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2-6 二人だけのお祝い
千尋と渚は病院内部にあるレストランにやってきていた。
「うわあっ病院の中にあるとは思えない綺麗なレストランだねっ」
渚は感心したように言った。
「本当。とっても広いしメニューも豊富で美味しそう」
千尋はレストラン入り口にあるメニューを模した沢山のサンプル食品を見て言った。
「早く中に入ろうよ、千尋」
渚は手招きをした。
二人はレストラン中央のテーブル席に座ったが、中々店員がやって来ない。
「店員さん、来ないね」
千尋は渚に言った。
「そうだね。僕が直接頼んでくるよ。何だか忙しそうだから」
待っててと言うと渚は店員をキョロキョロと探し回り、見つけた男性店員に声をかけに言った。そして暫く話し込んでいる。
「?何話し込んでるんだろう?」
千尋は不思議に思った。やがて話を終えた渚が戻ってくると千尋は尋ねた。
「どうかしたの?渚君」
「うん?実はね、この店オープンしたてで人手が足りなくて困っているらしいんだ。だからここで僕を働かせてもらえないか聞いてみたんだよ。丁度新しい仕事探していたしね。悪いけど千尋、この後面接したいって言われたから先に帰っていて貰えないかな?」
「そうだったの。分かった。それじゃコーヒー飲んだら先に帰るね。あ‥でも大丈夫?ここからどうやって帰るの?歩くには遠いし…」
<フロリナ>から山手総合病院までは車で15分はかかる。歩くには少し距離が離れすぎている。
「大丈夫、駅前までバスが出ているから帰りはそれに乗って帰るよ。面接が終わったら一度家に帰って家の事終わらせたら千尋の帰る時間に迎えに行くからさ」
その時、二人の間にコーヒーが2つ運ばれてきた。
渚はコーヒーの香りを嗅ぐと言った。
「へえ~。すごくいい香りがする。中々良いコーヒー豆を使っているみたいだよ」
千尋も言われて香りを嗅いでみるが、渚と違って違いが分からない。
「う~ん…。私にはあまり違いが分らないかなあ?」
「アハハッ、そりゃそうだよ。僕はコーヒーにずっと触れて仕事してたから分かるけど、普通の人には匂いだけじゃ中々分からないと思うよ?」
コーヒーを飲み終わると渚は席を立った。
「ごめんね、千尋。一緒に帰れなくて」
「ううん、大丈夫だよ。面接、上手くいくといいね。でも履歴書無くて大丈夫だったの?」
「それは大丈夫、履歴書の予備があるそうだから。厨房の奥に部屋が事務室になっているらしくて、そこで面接を受けるんだよ」
「そうなんだ、それじゃ面接頑張ってね」
「うん、行って来るね」
渚は言うと千尋を残して席を立った。
(渚君、面接上手くいくといいな…。あ、でも仕事決まったら家出て行くのかな…?)
そう思うと、何故か少しだけ千尋の胸が痛むのだった。
渚が面接を受けに行ったすぐ後に千尋も病院を後にし、<フロリナ>に戻って午後も接客や花の手入れ等で忙しく働いた。そして千尋が仕事を上がる直前に渚が店を訪れた。
「千尋、迎えに来たよ。一緒に帰ろう?」
心なしか渚の声はいつも以上に明るかった。
「渚君、迎えに来てくれたの?忙しかったんじゃないの?」
千尋は渚が買い物袋を提げているのを見て尋ねた。
「大丈夫だよ、もう食事の準備は出来てるから。これはちょっと買い足してきた分なんだ」
そこへ中島がやってきた。
「ああ、渚君。毎日青山さんのお迎えご苦労様」
「いいえ、僕は渚と一緒に帰りたいから迎えに来てるだけですよ」
「む…相変わらずはっきりと言うわね。余程青山さんが大事なのね?」
「勿論です!千尋は僕にとって物凄く大切な人ですよ」
笑顔ではっきりと渚は言い切った。
「おお~。相変わらずストレートな物言いをするわね…」
質問した中島の方がむしろたじろいでいる。
「な・渚君!声が大きいってば!」
千尋は慌てて小声で注意した。
「あ、ごめん。つい大きい声出ちゃった」
周囲にいた若い女性客たちも渚の発言が聞こえていたのか、ヒソヒソささやきあっている。
「ねえ~聞いた?今のセリフ」
「うん、聞いた聞いた」
「羨ましいなあー。一度でもいいからあんな風に言って貰いたいね~」
「あの店員の女の子、羨ましいね」
すっかり千尋は注目の的だ。
(だから違うのに…)
千尋は心の中で思った。渚は自分に愛情表現を向けて来るけれども、それはどうも男女の愛情表現とは違うように感じていた。そう、まるで家族しかも親子関係に向けられる愛情表現のように感じられるのだった。だからこそ千尋も渚と同居生活を続けていられる。千尋自身、渚を一人の男性として意識してみた事は無かったし、多分この先も無いだろうと考えていた。
「じゃあ、すぐに帰る支度するからお店の外で待っててくれる?」
「うん、分かった。外で待ってるね」
渚は素直に言う事を聞くと店の外へと出て行った。
「渚君て青山さんの言う事なら何でも聞くよね?」
中島が言った。
「え?本当ですか?私そんなにしょっちゅう命令してますか?」
「あ、ごめん。そういう意味じゃないのよ?まるでご主人様と飼い犬のような関係のようなって、あ~私ったら一体何しゃべってるのかしら…!」
