は何故ここに来ていないんだろう?」
「千尋ちゃんのご両親の結婚に猛反対だったらしくて絶縁状態だったのよ。でも流石に自分の息子のお葬式には来たけれど、幸男さんと大喧嘩になって大変だったみたいね」
「まあ、千尋ちゃんも成人して働いているから先方も幸男さんの葬式に来ないのかもな…」
葬儀場で近所の人々の会話を青山千尋は椅子に座って窓から見える美しく咲いた桜の木々を眺めながら、ぼんやりと聞いていた。
昨夜のお通夜には千尋の友人達も大勢駆けつけてきてくれたが、平日の告別式となると彼等の参加は難しい。結局千尋から告別式には顔を出さなくても大丈夫だからと断ったのである。人が少ない会場での会話は全て千尋に筒抜けとなっていた。
(そっか…だから向こうのお爺ちゃんやお祖母ちゃんに一度も会った事が無かったんだ…)
千尋の両親が事故で亡くなったのは千尋が修学旅行に行っていた最中の出来事だった。両親の死で独りぼっちになってしまった千尋を引き取ってくれたのが千尋の祖父の幸男である。千尋は突然の両親の死を受け入れる事が出来ず、二人の葬式にもショックで参列する事が出来なかった。
千尋は祖父の遺影を見つめた。そこには笑顔でカメラに写っている祖父の姿があった。専門学校を卒業したお祝いの席で千尋が撮影したものであった。
<上手に撮れたなあ。よし、爺ちゃんの葬式の時はこの写真を使ってくれよ>
生前の祖父の言葉が頭をよぎった。あの時は、そんな縁起でもない事を言わないでと祖父に怒って言った言葉が、たったの1年で現実の出来事になるとは思ってもいなかった。
堪えていた涙が出そうになり、千尋はぐっと両手を握りしめた。
その時である。
「千尋ちゃん」
聞きなれた声で呼びかけられたので、千尋は振り向いた。
「川合さん」
声の主は祖父が家の中で倒れているのを発見し、救急車を呼んでくれた人物だった。
「その節は大変お世話になりました。バタバタしていて御挨拶にも伺えずにすみませんでした」
千尋は慌てて席を立ち、深々と頭を下げた。
「いいのよ、そんな事全く気にしないで!突然お爺さんを亡くされた上に、葬儀の手配まで全て一人でやったんでしょう?それより大丈夫?すごく顔色が悪いわよ?食欲が無いかもしれないけど、こんな時だからかこそちゃんと食べなくちゃ」
そう言うと女性は千尋におにぎりとお茶を乗せたお盆を手渡した。
「あ、あの…これは?」
「まだ式が始まるまで時間があるから、ちゃんと食べるのよ」
「ありがとうございます」
千尋は頭を下げた。
いいのよと女性は手を振りその場を後にした。恐らく自分がいては千尋が食べにくいと思い、気を利かせたのだろう。
「いただきます」
千尋は小さく呟くと自分の隣の空いてる席にお盆を置いておにぎりを口に運んだ。
「美味しい…」
ここ数日、余りにも色々な出来事があった為、まともに食事する事すら忘れていた。そもそも食欲など皆無であったが、差し入れのおにぎりは女性の気遣いが感じられ、今の千尋には何よりのご馳走であった。
食事を終え、空いたお盆とお茶を給湯室に置きに行こうと席を立った時。
「青山さん!」
会場に響き渡るような大声で千尋を呼ぶ声がした。
「あ…店長?!」
花の専門学校を卒業した千尋は自宅周辺の最寄り駅である花屋で働いていた。そこの店長が突然葬儀場に現れたのである。店長の名前は中島百合、年齢は35歳で細見で長身、ショートカットの髪型の為か年齢以上に若く見える中々の美人である。ちなみにまだ独身で、婚活中。
「ど、どうしたんですか?店長。お店が忙しいので参列されなくても大丈夫ですってお話しましたよね?」
千尋が働いている花屋『フロリナ』は全国規模の大型チェーン店の花屋である。どのような商品を売るかは、店長が自由に決める事が出来るスタイルを取っており、特に店長の中島はセンスが良く、フラワーアレンジメントや流行りのハーバリウムそしてブリザードフラワーといった商品の品を多く揃えたことにより、常に客が絶えない人気の店となっていた。更に男性達からは≪若くてとびきり可愛い看板娘がいる≫と評判の店であったが当の本人、千尋は全くその事実には気が付いていない。
そんな人気の花屋をパートの女性を含め、たった3人でまわしている訳である。当然、自分も含め店長まで不在となれば皺寄せは一気にパート女性にのしかかってくる。
「大丈夫よ。だって昨夜のお通夜には参加出来なかったんだもの。今日は本社に連絡して臨時休業にさせて貰って渡辺さんには休んで貰ったから。実は今一緒に来てるんだ。ほら、渡辺さん。こっちこっち」
店長が手招きしている方を見ると、パート女性の渡辺真理子が大急ぎで向かってくるのが見えた。背はあまり高く無く、太めの体系の為、喪服のパンツスーツがかなり窮屈そうな様子である。3月末とはいえ額に汗をかき、ハンカチで汗を拭きながらやってきた。年齢は40代前半、夫と高校生・中学生男児二人の子供を持つ女性である。
忙しい主婦の身ながら週5日、11時~18時まで働いてくれているので、千尋や店長にとって、とても頼りになる人物である。
「千尋ちゃん!」
女性は千尋の側に小走りで駆け寄ると、千尋を力強く抱きしめた。
「可哀そうに!千尋ちゃん…!私に出来る事があれば何でも言ってね?貴女は私にとって可愛い娘みたいなものなんだから!」