そこへ一人の女性客が声をかけてきた。
「すみませーん、ちょっといいですか?」
「あ、はい。すぐに伺います、お待ちください」
中島は慌てて客の元へ行こうとした直前に千尋に言った。
「千尋ちゃん、渚君待ってるから上がっていいからね」
「ありがとうございます。ではお先に失礼します」
千尋は頭を下げるとロッカールームへ行き、帰り支度をして店の外へと出て来た。
「あ、終わった?千尋」
渚は店の壁に寄りかかって千尋を待っていた。
「うん、ごめんね。お待たせ」
「荷物持つよ。はい、貸して?」
渚は手を差し出してきた。
「いいよ。これくらい平気。だって大したもの入っていないもの。それより渚君こそ荷物沢山持ってるじゃない。大丈夫?私も持つよ?」
「僕は男だから大丈夫だよ」
「ねえ、ところで何買ってきたの?」
「えっへっへっ。秘密だよ。家に帰ってからのお楽しみ」
渚は意味深に笑った。
「え~何それ、いいじゃない。教えてくれたって」
「楽しみは後に取っておこうよー」
仲良く並んで家路をさして歩く二人の影が地面に長く伸びていた…。
「じゃーん!見て、千尋。今夜は腕によりをかけて料理を作ったよ!」
渚は笑顔で大袈裟に両手をテーブルの上で広げた。
「うわあ…すごい!」
千尋はテーブルの上に並べられた料理に目を見張った。トマトソースのラザニアに野菜のグリル焼き、ハーブを効かせた焼き魚にパセリを散らしたポタージュ。どれもが素晴らしい出来栄えだった。
「さあ、座って千尋」
今夜も渚は紳士的に椅子を引いて千尋を座らせる。
千尋がテーブルに着くと、渚は言った。
「千尋、今夜はお祝いだよ」
そしてワイングラスを2つ並べ、赤いワインを注いだ。
「明日仕事がお休みなんだし、たまにはお酒もいいでしょう?」
「あ、お祝いと言う事は…面接大丈夫だったの?」
「うん、明後日から仕事だよ。さ、乾杯しよ?」
「そうだね」
千尋は笑みを浮かべて返事をした。
「「乾杯」」
二人はグラスを合わせた。
「家でワインなんて飲むの久しぶり…。普段飲むのってチューハイばかりだったから」
千尋はうっとりしたようにグラスを傾けて口にした。
「う~ん!美味しい!」
「良かった。千尋に喜んでもらえて」
優しい笑顔で渚は言った。
それからしばらくの間楽しい時が流れたが、やがて千尋は我に返った。
「あ、でも待って。本当は私がお祝いする立場だったんじゃないの?」
いつの間にか、あれ程あった料理は殆ど食べ終わっている。
「ごめん…。今更だよね。もう殆どご馳走食べつくしておいて…」
「どうして?だってようやく千尋のお金の負担を減らせるようになったんだから。今夜はそのお祝いなんだよ?」
「え?お金の負担を減らすって…?」
(まさか仕事が決まったから早々にこの家を出るって言うのかな?)
「実は…ね。仕事も決まったし、千尋に大事な話をしたいんだ」
渚は言い淀んだ。
千尋は両手をギュッと握りしめて話を聞いている。
「言いにくいんだけど…最初に会った時に話した事だけど、仕事が決まるまでの間、住まわせて欲しいって話‥無かった事にして欲しいんだ」
「え?」
「あ~つまり、仕事は決まったけ…ここの家に置いてもらいたいんだ。駄目かな?」
上目遣いに千尋を見る。
「…」
黙って話を聞いている千尋を見て渚は不安に感じたのか、言葉を続けた。
「これからはお給料も貰えるから、生活費だって千尋に渡せる。ううん、僕のお金なんて全部渡しても構わないと思ってる」
縋るような目で千尋を見つめている渚。
(どうしてそんな言い方をするの?私に追い出されるとでも思ってるの?そんな事絶対にあり得ないのに…)
渚はどこか痛むかのように辛そうな顔を見せた。今迄一度も見せた事がない表情に千尋は胸が締め付けられそうになった。渚は微かに震える手で初めて千尋の手に触れた。
「!」
千尋が顔を上げると、渚はギュッと手を握りしめて言った。
「千尋さえ良かったら…僕が迷惑じゃないなら、君の側にいさせて欲しいんだ…」
その声は震えている。
「何言ってるの?当たり前だよ。私が渚君を必要だって事、そんなの…とっくに分かってると思ってたけど?」
「え…?それ本当?」
渚は目を丸くした。
「うん、だからそんな顔…もうしなくていいよ?」
アルコールのせいだろうか?何だか千尋は自分の顔が熱くなっているように感じた。
「良かった、ありがとう千尋!」
渚は握っていた千尋の手をそっと離すと言った。
「それじゃ、新たな同居生活を祝ってもう一度乾杯しようよ」
渚はすっかりいつもの調子を取り戻していた。
「うん、飲みましょー」
それから約1時間後—
慣れないワインですっかり千尋は酔ってしまいテーブルの上で突っ伏していた。
夢の中で千尋は誰かに抱き上げられて運ばれている。そしてベッドの横たえられると額に何か柔らかいものが触れ、耳元で優しく誰かに囁かれた。
「大好きだよ、千尋」
でもきっと、これは夢—
千尋は深い眠りについたのだった―。
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