「渡辺さん…」
千尋は渡辺の気持ちが嬉しかった。以前から彼女は祖父と二人暮らしの千尋を気遣い、家族の分の食事を作り過ぎたからと言っては千尋と祖父の為に手作りのお惣菜を持ってくる等と何かと世話を焼いてくれてる。
「渡辺さん、ありがとうございます。私なら大丈夫です」
千尋は渡辺を心配させまいと無理に笑顔を作った。
「そう、でも本当に遠慮しないでね?私の家にご飯食べに来てくれても全然構わないからね?」
その時、葬儀場の女性職員から声をかけられた。
「青山様、そろそろ式が始まりますので」
「あ、私たちは向こうの席に行ってるわね。行きましょう、渡辺さん」
店長の中島に声をかけられ、二人は参列者の席に移動した。程なくして式は始まり、千尋は喪主をきっちり務め上げる事が出来た。
葬儀には千尋の親族はいなかったが、生前幸男と親しくしていた友人達や近所の人々、そして中島と渡辺も火葬場まで付き添ってくれてお骨あげまで参加してくれたのである。朝から葬儀は始まったが、全て終了したのは夕方になっていた。
「それじゃ、千尋ちゃん。お店の事は気にしないで身体をしっかり休めてね」
帰り際、中島は千尋に言った。
「でも…1週間もお休みを頂く訳には…渡辺さんと二人でお店を回すのは大変ですよ?」
「大丈夫、大丈夫!うちの息子がその間アルバイトでお店に入るから!今ちょうど春休みだし、こき使ってやるわ!」
渡辺は豪快に笑いながら言った。
「ね、上の方も了承してるし。そんな訳だから全然気にしなくていいからね?」
中島は千尋の肩をポンと叩くと、渡辺と一緒に帰って行ったのである。
千尋はその後、葬儀場の職員と49日の法要等の手続きを済ませ、家に帰ってきたのはすっかり日も暮れていた。
千尋が祖父の幸男と暮らしていた家は築45年の古い木造家屋で平屋建て。全ての部屋が和室であるが、部屋数は二人で住むには十分な数があり、幸男の趣味の家庭菜園が出来る程の広い庭付きの家である。
「ただいま」
千尋は真っ暗になった家の玄関の鍵を開けて、中に入ると
「ワン!」
白い大きな犬が千尋に飛びついてきた。
「ヤマト、ごめんね。すっかり帰りが遅くなって」
千尋はヤマトの前にしゃがみ、頭を撫でるとヤマトは嬉しそうに尻尾を振った。
「ヤマト…」
千尋は黙ってヤマトの頭を撫で続けていたが、やがて
「キュ~ン」
ヤマトが鳴いて千尋を見上げた。その時になって初めて千尋は自分が泣いている事に気が付いたのである。
「あ…私、泣いて…」
そこからは堰を切ったように後から後から涙があふれて来た。
「ヤマト…。お爺ちゃん死んじゃった…私独りぼっちになっちゃったよ…。こんな広い家でたった1人で、私これからどうしたらいいの…?」
するとヤマトは千尋の顔をペロリと舐めてジ~ッと見つめた。その姿はまるで
(大丈夫ですよ。私がいます)
そう伝えているように見えた。
「ああ、そうだったね。私にはヤマトがいるものね。独りぼっちじゃなかったんだ。ありがとう、ヤマト。」
千尋はヤマトをきつく抱きしめて言った。
「ヤマト、帰りが遅くなっちゃったからお腹空いてないかな?」
今朝家を出る時に1日分の餌と水を用意して出かけたのだが、量が足りたのか千尋は気がかりだった。餌と水を見るとすっかり空になっていたので、千尋はすぐに台所に行くとヤマトも後を付いてくる。千尋がドッグフードと水を用意してヤマトの前に置くと、ヤマトは嬉しそうにすぐに餌を食べ始めた。
「ごめんね、やっぱりお腹空いていたんだね」
ヤマトが餌を食べている様子を見届けると、千尋は風呂に入る準備をした。
部屋着に着替えて居間に入ると餌を食べ終えたヤマトが寝そべっていたが、千尋の気配を感じると起き上がって尻尾を振った。
「お風呂が沸く間テレビでも見よっかな」
千尋はリモコンに手を伸ばすと、たいして面白くも無い番組を見ていたが内容なんかちっとも頭に入ってこなかった。
(お爺ちゃん…)
ともすればすぐに頭に浮かんでくるのは無くなった祖父の事ばかりである。祖父の事を思い出すと、再び目頭が熱くなってくる。 その時、ふいにヤマトに袖を加えて引っ張られた。
「え?何?どうしたのヤマト?」
ヤマトはそのまま千尋を風呂場まで引っ張ってきた。
「あ!お風呂沸いてたんだね?気が付かなかった。ありがとうヤマト」
ヤマトはのっそりと風呂場を出ていた。
千尋は脱衣所の鏡の前に立つと、そこには疲れ切った顔の自分が映っていた。
「嫌だ…酷い顔‥」
目は赤く泣きはらしているし、顔色も酷く悪い。しかも心労の為か、たった数日で体重もかなり減ってしまった。
(これじゃ、ゆっくり体を休めなさいって言われても無理がないかもね)
千尋は深いため息をつくと、お気に入りの入浴剤を入れて風呂に入った。
小一時間後、風呂から上がった千尋が自室に戻ると、いつの間に移動したのかヤマトが仰向けになって眠っている。この寝姿は毎度の事ながら微笑ましい。
「お休み、ヤマト」
千尋は電気を消すとベッドに潜り込んだ。余程疲れ切っていたのか、程なくして寝息が聞こえ始めた。
この日から千尋とヤマトの新しい生活が始まった。
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